11.あわてんぼう

バースデイ・ソングをうたって




待っている。ただ待っている。
パイプ椅子に腰掛け、日付けが変わった頃から彼是十数時間。
そろそろなのだ。そろそろの筈、なのだ。
根拠はないけれど、そろそろのような気がする。待つ理由はそれで十分だった。
その為にオレは死に物狂いで任務をこなし、どうにか三日間の休みをもぎ取ったのだから。
そんな、オレの目の前にはベッドがある。
必要最低限のもので構成された部屋の中。殺風景ながらも清潔に整えられた室内と同様、飾り気は無いが一点の染みもくすみも見られない真っ白なシーツで覆われたベッドに、彼は居る。
もしかしたら、居る、という表現は正しくないかもしれない。
彼はそこで横になり、ずっと眠っているのだ。
時間にして、約一年ほど。






彼の眠りがおかしくなり始めたのは、丁度ナルトが修行に出てすぐのことだ。
それは大蛇丸の木の葉崩しに端を発した、里挙げての復興策が殺人的な怱忙を齎していたのと同時期。勿論、オレと彼も多分に洩れず、だった。
オレは連日、昼夜日数問わず高ランクの任務を梯子し、彼は彼で受付所だけでなく様々の事務仕事と、手が足りなければ自ら任務へ赴くような生活を続けていた。数日、酷い時になると数週間、顔さえ合わせられないのなんてザラだった。
そんなすれ違いの生活を送るのが当たり前となりつつあった頃。
ある日、依頼されていた任務が幾つか急遽キャンセルになった。
全てオレが指名を受けていたものだったから、翌日の任務までぽっかりと時間が空いた状態である。
久しぶりともいえる空き時間に、オレは喜び勇んで彼の家に転がり込んでいた。暫く顔を見ていないのもあって、どうしても彼に会いたい気持ちが強かったのだ。
貰っていた合い鍵で部屋に入り、相手の帰りを待つ。
その日、彼は仕事で日付変更線を跨いでから漸くアパートに戻ってきた。それでも彼曰く「部屋に帰れるだけマシ」という。
忙しい時は受付所や事務所なんかに泊まり込むことも多いらしい。
だからこうして顔を見られたのは運がいいし嬉しい、と笑っていた。但し、その笑顔の中に隠しきれない疲労を滲ませつつ、ではあるが。当時は彼もオレも、何より里全体が疲弊しきっていたように思う。
仕方のないことだった、とわかってはいるけれど。
互いに疲れているのは言うまでもないことだったから、オレ達は何もせずに眠ることにした。
くっついて眠るということ自体随分と久しぶりで、けれど不埒な真似をしようという気は起きなかった。その元気は互いになかったし、人の肌の熱が単純に心地良くてただくっついているだけで十分に思えたのだ。
オレが泊まり込むのをいいことに、彼はちゃっかり朝起こしてくれと頼んできた。
「一人では起きられる自信がなくて。だからお願いします」
なんて甘えたように言われた時点で、オレの中で断るという選択肢が見事に消え失せる。そのままベッドに潜り込めば、溜まった疲労の所為か深い眠りの底に沈むのは瞬く間だった。


そして朝。


セットされた目覚まし時計の耳障りな電子音に渋々オレが起こされて
も、彼は一向に目を覚ます気配がなかった。隣で布団に潜り込んだまま、ずっと安らかな寝息を立てている。
仕方がなく、目覚ましを止めた同じ手でオレは頭上のカーテンを引き開けた。
瞬間、清々しい朝の光が室内に満ちる。眩しさにオレが目を眇める横で、彼の瞼は相変わらず固く閉ざされたままだった。
普通ならもう起きても良さそうなものなのに。
それでも起こせと言われたからにはどうにか起こさなくてはならないだろう。
その後、オレがどんなに耳元で大声を出し、布団を剥いで身体を力一杯揺さ振っても。両方の頬を引っ張るように抓った後、鼻を摘まんだまま深いキスをしてみても。他にも思い付く限りのことをしてみたけれど彼の目は一向に開く気配がなかった。
万策尽きたオレは途中で諦めて、彼が今日休む旨を受付所に向けて式で飛ばした。正直、彼が一体いつ起きるのかオレにもさっぱりわからなかったのだ。ついでにキャンセル分の空き時間を休みに変えて、一日傍で彼を見守ることに決めた。
久しぶりの休みで、しかも彼と二人きりという最高の状況。
なのに、肝心の彼が眠っていては話にならない。不可抗力とはいえ休みになったのだから早く起きればいいのに。
つまらない、と零して唇を尖らせてみても、反応を返してくれる相手が居ないのですぐに止めた。一人で可愛い子ぶりっこしていてもただ薄ら寒いばかりで意味がない。
彼が随分と疲れているのは、知っていた。
任務に就く頭数を増やす為に、事務方は相当数人員を削られたと聞く。その最低限残された数で、倍以上に増えた仕事をどうにか遣り繰りしようとすれば無理が生じるのは当たり前のこと。その各個人の無理の積み重ねはどこからも黙認されてしまうのが現状だった。
そういえば昨夜、彼の顔色は優れなかった気がする。
表情もどこか暗く、抜けきらない疲労の為か口数もいつもより少なかったようにも思う。
今はどうかと顔を覗き込んだ時、オレは奇妙な違和を覚えていた。
穏やかな寝息を立てて眠っているだけなのに、何故かざわりとさざめくものがある。どこからともなく湧き上がる暗い靄が胸中を覆い尽し、えも言われぬ不快感を伴って気分を落ち着かないものにする。
時が経つにつれて増幅していくその感覚に、焦燥とも苛立ちともつかぬものを覚えずにいられない。不安が募っていく。
「・・・早く起きてよ」
そう、思わず呟いた時。
彼が漸く目を覚ました。
「おはようございます。なんか、よく寝た気がするなぁ」
なんて緊張感のない声で告げた彼はしかし、窓の外の光景を目にして石像のように固まった。
朝に清廉な光を齎していた太陽は今や鮮やかな橙色の光を纏い、空に濃淡のグラデーションを彩なしている。西の空へと沈む夕日に、彼はすぐにベッドサイドの時計に目を遣って、オレに向かって大声で叫ぶ。
「頼んだのにどうして起こしてくれなかったんですかっ!」
目を剥いて怒る彼は至極いつも通りのようだった。
それでもまだ油断は出来ない。
「ねえ、大丈夫なの?」
「ちっとも大丈夫じゃありませんよ!朝に起きてなきゃいけなかったのにもう夕方とか意味がわかんないし!!今日はやることが沢山あったのに・・・!!!」
最悪だ、と頭を抱える彼はかなり取り乱しているようだった。余計なことかとも思いながら一応、今朝の状況を説明する。
誤解されたままじゃ困るし、一方的に悪者にされるのも嫌だし。
オレの話を聞いていた彼は途中で眉間に皺を寄せ、胡乱なものに向ける眼差しで以てオレを見た。
「・・・そんなこと言って、単に起こし方が甘かっただけじゃないんですか?」
難癖を付けてくる相手に、オレも必死になって自分の正当性を主張した。もしこれでオレが悪いとなったら後々まで愚痴愚痴と厭味を言われそうな気がしたのだ。
暫くオレの主張にに耳を傾けていた彼は、ある時眉根を寄せて小難しい顔付きになった。それは彼が思案する時に見せる顔だった。
邪魔をすれば途端に不機嫌になると誰よりよく知っているオレは答えが出るのを大人しく待つ。
すると不意にぽつりと小さな呟きが漏れた。
「・・・疲れてたんですか、ね?」
寝癖でぼさぼさの髪をかき混ぜるようにして頭を掻きながら、どこか困惑したような、完全に納得し切れないといった表情が顔に浮かぶ。
答えを求めている風ではなかったので黙っていると、済んでしまったことはどうしようもないとの結論に達したのか、この話はそこで収まった。
それから暫くの間、彼は普通に寝起きが出来ていたらしい。
どれだけの激務をこなそうと、またどれだけ睡眠時間が短かろうと、自らが必要な時間には目を覚まして仕事や任務へと赴く。当たり前の生活を、ごく当たり前にこなす。
「あの時は余程疲れていたみたいです」
そう、鼻の傷を擦りながら後々照れ臭そうに話していたというのに。




ある時、またしても彼は起きることが出来なかった。
しかも今度は一昼夜眠り続けて、目覚めたのは翌日の朝。
彼の目覚めの瞬間に、丁度オレは立ち会っていた。
ただ、その時は任務帰りに何気なくアパートへ立ち寄ったという状態で、実際彼が一昼夜眠り続けていたのかどうかオレには定かでなかった。けれど事情を話す彼の曇った表情や困惑した口ぶりから、それが間違いのない事実だというのも伝わっていた。
「どうして・・・?」
ベッドに身を起こした彼が独り言のように呟く。
その、彼らしからぬ弱々しい声調に、オレは過日感じた不安や不快感が再び湧き上がるのを感じていた。






そしてその日を境に、彼の睡眠時間は加速度的に狂い出した。






一日から、三日。
三日から、一週間。
一週間から、二週間。
二週間から、一ヶ月。
そこから四ヶ月、半年、そして一年へ。
一度眠ればどれだけの刺激を与えても目を覚ますことがなかった。
勿論、その間も沢山の医者に掛かった。しかしながらどれだけ精密に検査をしても僅かの異常も見付けられなかったのだ。
最終的にはどの医者―――中には医療のエキスパートである綱手様も含まれる―――にも匙を投げられる始末だった。
原因がわからない以上、治療の方法などないも同然。少しでも長く起きていられるよう彼自身も様々の方法を試したが、それでも抗いきれずに眠りに落ちる。
そして何より恐ろしいのが、睡眠時間と活動時間が全く比例をしないことだ。たとえ一年眠っていたとしても、その後二十四時間も満足に起きてはいられない。眠りについて目覚める度に起きていられる時間も短くなってきているようだった。
自分で眠りをコントロール出来ない恐ろしさ。
加速度的におかしくなっていく状態に、「眠るのが怖い」と彼が零したのはいつの頃だったろうか。もう随分と長い時間まともに話をしていないから、それがいつのことだったのかすら忘れてしまった。たまに、彼の声を思い出すのも難しい時があるくらいだ。
そうしてオレは眠り続ける彼の世話、という問題も抱えることになった。オレがいつも傍に居られればいいのだが、今現在の里の状況ではそれが不可能だという現実。
悩むオレに、彼の事情を知る綱手様からひとつの提案があった。




「カカシ、あんたイルカを木の葉病院の特別病棟に入れてみる気はないかい?」




あまり知られてはいないが、木の葉病院の広大な敷地の片隅に小さな建物がある。
木々に囲まれ、まるで周囲から身を潜めるように存在するそこは特別病棟として使われている。知っている者の間では『実験室』という通称で呼ばれていた。
『実験室』はその名の通り、日夜病気に関する様々の実験や研究が行なわれている。
但し病気とはいっても癌や心臓病といったオーソドックスなものではない。そこで扱うのは奇病や難病と呼ばれる類の、特殊な症状を引き起こす病気のみなのだ。
人体に寄生し、その内皮膚を突き破って花を咲かせる植物の研究。頭から常にもくもくと煙が立ち昇る奇病の分析。
生きながらにして全身が糜爛し腐り落ちていく難病のメカニズムの解析。
骨や関節が溶け出し、四肢が奇妙に変形していく症候の考究。
人づてに聞いた話でも己の耳を疑うような病ばかりだ。
しかしそれらは上手くすれば忍術に応用が可能で、またウイルスや細菌などが発見されれば生物兵器としての利用も出来る。
一般の病院では受け入れ難いそれらの病を一手に引き受け、隔離と保護及び実験の対価としての治療を行なう場所、それが『実験室』という施設なのだ。
過去にはとある病に関する有効な治療法が見付かった事例もあると聞く。また病棟では患者に対して完全看護が約束されている。
治療法が見付かるかもしれないという一縷の望みと、世話の負担とを考えた時、オレはこの『実験室』に彼を預けることを決めた。
勿論、最初は彼をこんなところに預けるなんて、後ろめたい気持ちで一杯だったけれど。






『実験室』の内部は、いつも不気味なほどにしんと静まり返っている。
病室や病棟内の至るところで幾重にも張り巡らされた結界が、人の気配や物音を完全に遮断し、不自然で完璧な無の空間を作り出していた。たまに相当ヤバイ病を取り扱うこともあるらしいから、保険と安全性を兼ねての配慮なのだろう。
病棟内では患者が不用意に出歩くことは禁じられ、外部の者が訪れる場合も厳しい制約が付けられている。
たとえ患者の身内であろうと様々な手続きを踏んでからでないと相手を見舞うことは出来ない。
オレも手続きに必要な数多の書類を揃えて、漸くここに居るのだ。
その所為か、他にも入院している患者が居るだろうにオレは今迄それらの相手に出会ったことが無い。
そういえば医師や看護師の姿も未だ目にしたことが無いと気付く。
それでも訪れる度に病室はいつも完璧な清潔さと静寂とが保たれているのだった。時折、息をするのすら躊躇われて苦しい思いをするのはいただけないのだが。
また、ここに居ると何故かいつも時間の流れが狂う。
ある時は一分が一時間のように、またある時は一時間が一分のように錯覚する。
その間、オレと眠る彼は病室に二人きりだった。


彼とオレは世界のどこからも見捨てられた憐れな漂流民。
もしくは世界にたった二人だけ取り残された人類最後の生き残り。
または救世主の目覚めを待つ、盲目的且つ従順で献身的な信者。


等々、随分馬鹿げた考えが頭を擡げて、その度に独りで小さく嗤う。
それでも、病室で眠る彼はどこか安らかな顔付きをしている。
もしかしたら眠っている間は幸せなのかもしれない。
楽しい夢を見て、現実を忘れて。
そういえば、三代目が亡くなったことを彼は深く嘆いていた。
そういえば、ナルトが居なくなるのを彼は酷く寂しがっていた。
それだけが原因ではないと思えど、それらも要因のひとつではないかと思う。
とりとめなく考えて、パイプ椅子の背凭れに体重を掛ければ、ぎ、と鈍い音がした。
視線を上げれば、ベッドサイドにある、背の低いキャビネットに置かれた白い箱が目に入る。オレが持ってきたものだ。
中身は苺がたっぷりと載った生クリームのケーキがワンホール。
美味しいと有名な洋菓子店のもので、わざわざ沢山の女の中に混じって買ってきたものだった。
彼は特別甘党という訳ではないけれど、今日は絶対これを買ってここに来なければならなかった。
だって、今日は彼の誕生日だから。




「オレね、小さい頃父と母に誕生日を祝って貰う時って必ず苺の沢山載った生クリームのケーキが用意されていたんです。そこに、歳の数だけロウソクが立ててあってね。ロウソクに火を点けると部屋の明かりが消えて、二人が声を揃えて誕生日の歌を歌ってくれるんです。
歌といっても、『ハッピーバースディ・トゥ・ユー』ってオーソドックスなヤツですけど。でもいつも『ディア・イルカ』って名前を呼ばれちゃうと待ちきれなくて、歌の途中でロウソクを吹き消しちゃうんですよ。
そしたら「イルカはあわてん坊なんだから!」って母が笑って、「もう少し待てばいいのに」なんて父も笑いながら電気を付けてくれるんです。明るくなった室内に、二人の笑顔がある。それがプレゼントより何より嬉しかったのを覚えています。そういえば自分の誕生日の時に、あの歌を最後まで聴いたことがないなぁ」




眠りがおかしくなるずっと前、彼が懐かしむように、また幸せそうに口にしたのがオレの中で強く印象に残っている。
だからそれ以来、彼の誕生日には欠かさず苺のたっぷり載った生クリームのケーキをワンホール買い、歳の分ロウソクを準備して誕生日の歌をオレが歌うことにしている。
たとえワンホールのケーキが二人では食べきれなくて「不経済だ」「胸焼けがする」と彼から訴えられても、「そろそろケーキの上に並べるのも限界だと思うんで、歳の数のロウソクを揃えなくてもいいんですよ?」と申し出があっても、だ。オレがそうしてあげたいと思う限りは、きっとこの習慣も続いていくのだろう。
そんなことを思いながら眠り続ける彼の痩けた頬に手を伸ばす。
人間の身体というヤツは、使わなければその機能が日々衰えていくものらしい。眠り始めてから、彼の身体は衰えていく一方だった。
まず全身の筋肉が容赦なく落ち、それに伴って身体は急激に痩せていった。
彼はもう、歩くことが出来ない。
リハビリをすれば歩くのに必要な筋肉が戻るのかもしれないが、眠り続ける今の状態では不可能だろう。
一年ほど前に目覚めた時には、ベッドに身を起こすことすら困難になっていた。オレが身体を支えて漸く、といった体だったのだ。
眠りから覚めた彼の衰えは目を背けるのが難しく、同時に目を覆いたくなるほど痛々しい。
たまに、次に衰えるのはどこだろう、と考える時がある。
視力、握力、喉・・・もしかしたら、心肺の機能だって弱まっていくかもしれない。その内自分で息をすることすら難しくなるかも。
考えれば考えただけ深みに嵌りそうになるので、なるべく考えないようにはしているけれど。
以前より、彼の体温が明らかに低くなったのも気になる。
昔は子供みたいに体温が高くて、いつでも冷たいオレの手のひらを、「またつめたい手をして!」と両手であたためてくれたものだ。
夏になれば、毎日うんざりといった様子で「辛い」と零していたのに。今は体温の低いオレよりも肌が冷たい気がする。
また、その冷たさを強調するように肌は白くなった。日に当たることが無い分、オレのことを散々「生白い」と評した彼の方が、今は随分と白い。しかも透き通るというよりは、血の気が失せて青白く褪めているように見える。一定の間隔で続く微かな寝息を確かめなければ、死人のそれと見紛いそうになるほどだ。
どこまでも静かな室内に溶け込む呼吸を確かめながら時折考える。これはいつ止まるのだろうか、と。
一年後、一週間後。
明日、今日。
もしかして・・・一秒後?




なんてろくでもない。




呟いて、オレはガリガリと頭を掻く。
たまに、ごくたまに、オレは彼の状態を確かめようと身に纏われた衣服を剥ぎ取ってみることがある。
一糸纏わぬ状態の彼を間近で見下ろすと、気付かされる事実はいくらでもある。
シーツの上に広がる、ぱさぱさと艶の無い髪。頬が痩けて翳りが生まれ、どこか寂しい印象を受ける顔。潤いを欠く唇に、落ち窪んだ瞼。張りの失われた肌、骨の浮いた肋骨。筋肉が落ちきってまともには機能しない、棒のような腕と脚。
どこか作り物の、まるで出来の悪い人形のようにも見える歪な身体に顔を寄せると、消毒薬の匂いが鼻に付く。最早、匂いが染み付いたと言っても過言ではない肌に唇を寄せてきつく吸い上げる。
肌に残る鬱血の痕を見れば、まだそこに血が通っているとわかる。
どれだけ冷たくなっても彼の身体がまだ、確かに生きているのだとわかる。
だからオレは、全身に満遍なく唇を落としていく。
首筋に、肩甲骨。二の腕に、胸元。下腹部に、内腿に、膝頭に。
青白い肌の上、花びらを散らしたように紅い痕が其処彼処に残っているのに安堵する。乾いて手触りの悪くなった肌を撫で摩れば、そこに熱が生じていくのに安堵する。
下生えの中に息づく性器に舌を這わせ、口でしゃぶってみる。
与えられた刺激にゆっくりと首を擡げ、オレの唾液と先走りのものとでぬらりと濡れ光るものを見ればまだ大丈夫だと思う。
それだけでは飽き足らず、彼の脚を抱え上げると舌と指で解した後口にオレのペニスを突っ込む。
体温は低く感じても、受け入れられた内部は温かい。
その事実に深く息を吐いて、折れそうなほどか細い身体を気遣うことなく彼を蹂躙する。
肉と肉が打つかり合う乾いた音と、湿り気を帯びた粘着質な音。
オレの荒くなった息遣いに混じり、一人寝用であるベッドから二人分の体重と、本来の目的から随分と逸脱した行為を受けてぎしぎしと苦し気に軋む音が立つ。
オレの動きに合わせて力無く揺さぶられる彼の身体は突き上げる動きによって自然に上へ上へと逃げを打つ。それを幾度となく傍へと引き寄せる内、敷かれたシーツは大きく捩れて波打ち、彼の黒髪が白い波間を漂うように広がっていく。
その姿を見ながら不意に可哀想だな、と思うことがある。
眠っていながらオレにこんなことをされて。
生きているのを、こんな形で確かめられて。
まるで自慰行為の延長のような一方的なセックスは、気持ちが伴わない分酷く虚しい。
けれど、酷く虚しいのに止められない。
彼が眠り続けるから。
その瞼が持ち上がらないから。
オレの姿を映し出す瞳が無いから。
彼の中に精液を吐き出しても、それこそ溢れるくらいに吐き出しても空虚さが埋まらない。
どれだけオレが彼に飢えているかなんて、きっと誰にも・・・勿論眠り続けている彼本人にもわからないだろう。
しかし一方で彼の目覚めが恐ろしい、と感じる頭もある。
彼が眠っている間は実感せずにいられた現実を、事実を、明確に目の前で突き付けられるのだ。
衰え、弱って。
その内永遠に失うかもしれない、というその恐怖を。




ねえ、起きてよ。


ねえ、起きないでよ。


今すぐアンタの目にオレを映してよ。


いっそ、そのまま眠り続けていてよ。






相反する思いを抱いたまま、オレはここに来てからもう何度目になるともしれない歌を口にのせる。
それは、誕生日の歌。
オレが最後まで歌うのを待ち切れなくて、慌てて彼が目を覚ますのではないかと。
もしくは、このまま何事もないように眠り続けるのではないかと。
そんな馬鹿げたことを考えながら。






ハッピーバースディ・トゥ・ユー
ハッピーバースディ・トゥ・ユー・・・






その時、彼の瞼がピクピクと痙攣するように動き始める。
眠りが浅くなってきたようだ。
期待と不安が交差する。
心臓が高鳴るように、また鈍く軋むように、脈を打つ。
歓喜と絶望が一緒くたになる。
どちらが本当の思いなのか、わからないまま。
オレはそのワンフレーズを口にする。














ハッピーバースディ・ディア・イルカ















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