17.りぼん

【ヴァレンタインデイ・キス】




気怠い事後の空気が漂う室内で、オレは背後から抱きしめられた格好でベッドに横になっている。
オレの腰の辺りに手を回し、先程の余韻に浸るかのように隙間なくぴったりと密着しているのは、彼。
終った後暫くは、何があっても兎に角絶対確実に引っ付いていたいタイプなのだと本人自ら公言されている。
その見目に似合わず、彼はわりと少女趣味なところがあると思う。
汗やら唾液やら吐き出したものやらに塗れた身体で抱き合って何が楽しいのか、正直オレにはわかりかねるのだが。
ただ、それを口にするとすぐ『せんせいはあいがたりない』などと鬱陶しいことを口にするので、あまり話題に上げないよう努めている。
オレだってこれでも恋人には気を遣っているのだ。
なので、抱き締められた恰好のまま、ベッドの傍に置いていた鞄へと腕を伸ばしてみる。
しかしながら、抱きしめられたままではどうしても床に置いた鞄に手が届かない。
「すいません、ちょっとだけ腕を離してもらえませんか?」
こちらが下手に出てお願いしているのにも関わらず、何故か逆に拘束する腕の力が増す。
「あの?」
「・・・・」
「ちょっとカカシ先生?」
「・・・・」
どうやら急に耳が遠くなったとみえる彼にもしっかり理解して頂けるよう、回された腕を遠慮なくばしばしと叩いてみる。
「・・・いたいです」
「なら、手をどけてくださいよ」
「えー、もうちょっとこうしてましょうよう」
「いや、ジャマなんで」
きっぱりと告げれば、いるかせんせいはひどい、だの、せんさいなおとこごころがわかってない、だの、おれってかわいそう、だのと散々宣った後。
「やっぱりいるかせんせいはあいがたりない!」
いつもの決め台詞が出る。正直、鬱陶しいなと思う瞬間だ。
それでもどうにか腕の力を緩ませることに成功して、鞄へと手を伸ばす。
手探りでごそごそと中身を漁りながら、漸く探り当てたものを手に取ると彼の腕の中で身体を反転させた。
そして、どこか面食らった表情を浮かべる彼をまっすぐに見据える。
「・・・どうぞ」
鼻先に差し出した、深いワインレッドの包装紙に落ち着いた色味の金リボンを十字に掛けた小箱。それに対し、彼は先程から呆けたように瞬きを繰り返してばかりいる。
あまりの反応の薄さに、オレも面食らいながら。
「バレンタインでしょ、今日」
それこそ年が明けた辺りからずっと欲しい欲しいと言われ続け、その度に難色を示せば更に欲しい欲しいと鬱陶しく纏わりついてきたとは思えないその態度。





ま、要らないんならいいですけど。オレが食べるし。





ぼそっと付け足せば、彼は大層慌てた様子で叫んだ。
「いります!いらないなんてだれがいったの!!」
そう言うと両手を揃えてオレの前へと差し出し、じっと訴え掛けるような眼差しで以てオレを見つめてくる。
・・・これで渡さなかったら、それはそれで面白いかもしれないな。
頭の片隅で考えながらも、存外やさしいオレは素直に小箱を手渡してあげた。
小箱は、彼の手のひらの中に慎ましい様子で納まる。
それを見つめながら、にこにこ、にまにま、にやにや、にたにた、の順に表情を移ろわせる彼が訊ねてくる。
「あけてもいい?」
それに、オレは鷹揚に頷いてみせる。
彼の指先が、結われたリボンの端をそっと摘むと、ゆっくりと下に引く。リボンはささやかな衣擦れの音と共に解け、大きく皺の寄ったシーツの上に落ちて緩やかにうねっている。
そして、慎重且つ丁寧に剥された包装紙の下からは、深緑色のなめらかな紙肌が露になった。
まるでこの世にふたつとない貴重品を扱う手付きで箱の蓋を開けた彼の目が、うっそりと細められる。
そこには、格子状に仕切られた中に美しく並ぶチョコレートがある。
室内で唯一灯されたベッドサイドの白熱灯スタンドの下、光を弾いて誘うようにつやつやと艶めく、たった数粒で驚くほどの値が付いたそれは、苦味と酸味との調和がとれた舶来ものの一級品。
純度が高く、混じり気の少ないチョコレートほど香り高く、甘くない。
その話を聞いたとき、すぐに思った。これしかない、と。
だからわざわざ、女の人でごった返す菓子屋へ、怯みかかる心と懐とを叱咤しながら行ったのだ。その心意気だけでも汲んで貰わなくては困る。
などと思うオレの前で、箱の中にそっと指が伸ばされる。
そして、ひと粒チョコレートを掴むと、上から下から横から斜めからと様々な角度でそれをじっくり眺めていた彼が今更のように言い出す。
「うーん・・やっぱりたべるの、もったいないなぁ・・・」





―――いいからもったいぶらずにさっさと食えよ。





これは、内なるオレの突っ込みだ。勿論、口には出さないけれど。
代わりに、だから要らないなら、と再び口にしようとすれば、ぱく、という音が聞こえてきそうな勢いで、チョコレートが口の中へと吸い込まれた。
「・・・・っ!」
瞬間、彼が両目を見開いて、自分の口元をしきりに指差し始めた。そして空いた手でばしばしとマットレスを激しく叩く。
振動で、身体全体がゆさゆさと揺さ振られているように感じる。
実は密かに、早く止めてくれないかな、とか、微妙な振動が最高に気持ち悪ぃんだよコラ!なんて思っていたりもするのだが、経験値が足りないのか彼がよく口にする愛が足りていないからか、容易く以心伝心が図れないのが非常に残念だ。
なので、手っ取り早く言葉によるコミュニケーションを図ることにする。
「それ、美味いんですか?それとも不味いんですか?」
「すっごく・・おいしいです・・・っ!」
うっとりと、感じ入ったような息と共に言葉が吐き出される。
なんて紛らわしい、とも思ったが、今にも蕩けそうな笑みの浮かんだ顔を見るのは満更でもなかった。結局、それを見たいが為に買ってきたようなものなのだから。
「せんせいもひとつ、どう?」
彼は嬉しそうに、チョコレートひとつ分欠けた箱を差し出してくる。
でも、オレは食べなくてもちっとも構わなかった。彼に渡した時点で、もう目的は達せられたも同然なのだ。
「いいですよ、オレはべつに」
「えー、すっごくおいしいですよ」
「なら、アンタがみんな食べればいいじゃないですか」
「いやでもせっかくだから、せんせいにもたべてほしい」
「てゆーか、それオレが買ってきたヤツだし」
「でも、せんせいもたべればいいじゃないですか」
「だってアンタに買ってきたんですよ、それ」
「でもでも、せんせいだってひとつくらい・・・」
そんな問答を繰り返す内、オレは段々この埒のあかない状況が異様に鬱陶しくなってくる。





「―――いいから、食えっつってんだろうが!」





思わず怒鳴っていた。残念ながらオレはそこまで気の長い方ではないのだ。
それに彼は思い切りしゅんと項垂れる。
もしもこれが犬なら、耳を垂れて尻尾をぺたりと地面に付けているに違いない、と思わせるその風貌。
オレが怒ると、いつもこう。ああもう、本当に鬱陶しいったら!
オレは箱を持ったままの彼の手首を掴むと、こちらに身体ごと強引に引き寄せていた。そして近付いてきた彼の唇に、そのまま噛み付くような口吻を贈る。
口腔内に無理矢理差し入れた舌に感じる、豊かな香りと深いコクのある味わい。それに、確かに美味しいチョコレートなのを知る。オレはそれで十分だった。
「美味しかったです。ごちそうさまでした」
唇を離して言えば、どこか呆けた顔をしていた彼がはっとしたように言い募る。
「え、もうごちそうさまなの?」
「はい、十分いただきましたから」
「いやでも、あれだけだったらしっかりわかんないでしょ。もっとあじみすれば」
「いいえ、結構です」
「だってあんなちょっとじゃだめだよ。もっとじっくりさぁ・・・」
そんな問答に再びオレが怒鳴り散らすまで、そう時間は掛からなかった。










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