22.おもいのまま

Special day and The night of TYPHOON 〜特別な日と台風の夜〜




九月も半ばだというのに、台風が来た。
外ではごうごうと風が吹き荒れ、また叩きつけるように雨が降っている。先程までは雷も賑やかだった。
その所為か建てつけの悪い窓だけでなく、アパートの部屋までも鈍く軋んで揺さ振られているように感じる。
台風が来る度、いつも部屋が吹き飛ばされるんじゃないかと不安に思わずにいられない。
それでもどうにか持ちこたえてきたので、ひとりで暮らし始めてからずっとここに住んでいるというわけだ。
雨風さえ凌げれば、多少のボロさや揺れなんて。
……と、一緒に部屋に居る彼も思っているかどうかは存じ上げないけれど、それでもこんなときにひとりきりでない、というのはいいものだと思う。
非常に大型だという今回の台風は、各地で甚大な被害を齎すだろうと予想されていた。
そこでアカデミーでも大事をとり、午後いっぱいを休校にして子供達を帰宅させることになった。
その決定を子供達本人に告げれば、教室中が一気に色めき立ち、浮かれきった喧しい声で満たされる。
台風の危険よりも単純に早く帰れるのが嬉しくて堪らない、というのはオレにも覚えがある。
この年頃じゃあ危機感とは無縁だよなぁ、なんて思いながらも、寄り道せずまっすぐ家に帰ることだけは念を押しておく。
そして子供達が全員帰宅するのを見送ってから、今度はアカデミーの台風対策に駆り出されることとなった。
とはいえ、対策にあたるのは教職員ばかり。勿論その道のプロなんていないからかなりいい加減なものではある。
全教職員がそれぞれいくつかの班に分かれて、危なそうな場所に木の板を打ち付け、吹き飛ばされそうなものは地面に固定し、浸水などの被害に備えて濡れると拙いものを他の場所に移動する、それくらいだ。
それらが滞りなく終ると、受付所のシフトにも入っていなかったオレはそのまま帰れた。
いつもより随分と早い時間だったが、オレは真直ぐ家を目指す。ぐずぐずして荒天の中を帰るのだけは避けたかったのだ。
……でも途中にある商店街で、ビールとつまみになりそうな惣菜は買ってしまったけれど。
そして一緒に暮らす彼も、今日は七班の任務を早く終わらせたようで帰宅が早かった。
オレより先に部屋に居るのを見て、「なんで居るんですか?」と思わず大きな声を上げてしまったほどだ。
因みに今日の任務は、梨の収穫の手伝いだったそうだ。
今が旬の果物である梨は、収穫も今が最盛期である。
依頼先である農園の広大な敷地内にも、たわわに実を付けた梨の木が数限りなくあったのだという。
しかしながら台風により梨が落果し、少しでも傷が付いてしまえば商品としての価値がなくなってしまう。なので依頼主は台風が来る前に全ての収穫を終えてしまう心づもりだったらしい。
作業はかなりの強行軍となったようだが、子供達の頑張りと彼が手を貸したお陰でどうにか台風が来る前に皆終わらせることが出来たそうだ。
いつもは煩いくらいの子供達も、疲弊のあまり帰り道では誰ひとり口を利かなかったらしい。
「あれくらいで音を上げてちゃ、ハナシにならないんですけどね」
なんて言いながらも、子供達それぞれの動きを詳細に語って聞かせる辺り、このひともちゃんと『先生』をやっているんだな、と思う。少し嬉しくなる瞬間だ。
そんな他愛も無い話をビールとつまみを交えながら続けている内に、風が強まり、雨も降り出した。
そして、いつしか本格的な台風がやってきたというわけだ。
外は相変わらず、大荒れに荒れている。
目の前に居る彼は、卓袱台に肘を付いてぼんやりと窓の外を眺めていた。
途中から口を付けなくなったビールの缶は、今や汗をかいて卓袱台の上に小さな水溜りを作っている。中身はもう温くなっているだろう。なんて勿体ない。
それにしても……ただぼんやりしているだけでサマになって見えるのは色男の特権だよな。
などと、どうでもいいことを考えながら彼に気付かれないよう小さく息を吐く。
外の様子が酷くなるにつれて、代わりのように彼の口数はどんどん減っていった。話し掛けても、どこか上の空でちっとも話が続かない。会話もすぐに途切れてしまった。
それが気詰まり、ということもないけれど、何となく。
「台風がくると、わくわくしませんでした?」
会話の糸口のつもりで訊いてみる。すると彼は窓の外に目を遣ったまま。
「いいや、オレは苦手だったなぁ」


大体そういうときに限って『嵐に乗じて』とかいう名目で急に任務入ったりするんですよ。
しかも必ず野外待機になっちゃってね。そうなったらもう最悪。
モロに風に煽られた上に雨に濡れてさ。
で、いざ動こうってなったときには体力を奪われて機動力が鈍ってる。
思うように動けないのが、ずっと続いてる不快感と相俟ってイライラしてしまってね。
そうなると任務中なのに、オレ何やってんのかな、とか大真面目に思ったりしちゃうんですよ。やっぱり風雨に晒されながら。


つらつらと、心ここに在らずといった口調で続ける彼に、オレもふうんと気の無い返事をして相手の視線を追う。
窓はだらりと垂れた雨だれで覆い尽くされ、一面に奇妙な模様を成している。その先は闇一色だった。
……まあ、面白いものがあるとはちっとも期待していなかったけれど。
闇の中で風はますます勢いを強め、窓に叩きつける雨も激しさを増すばかり。
付けたままのTVからはずっと台風情報が流れている。


『大型で非常に強い台風10号は、現在火の国の南南東を凡そ25キロの速さで進み……』


波の高くなった船着場とか。折れそうなほど撓る市街地の街路樹とか。氾濫しそうな川の土手とか。
流れる映像は、大体いつも同じ。
そしてビニル傘を差し、合羽を着て雨風に煽られながら必死に喋るアナウンサー。
これって何の意味があるのかなどと明後日のことを考えていると、ある時ふつり、と部屋の灯りが消えた。
灯りのなくなった室内はすぐに暗闇へと包まれる。
「あれ、停電かな」
のんびりと言った彼のシルエットがゆっくりと立ち上がって窓に近付いていく。
オレ達は忍なのである程度夜目は利く。だから互いに焦りはしない。
「あー、どこも真っ暗だ」
その言葉に、オレも立ち上がって彼の隣に立つ。
確かに普段は煌々と点されている灯りが、ひとつも無い。
アパート前に備えられた街灯も、道路を挟んだ向かいにある民家も、角のタバコ屋の自販機も。
全てが風と雨の中に飲み込まれでもしたように、黒々とした闇の中に沈んでいた。
その代わりに闇をも揺さ振るかの如く響く荒々しい音と、窓の隙間から忍びこむ湿った空気の匂いがくっきりと、まるで形を伴ったかのように室内で浮かび上がっている。どうやら闇の中でこそ冴えわたる感覚というものも確かに存在するらしい。
子供の頃なんかはこうした感覚が特別に思えて、停電になると妙にわくわくしたものだっけ。
がしかし、今となっては単純にわくわくするだけでは収まらない。
この歳になればいやがおうでも、今一歩現実というものに歩み寄らねばならないのだ。
里内の安全を保つのも、忍の大切な仕事のひとつ。
停電がどこかで起きた災害に因るものなら、火影様から彼やオレに召集が掛かるのも間もなくだろう。
召集が掛かった場合を考えて必要な装備について思案しながらも、一方でオレがそれ以上に気に掛けていること。
それは、冷蔵庫の中身。
……忍のくせに緊張感が無い、とか、所帯じみている、と言われてしまえばそれまでだ。
けれどこの時期における冷蔵庫の不作動は非常に厄介で危険な要素が多い。台所を預かるものとしてはどうしても外せない部分なのである。
確か腐り易いものは入れていないはず、と冷蔵庫の内容物に思い巡らせているところで、彼から訊ねられる。
「こういうのも、わくわくしました?」
「ええ、まあ。なんか特別っぽいですよね」
頭の中に胡瓜だの漬物だの納豆だのと次々に浮かべながら、答える。正直、今はそれどころではないのだ。
「特別」


ふうん、特別。へえ、そうなんだ。


などとひとり言ちる彼に、流石に引っ掛かりを覚えて。
それでもやはり頭の中にトマトやら粉チーズやら秋刀魚やら(しまったこれは腐り易い)を浮かべながら、訊ね返す。
「なにか気になりますか」
「あ、いや。気になるとかそういうんじゃないんですけど」
「はあ」
「そういや今日、誕生日だなーって」
「誰の?」
「オレの」
「誕生日」
「うん」
「……何で言ってくれなかったんですか」
初耳だった。
そんなこと、一言だって聞いてない。
咎めるように暗闇の中で見遣っても、相手の横顔からは細かい表情は窺えないのだが。
「そういうのって、言わなきゃダメなモンですか」
「そりゃあ。だって誕生日ですよ。生まれた日ですよ。それこそ台風や停電なんかよりよっぽど特別じゃないですか」
「でも三十路も過ぎた男の誕生日なんて祝うモンでもないでしょう。それにオレ、誕生日が特別、っていうのが正直ピンとこないんですよ。生まれたから目出度いとか、生まれた日だから特別って、それって全然根拠が無いじゃないですか。いつもと変わらない一日なのに」
ねえ、と同意を求めた様子もなく言う。



ごうごう
がたがた
びょうびょう
ざーざー
ばちばち
びちゃびちゃ



暗闇の中でも、お互い喋らなくても、音だけは豊富に溢れている。
見えないもののはずなのに、それらを立体的に耳が認識する。
裸足の所為か、足の裏から軋む部屋の揺れがはっきりと伝わる。
それに比べて、隣に立つ人間の実在感の薄さときたら。
風に吹かれて雨に濡れたら、それだけで儚くなりそうな印象さえ受けてしまう。
自らのことをあまり語りたがらないのは知っている。何かにつけ自らに否定的なのも。
それが彼本人の生い立ちから来ているのはわかるけれど、だからといってこの仕打ちはどうなんだ。
「でも、そういうことじゃあ、ないでしょう」
「違いますか」
「ええ、違います。大違いです」
「……もしかして、怒ってます?」
「怒ってますよ。物凄く」
そう告げれば、困ったな、とさして困った様子もなく零した彼がガリガリと後頭部を掻く。
それにフン、と鼻を鳴らして答える。何故か悔しくて仕方なかった。
「困ればいいんです、アンタなんて」
「案外、酷いこと言いますね」
「酷いのはどっちですか。こんなことでもなきゃ、アンタは誕生日のことを言わなかったでしょう?」
「たぶん」
「そういうところが酷いっていうんです」
「別に酷くはないでしょう」
「酷いですよ。アンタが生まれた日はアンタにとっては普通の一日かもしれない。でも、オレにとってはちゃんと意味のある特別な日なんです」
アンタが木の葉の里に生まれて、こうしてアンタという自我を持った人間として生きてきて、今オレの目の前に居て、オレを好きでいてくれる。
それって、奇跡的なことなんだぞ。
台風や停電なんかとは比べものにならない、同じ土俵に並べるのだって有り得ないくらいの超特別なんだぞ。
どうしてそれがわからないかな、アンタってひとは。
アンタが生まれたことを誰より、もしかしたらアンタ自身より喜んでいる人間がここに居るってのに。
「だからひとりで勝手に納得して自己完結しないでください。アンタはいつもそう。そういうの、本気でむかっ腹が立ちますんで。今度同じことやったら本気で殴りますよ?」
「………」
「いいですか、アンタはもうちょっと、否もっと大分、オレのことを考えてください。それでオレがどう思うか、しっかり考えてください。誰がなんと言おうと、オレにとってアンタは誰より特別で大事なひとなんですから」
言いながら少しばかり泣きそうになっているのは、きっと闇が隠してくれるだろう。
結局彼は、オレの言葉にも黙りこくったままで何も答えなかった。
相手が何を思うのか、今はわからず終い。それでも伝えたかったことを思いのまま口に出せて心はすっきりしている。
「……お祝いは明日、きちんと仕切り直しましょう。でも取り敢えず」



誕生日、おめでとうございます。



そう告げれば、漸く隣から一言「うん」と返事があって。
その直後、消えていた電気が灯った。
明るい中で目に入った相手の顔は―――…見ているこちらがどうにも面映くなるものだったことだけ、最後に述べておく。









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