5.とんがってる

【bankruptcy】




「愛してるよ、イルカ」
そう告げたら。
「あんたバカでしょう」
すっかり呆れきった、と言わんばかりの表情と共に冷めた声調で返される。今にも盛大な溜息さえ零しそうな、とげとげしい雰囲気。
でも、相手のこんな態度にも慣れた。
それに、オレにはもうわかっているのだ。
「あんただってオレのこと好きなんでしょ」
「……どこからそんな自信が湧くんでしょうね。冗談も程々にして貰わないと、ちっとも笑えませんけど」
「イヤだなぁ、オレはいつだって本気よ?」
「よく言う。そういうの含めて、あんたの言葉は皆嘘臭いんですよ」
「えー、信用ないなァ」
「あんたの何を信用しろっていうんですか。そもそも信用されたいなんてこれっぽちも思ってないくせに」
膠もなく言い切られる。向けられる眼差しは鋭く、咎めるような光を帯びている。声はどこまでも硬く、冷めきったままだ。
ただ、これも当然といえば当然の反応かもしれない。
彼の中ではオレと『別れた』という認識らしいから。
勿論、こちらは一切納得していない。
というより、納得出来る訳がなかった。
だって、オレは彼を愛している。愛する人間が自分から離れていこうとするのを黙って見過ごせるほど、出来た人間ではないのだ。
けれど彼はオレに別れを告げた。
その時相手の顔に浮かんでいたのは、今迄見たこともないような暗く澱んだ表情。それは心の底から疲れ切った、と訴える様子でもあった。
「……オレと別れてくれませんか。きっとその方が、あんたにとってもオレにとっても最良なんだと思います。それにもう無理なんです。あんたに付いていける自信が、オレにはない」
一方的ともいえる言葉を聞きながら、何故オレから離れていこうとするのか理解出来ずにいた。彼を愛しているという事実に微塵の揺らぎもないのに。
それでも、相手はオレから離れていった。
以降、オレの前では頑ななまでに他人行儀な言葉と態度を崩そうとしない。全身の毛を逆立てて威嚇する猫みたく、傍に寄ることすら拒絶する空気を纏っているのだ。
そんな相手と対する内に、オレの中ではある決意が固まっていった。
相手の拒絶は、ある種愛情の確認のようなものなのだろう。つまりはオレの目を自分だけに向けさせたいが故のいじらしい行為。これには、オレも覚えがある。
一度は拒絶した手前もあるだろうから、彼から復縁を、とは言い出し辛いに違いない。
変なところで頑固な相手の為に、ここはオレが寛容に接してやるべきではないか。
ならばこのまま、離れず彼の傍に居てやろう。
オレの全てで以て丁寧に愛を囁いて、改めて受け入れるまで待ってやってもいい。
そう、決めたのだ。
「本当にいい加減にしてください。付き纏われるのは迷惑です。大体、あんたも暇ではないんでしょう?」
「暇じゃないけど、顔を見に来るくらいはいいじゃないの。オレはあんたを愛しているんだし」
そう告げたら、相手の顔が一気に険しさを増した。
「あいしてる……? 一体どの口がそんなことを言うんでしょうね。まさかご自分がなさったことを忘れたとは言わせませんよ」
一気に捲し立てて、彼は今度こそ大きく溜息を吐く。
明らかに苛立っているのがオレにも伝わってきたが、何故彼がここまで苛立つのかオレにはさっぱりわからなかった。
オレは彼を愛している。この世に居る誰より彼のことを考え、また必要としている。他の何ものにも代え難い、唯一の存在だと認めている。
だからこそ彼にも同じくらい愛されたいと常々思っていた。
オレがこんなに愛しているのだから、相手からも同等に愛されたいと望むのは当然だろう。
しかしながら彼が本当にオレを愛しているのかどうか、少しも自信が持てなかった。彼は言葉や態度で大っぴらに愛情を示す人ではなかったから。
それだけでなく、彼には人を引き付ける力があった。特別何をしなくとも、彼の周囲には好意を持つ者達が自然と集まってくる。その光景を前にしてオレは幾度やきもきさせられたともしれない。
彼と付き合い出してからもずっと不安で仕方なかった。
いつか、誰かに盗られるかもしれない。
オレ以外の人間に目を向けるかもしれない。
そんなことにはとても耐えられそうになかった。
だからこそある時、煩く言い寄ってきた女に手を出してみた。
オレが言い寄られているのを見て、彼が動揺した態を見せたから。女には一切興味もなかったが、彼の反応を確かめたいが為に、抱いた。
事実を知った時、彼は酷く悲しそうな顔をした。
深く傷付いたとばかりに、不自然に歪められた表情を目にした瞬間オレは彼に愛されているのだと漸く実感が湧いた。実際、愛情のない人間が何をしようと普通なら気にも留めない筈なのだ。
オレを愛しているからこそ彼はこうして悲しんでいる。
その事実はオレに純然たる悦びを齎した。
それから度々、オレは女に手を出すこととなる。
手を出す女は毎回変えた。どんな女を抱いても何の感慨も湧かなかったから誰でも構わなかったし、執着もなかった。オレが愛しているのは彼だけ。それは一切揺らがなかった。
しかし事実を知る度に彼は憤り、オレを感情的に詰った。時折、目に涙を浮かべることさえあったほど。
そんな姿を目にして、オレは深い愉悦を覚えた。
また、一方では安堵もしていた。
彼はオレを愛している。愛しているからこそこうして苦しんでいる。
オレの行いに彼はいつも傷付いた表情を浮かべ、狼狽えてみせた。それでも最後に向けられる、縋るような眼差しが堪らなく好きだった。
その後もオレは彼に愛を告げながら別の女を抱いた。
彼にはいつだってオレへの愛情と未練とがあった。
だからこそ安心していたのに。
「愛してる、とか本当に迷惑なんです。それにオレ、別の人と付き合うことになりましたから」
あっさりと、何の感慨もなさそうに彼は言う。
そんな話は初耳だ。
「なにそれ。聞いてないけど」
「あんたにイチイチ報告する義理なんてない筈でしょう? オレ達とっくに別れたじゃないですか」
「……ねえ、そいつのこと、そんなに好きでもないんじゃないの」
だって彼はオレのことを愛している。たとえ何をされたとしてもこの人は変わらずオレを愛してくれるのではなかったのか。
ただ、もしかするとこれもオレに引き留められたいが為に言い出した話かもしれない。それならばまだ可愛げもあろう。
「オレを愛してるのに、無理しなくてもいいよ」
「……自惚れないでくださいよ。相手はあんたよか余程誠実な人です。否、比べるのも失礼なくらいだ」
「オレのことが忘れられない癖に、変な嘘まで吐いて」
「何を言ってるんだか。もう綺麗さっぱり忘れてますよ。だから、二度とオレに関わらないで貰えませんか」
強く射るような、また一方では酷く冷めきったようにも感じられる瞳を向けられる。
愛情など、欠片も存在しないその眼差しが堪らないと思う。
相手から向けられるものならば何でも堪らなく愛おしいと思っていた。
けれど今は堪らなく苦しく、また酷く憎いとも思う。
「オレ、許さないよ?」
「あんたに許して貰う謂れはありません」
そう告げた相手から、不意に息を呑む気配がした。
どうやら無意識の内に殺気が漏れ出していたらしい。それでも最早抑える気はおろか隠す気もない。
―――オレがこんなに愛しているのに、どうしてあんたにはわからないのか。
どこか怯えた表情を浮かべる相手に向けて、気持ちとは裏腹に慈愛に満ち満ちた笑みを浮かべてみせる。
「愛してるよ、イルカ」
欲しい答えは一つだけ。否定なんて、許さない。









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