35.しずく

【飽和】




まるで自らを守るように腕を身体に回し、蹲る背中が目前にある。
その背中に向かって別の手が伸び、無理矢理腰だけを高く抱え上げようとする。
突っ張って身体を支えようとしたのだろう、反射的に伸ばされた腕はしかし、床に付いた途端くにゃりと力無く折れ曲がった。支えられない上半身はそのまま無様に崩れ、鈍い音を立てて床へと叩きつけられる。
そんな一連の様子を目にしていながら、カカシはイルカの背中に向かって淡々と告げた。
「ねえ、何か言いなよ。辛いんでショ?そうじゃなきゃ、続けるよ」
それに、イルカは何も答えない。床に突っ伏す格好でただ苦しそうな息を吐くだけだ。
静まり返ったアパートの玄関先には、カカシの手によって剥ぎ取られた衣服が散乱し、混沌とした陰を落としている。室内に満ちた様々な匂いを孕んだ濃密な空気は、イルカの荒く乱れた息遣いさえも吸収し、己がものとする。
イルカの剥き出しの背中には、玉のような汗が浮かんでいた。その肌に刻まれた大きな傷は、体温の上昇によって色を濃くし、汗で濡れ光りながら鮮やかに浮かび上がる。ただ、カカシの目にはそれさえまるで己を拒絶する印のように思えてならなかった。
猛烈に沸き立つ苛立ちを前に、カカシは続く行為の内に解され柔らかくなった後口へ、乱暴に己の猛った雄を捻じ込んだ。
「―――――ッ!」
瞬間、声にならない悲鳴が上がる。
それでもカカシは無遠慮に、イルカの内へと腰を進める。
何度注ぎ込んだかわからない、カカシの体液でぐちゃぐちゃに泥濘んだそこは、最早受け入れる為の器官と呼ぶに相応しい状態だった。一切の抵抗はなく、あくまで従順にカカシを呑み込み、奥深くへと誘う。
その動きに合わせて、イルカの髪が床にこすれてぱさぱさと乾いた音を立て、慄くように身体が震える。
それでもイルカは何も言わない。
カカシは舌打ちしたい気分だった。






イルカが喋らなくなった―――否、喋れなくなったのは本当に突然のことだった。ある日を境にして突然出なくなった、という声。
原因は不明、治るかどうかも不明という事実にカカシは酷く狼狽したのだが、イルカはそうでもないようだった。まるでそうなることがあらかじめわかっていたかのように、不自然に落ち着いていた。
しかしながら、確かに兆候らしきものはあったのだ。


「アンタと居ると、オレはいつもさみしいんです」


静かな口調でイルカから告げられた言葉。それは一切の感情を削ぎ落としたような静けさに満ちていた。
「アンタはオレと居るといつも苦しそうだ。無理をしているんだとすぐにわかる。それがオレには堪らなくさみしいんです。本当はオレの傍に居るのも苦痛なんじゃないですか?」
だったらもう、おわりにすればいい。
呼び出されたアカデミーの校舎裏で、唐突に突き付けられた言葉の意味を正確に捉えるまで、カカシは暫しの時間を要した。
そして只管驚いた。一体イルカが何を言っているのか理解出来なかった。どうしてイルカはそんなことが言えるのか。いつ、己がそれを望んだと?
一方的な言い分にカカシが口を挟もうとすれば、丁度というよりはタイミング悪く、高らかに啼きながら伝令を告げる式鳥がくるくると上空を旋回しているのが目に入った。それがカカシを呼ぶものだった為、仕方なく続きは後で、と言い置いて、カカシはイルカの前から去ったのだ。
この時、カカシは内心で酷く取り乱していたので、イルカがどのような顔をしていたか未だに思い出すことが出来ない。ただ、泣きも笑いもしていなかったように思う。わかるのはそれだけだ。
そして言い渡された急な任務をこなし、イルカのアパートを訪れた時にはもう、その声は出なくなっていた。


――― 何故、どうして?


驚いて詰め寄るカカシに、イルカは目線を足元に留め置いたまま、固く閉じられていた唇をゆっくりと動かした。


ごめんなさい


イルカの唇が紡いだのは、たったそれだけ。
重苦しく圧し掛かってくる沈黙に、カカシはとても耐えられなかった。また、一方的なイルカの態度にも苛立った。
ひとりで自己完結して、それで全てを終わらせようというのか。
頭に血が上り、気付くとカカシはイルカを玄関先の床に引き倒していた。瞬間、ダン、という重たい響きが静寂を乱す。力任せのそれに、木貼りの床に背中を叩きつけられた格好のイルカが顔を顰め、息を詰めるのがわかった。それをどこか冷めた目で眺めながら、カカシはイルカを組み敷いた。
凶暴な衝動の赴くままの行為は、酷いものとなった。
慣らすことさえせず、無理矢理押し入った後口からは血が流れた。カカシが動く度、普段日の光に晒される機会のない透き通った肌色を覗かせる内腿に、その鮮やかな紅とカカシの吐き出した精液の濁った白が溢れ、斑に紋様を描きながら広がった。
それでも、イルカが抵抗する素振りをみせることはなかった。されるがまま、カカシの乱暴な行為に身を任せるだけだった。泣くことも憤ることもせず、だらりと力の抜けた身体をカカシの前に晒し、虚ろな目で彼方を見つめるイルカは、その薄く開かれた唇から細く引き攣れた呼吸を繰り返していた。
その様子がまるで、陸に打ち揚げられた死に掛けの魚のようだとカカシは思った。碌に動くことも出来ず、抗えない死に向かうように続けられる虚ろな呼吸。
それでもカカシはイルカに対する憐憫の情など、一切湧かなかった。カカシの中にあったのは、イルカに対する怒りだった。それは自分でも底を知ることが難いほど、深く激しい感情だった。
カカシはただ、イルカを大事にしたかったのだ。
大事にしたかったからこそ、隠したかった。
身の内に抱えるこの激しい衝動を、イルカにだけは見せまいと。
醜い姿を見せてイルカが離れることを何より怯え、また恐れていた。
だからこそ、カカシはイルカの前で徹底して紳士的に振る舞った。
常に笑みを絶やさず、やさしい言葉を口にのせて、好意的な人物を演じようとした。隠すものを気取られないように、また知られないように。それがカカシの選んだ、彼なりの愛し方だった。
それを『苦しそうだ』と斬り捨てるのなら、一体己はどうすれは良かったというのだろう。
本能の赴くまま、イルカを求めていれば良かったのか。それで、イルカはカカシを愛してくれたのか。醜いと、恐ろしいと目を逸らさずに、受け入れてくれたのだろうか。
そう思う一方で、もし離れるというのなら殺してやる、とカカシは至って冷静に考えていた。イルカを殺して、二度と己から離れられないようにしてやる、と。
それは酷い執着心。
けれど、それこそがカカシの偽らざる本心。
今更、イルカを手離すことなどカカシには出来ないというのに。
―――・・これほどまでに想っていることを、どうしてイルカはわかってくれないのだろう?






いつの間にか、カカシの視界は大きくぼやけていた。
ある瞬間、つう、と何かが頬をなめらかに伝う。
そして、透明な雫がぽたぽたとイルカの背中にいくつも落ちた。
カカシは泣いていた。
イルカの中に自身を挿入れたまま、泣いていた。
己が泣いていることを知って、カカシは顔を歪めた。
どうして泣いているのか、己のことなのによくわからなかった。
泣きたい訳ではないのに、それでも涙は止まらない。
ちくしょう、とカカシは低く呻いていた。
それが切欠だったようにまた、ちくしょう、と言葉が口をついて出た。
イルカに対して、己に対して。この激しい感情に対して、溢れる涙に対して。
ちくしょう、ちくしょう、と何度も零せば。


「・・・ナカ・・ナイデ・・・」


ひゅうひゅうと苦し気な息に混じって、確かな音が耳に届く。
それにカカシが視線を向ければ、イルカが必死に首を捻ってカカシの顔を見上げようとしていた。床に片頬を押し付けたままの不自然な格好は、酷く苦しそうなものとしてカカシの目に映る。
それでもイルカは口元に薄く笑みを乗せて、言う。
「・・・ダイジョウブ」
まっすぐカカシを見つめるその目は、強い光を湛えていた。
何をされても消えない、イルカ自身の持つ美しい光。
それに身の内に抱える何もかもを見透かされたような心持ちに、カカシはなった。
気が付くと、カカシはイルカの背に縋りついて嗚咽を洩らしていた。
恥も外聞もなく、子供のように無防備に泣くカカシの下で、イルカは黙ってそれを受け入れていた。









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