39.のばしても

【遠い雨音 胸の花】





外から雨の音が聞こえる。
遠くから響くようなのに、いつしか室内はその音に満たされている。
穏やかなそれに耳を傾けながら、オレは目前にある銀色を何とはなしに眺める。
くすんだ蛍光灯の光の下、鈍く輝く銀色は彼の髪。
その彼は今、まるで身体全部を預けるようにしてオレに抱きついている。その耳をぴたりとオレの胸に当て、目を閉じている。
オレが壁に凭れ掛かって座っていると決まって傍にやって来て、この体勢を取りたがるのだ。
彼曰く、これが一番落ち着く格好らしい。
勿論、最初は途惑ったし邪魔だと思ったけれど、いつの間にか慣れてしまった。
そして今では逆に、こうしていないと落ち着かない辺り、慣れとは本当に怖いと思う。






彼がこうしている時、オレは大抵されるがままだ。
あまり身体を動かさないよう気を付ける以外は、頭を空っぽにして時間をやり過ごすことにしている。
それこそ以前は、どうしてこんなことをしているんだろう、とか彼は何を考えているんだろう、なんて思いを馳せることもあった。
但し、考えても仕方のないことだと悟って、いつしか考えること自体を止めてしまった。
だってオレ達は別個の人間で、ものの見方も考え方も違う。
勝手に想像してみた所で、それは想像の域を出ないのだ。
頭の中を覗き見ることが出来れば話は別だろうけれど、もし出来るとしても覗く気はない。
誰にだって知られたくない秘密のひとつやふたつはあるだろう。
そんな取り留めないことを考えていたオレの耳に届く、うっとりとした呟き。







「ああ、花が咲いたね」







・・・可笑しなことを言っているようだけれど、これもいつものこと。
なんでも、オレの胸に耳を当てていると花の開く音が聞こえてくるんだそうな。
オレには良くわからないのだけれど。







「アンタの中にはね、色んな花が咲いてるんだよ。色も形も大きさもそれぞれに違う花がたくさん。目を閉じているとね、それが見えるんだ。みんなすごくきれいなんだ」







そう言うと、彼はゆっくりと瞼を開き、続ける。







「だから、アンタはそんなにきれいなんだね」







そう言って、見惚れるくらい綺麗な笑みを浮かべる。
それにもう驚きはしないけれど、いつも胸の中で零さずにいられない。
・・・本当に綺麗なのはアンタでしょうに。
ただ実際に口に出せば、彼はたちまち顔を歪めて不器用に笑うばかりになってしまうと知っているから、決して言わない。
けれどその言葉を聞き、綺麗な笑みの乗る顔を見る度、オレは胸が引き絞られるように痛み、すっかり苦しくなってしまう。
だからそっと手のひらで彼の顔を隠して、沈黙を守る。
こんなに傍に居るのに、ぴったりとくっついているのに、今の彼はどこか遠い存在のように感じられる。
耳に届く雨音と同様、どこか曖昧に、どれだけ手を伸ばしても届かないところに佇んでいるような錯覚すら覚える。
オレは小さく唇を噛んで、それらの思いを静かにやり過ごす。






――――・・彼は今、何を思うのか。






知りたいような知りたくないような、漠然とした心のまま。
聞こえてくるのは、雨音。
包み込むような、やさしい雨音。
その中で、彼は言う。









「ああ、また花が咲いたよ」













-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system