25.いちばんすきなのは

【ひとつ ふたつ】




何気なくカカシ、と呼び捨てにしたら、目の前に居たひとは読んでいた本から顔を上げた。
そこに驚きの色を認めたのは一瞬で、すぐに見ているこちらが面映ゆくなるような表情を浮かべる。
懐かしい、という声さえ聞こえてきそうなその顔。
オレたちが、互いをカカシ、イルカ、と呼び合っていたのはずっと昔のことだった。





目の前のひととオレは、互いの父親を通じて幼い頃から面識があった。父親同士が公私に渡って親しかったのだ。
親だけでなく息子同士も、という思惑があったかどうかは定かでないが、父親に連れられて頻繁に彼の家へ足を運んでいる内に、オレたちも自然と行動を共にすることが多くなった。
オレはどちらかといえば悪ガキと呼ばれる部類の子供で、昔から年齢以上に大人びて物静かだった彼とは相容れない部分ばかりだった。
けれど何故か、オレと彼は奇妙なほどウマが合った。趣味も嗜好も何ひとつ被らないというのに、それでも彼と一緒だと友人の誰と居るより楽しく、また気安かった。
ふたりで居ると気が大きくなって、つい羽目を外し過ぎるオレに巻き添えを食うカタチで一緒くたに父親たちに怒られることもしょっちゅうだった。今思えばバカだと思うことも沢山したし、その所為で怪我をしたり時には掴みあいの喧嘩をしたこともあったけれど、それでもオレたちはつるむのを止めなかった。つまらないことで怒ったり笑ったりするのに一生懸命だった。
その頃は、目の前のひとはただのカカシで、オレも何の括りもない、単なるイルカでしかなかった。いつだって、オレたちは対等だった。



しかしそれも、今となっては昔のこと。



いつの間にか目の前のひとはオレの居る世界を軽々と越えて、手の届かないところにまで祀り上げられてしまった。
忍の上下関係は、恐ろしく厳密で厳格だ。
上忍と中忍の間には不文律ながらも様々な制約が付いており、少しでも反せば身をもってその違いを思い知らされることとなる。
理不尽なそれも、ずっと続いてきた忍里の仕組みのひとつ。きっとこれからも変わることはないのだろう。
いち忍として里に暮らしている内に、オレも彼に対して昔のように振舞うことは非常に畏れ多い行為なのだと自然に理解した。呼び捨てる、なんて以ての外だということも。
だからオレも他一般にならって目の前のひとを上忍、とか、先生、などと呼ぶ。里の中では誰が聞いているかわからないし、一応の敬意は払っておかないと拙い。
そして、いつしかそれは癖のようになってしまった。外でだけでなく、ふたりきりになってもついそんな呼び方をしてしまうオレに。
「なんか、そういうのって、他人行儀だよね」
そう、目の前のひとはいつもつまらなそうに零すのだけれど。





もう一度カカシ、と呼べば「なに?」と目の前のひとがその整った面差しをそっと崩す。目元が緩やかに細まって、普段は布で隠されている口元に笑みの形が乗る。
その、やわらかな表情。いつの間にか身に付いたそれを好ましいと思わない人間は多分、居ない。現に、くのいちからは引く手数多だという話も聞いている。
見目麗しく性格も穏やか、また忍としても優秀とオレの目から見ても非の打ちどころがない。ここまでなると、同性として悔しいという心すら湧いてこないものだ。だからこそ、尚更目の前のひとを遠い、と感じる。オレでは一生追いつけないと。
そんなことを考えながらも、なんでもない、と短く答える。
そう、本当に何でもないのだ。
目の前のひとと最近なかなか会えなかったとか。
それでもまたすぐに長期任務に就くことになっているとか。
そろそろ子供を、とか結婚を、と上層部からせっつかれているとか。
全て彼の事情で、オレにとっては特別何の意味も成さない事象。
だってそうだろう。オレたちは立場が違うし、抱えているものや与えられる責務だって違う。幼馴染みとはいっても、子供の頃と何でも同じとはならないのだ。皆、当たり前のこと。それくらいオレにもわかっている。
でも・・・いつからこんなに面倒臭くなったんだろう。
あの頃は良かった、っていうのではないけれど。
久しぶりにその顔を見て、何の躊躇いもなく名前を呼び、触れ合っていたことが急に懐かしくなったのかもしれない。




「オレ、やっぱりイルカに呼び捨てにされるのが一番好きだな」




中忍、でも、先生、でもなく。
目の前のひとがさりげなく昔の呼び方を口にする。
それは昔のように無邪気で、またどことなく嬉しそうでもあって。
そんなひとが少しだけ憎く、それと同じくらい泣きたいような心持ちになって、結局オレは上手く笑うことが出来なかった。







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