8.のんびりさん

【はれたひ/うたごえ/ごごのそら】




どこからか、歌が聴こえる。

オレがまだガキだった頃、流行っていた曲だ。

とても、懐かしい。でも一体どこから聴こえてくるのだろう。

その出所を探して、ぐるりと部屋中に視線を巡らせる。

目に入ったのは、開け放たれたベランダへと続くガラスサッシの前にある猫背気味の背中。

あたたかそうな日溜りに佇んでいるところへ近付くと、その隣に腰を降ろした。

すると、歌はぷつりと止まる。

あ、残念。もっと聴きたかったのに。

そう思って隣を見遣れば、やさしい微笑みがこちらへと向いている。

整った顔立ちは表情を緩めても整ったまま、穏やかな午後の日差しにやわらかく縁取られている。

それが眩しくて目を細めたのと、彼のくちびるが再び歌をのせたのはほぼ同時だった。




歌声は、響く。

高く、低く。あまく、やさしく。

彼の歌う懐かしい歌は、青空の下、ゆるやかに流れていく。




彼は、歌う。

のびやかに。

いとしい者へ永遠を誓う歌を。

・・・それにしても、彼が歌うとどうしてこうもハマって見えるんだろう。

大体、「永遠の愛」なんて柄じゃない、寧ろ鼻で嗤う方が似合っているひとだっていうのに。

イイ男っていうのは、基本的に何をしてもサマになるものらしい。

あーあ、その手でどれだけ女のひとを騙したんでしょうね。



「あ、それ心外」



歌を中断させて、彼がこちらに視線を投げ掛けて寄越す。

どうやら、思っていた事が口に出ていたらしい。


「オレ、人前でこんな歌、歌った事ないもの」


どうだか。


「あなただから、歌いたいと思ったんだからね」


ハイハイ、話半分に聞いておきますよ。


「あ、その顔、信じてないでしょ?」


そう言って唇を尖らせる仕草が可愛らしく見えてしまう辺り、オレも相当腐っている。

でも、まあ。

「続き、歌ってくれないんですか?」

なんて、わざと色違いの瞳を覗きこむように見つめて強請ってみる。

すると彼は少しばかり驚いた顔をしてから、ふっと表情を緩めてみせた。


「あなただけ、だからね」


そう、念を押す相手の歌う声を、聴く。

なんだか妙に擽ったい心持ちがする。

けれど、決して嫌、ということもなくて。

・・・って、コラ。なにを恥ずかしいこと考えてるんだか。

熱を持ち始めた頬を持て余しながら、オレは空を見上げる。







穏やかな光。

晴れ渡る空。

ゆっくり流れる雲。

頬を撫でるやさしい風。

隣には、彼。

BGMは、昔何も思わず聞き流していた愛の歌。




ああ、なんて心地良い。




少しだけ、彼に凭れ掛かってみる。

すると。


「・・・・・」


オレの耳に漸く届くくらいの大きさで、何事か囁かれる。

その後、頬に落ちてくるやわらかい感触。

沈黙と、暫しの間。

―――・・って、それだけ?

いつもなら、それでは終わらないくせに。

オレが望まなくても勝手に手を出してきたりするくせに。

不審に思って顔を向ければ、物言いたげな様子でこちらを眺める彼とばっちり目が合う。

その、痛い位の視線から目を逸らさずにいる内に、彼が何を訴えんとしているのか、すぐにわかってしまった。



ああ、そう。あんたはそれをオレにも言わせたいんだ?

で、オレが言うまでそうして見つめてるつもりなんだ?



・・・・・あんたはガキか・・・・・。



くちびるから、小さく溜息が零れる。

本当に、こういうところが性質悪い。

強請るようなあまえるようなその眼差しに、オレが弱いのをこのひとは十二分に知っているんだから。

むかつく。

だから、はっきりとなんか絶対言ってやらないけど。


「オレもです」


漂う心地良い空気に溶かすつもりで、そっと呟いて口を噤む。

すると顔に翳りが落ちて、今度はくちびるに触れるものがあった。











それは、ある日の午後の話。










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