僕達には、ずっと守っているルールがある。



「ムック、そろそろ起きなよ」
「んー・・あとごふん・・・」
ベッドサイドからの呼び掛けに未だ眠りの淵真っ直中という声が返って、ムックの身体がごそごそと布団の奥に潜り込む。
やがてすっぽり頭まで隠れると、その動きが止まった。中で身体を丸めているのか、布団がこんもりと山のように盛り上がっている。どうやら再び寝る体勢に入ってしまったらしい。
ムックは朝が頗る弱い。そして、寝汚い。この状態で普通に起こしたところで、なかなか起きないことは僕にだってよくわかっている。だから、奥の手を使う。
「ほら、早く起きて。今朝はホットサンド作ったんだ。ムックの好きなツナと、ソーセージの二種類あるんだけどなぁ」
態とらしく声を張って、ムックにしっかり聞こえるよう布団に顔を寄せて言う。
「中にね、チーズをたっぷり入れたんだ。噛んだらチーズがとろーっと溢れ出してきちゃうだろうな」
今迄不動だった山が動いた。多分、これは後もうひと押し。
「それと一緒に、具がたっくさん入ったミネストローネと、いろんなフルーツを入れたヨーグルトサラダも付いてくるよ」
「・・・スクランブルエッグも付きます?」
「もちろん。ふわっふわのヤツがね」
「・・・おきます!」
がばっと勢い良く布団を持ち上げて、漸くムックが顔を覗かせる。その目は先程まで寝ていたとは思えないほどキラキラと輝いていた。食いしんぼうのムックを起こすにはこれが一番効くんだよね。
「じゃあ、ムックの支度が出来るまでには食べられるようにしとくから」
「わかりました、すぐに行きますっ!」
元気一杯の返事に、僕は思わず笑ってしまう。本当に現金なんだから。
そんなムックを置いて、僕はひとりキッチンへと戻る。
ホットサンドメーカーに予め具材を挟んでおいたパンをセットした後、ボウルに卵を三つ割り入れる。その中に塩と胡椒、後は少しだけ生クリームを足してしっかりと混ぜる。それを強火で熱したフライパンに多めのバターを溶かして流し込む。
じゅっ、と小気味良い音と共に流した端から固まっていく卵を手早くスクランブルエッグに仕上げる間に、ホットサンドが出来上がった。すぐに用意しておいた二つのシンプルな白のプレートにホットサンドを置き、空いたスペースに先程作ったスクランブルエッグをのせる。ムックは僕の作ったスクランブルエッグが大好きだから、いつも多めに入れてあげるんだ。
後は小さなガラスの器に盛ったとりどりのフルーツが入ったヨーグルトサラダと、スープマグには湯気の立つ具沢山のミネストローネ。違うのは、僕はホットコーヒーで、ムックには冷たいミルクを付けるところ。これで今朝のメニューは完成だ。
僕がそれらを、続きになっているリビングにあるローテーブルへ並べていると、身支度を整えたムックがやってきた。そしてテーブルの上に並んだものを見て、ぱっとその目が輝く。
「うわあ、美味しそうです!」
「じゃ、冷めない内に食べようか」
僕の言葉に「はい!」と満面の笑みで頷いて、ムックがテーブルに着く。僕もそれに倣って、テーブルを挟んで向かい合わせに座った。そのまま顔を見合わせると、ふたりしてぱちんと両手を合わせる。
「「いただきます」」
そう言うが早いか、ムックは早速ホットサンドに手を伸ばす。大きく開いた口で以て一口齧ったところで、その目がきゅっと細まって、頬の肉と唇の端が持ち上がる。とても幸せそうな表情だ。
ムックは美味しいものを食べた時にはいつもこんな顔をする。見ている方もつられて幸せな気持ちになるそれに、僕としても作り甲斐があるなって嬉しくなるんだよね。
その間にも、次々とムックの口に料理が吸い込まれていく。先程まで寝ていたとは思えないほど朝から旺盛な食欲だ。見ていて気持ちの良い食べっぷりは昔から少しも変わらない。
僕とムックは、生まれた時からずっと一緒に暮らしてきた。血は繋がっていないけど、長く同じ家で家族同然に過ごしてきたんだ。僕らを引き取って育ててくれた気の良いおばさんの家を出た後も、こうして部屋を借りてルームシェアしながらふたりで暮らしている。僕にとってムックは手の掛る弟みたいな存在だった。多分、これからもそれは変わらないんだろうと思う。
そんな僕達には、ふたりで暮らし始めてからずっと守っているルールがある。それは、どんなに忙しくても朝御飯だけは一緒に食べること=B
僕らを育ててくれたおばさんは忙しい人だったけど、家族は揃って食事をするものだという考え方を持っていた。最近では僕とムックが別々の仕事に就くことも増えていて、場合によってはどちらかが何日も家を空けることさえある。だからこそ、こうして朝だけは出来る限り一緒に食べようとふたりで決めたんだ。そうでもしないとまともに顔を合わせることも出来ないから。
忙しいのは悪いことでないと頭ではわかっても、意識して時間を取らないと顔も合わせられないのはやっぱり寂しい気もする。
そんなことを思いながらムックを見遣れば、その口元に白いものが付いていた。どうやらサラダのヨーグルトが付いているらしい。
「ムック、口にヨーグルトが付いてるよ。ほら、ここ」
僕が自分の口元に指を当てると、ムックはすぐに舌を伸ばして汚れた箇所を舐め取ろうとした。でも、その場所が違っている。向かい合う僕とムックじゃ位置が逆になることに気付いていないみたいだ。
「違う、逆だよ逆。その反対側」
そう言えば、ムックは「ありゃ、そうでしたか」なんて少し照れ臭そうに笑いながら、白くなっていたところを舐め取った。行儀は良くないけど、こういうところがムックらしくて僕も自然と表情が緩む。
「そういえば、ガチャピンは今日スタジオで収録でしたっけ」
「そう、コニーちゃんと一緒にね。確かムックは打ち合わせだったよね」
「そうなんです。今度グルメリポートのロケがあって。その後、別の収録にも行ってきます」
「そっか、じゃあ帰るのが遅くなりそうだね」
「ええ。早かったら御飯を一緒に食べたかったんですけど。実はわたくし、この間美味しいラーメン屋さんを教えて貰いまして。きっとガチャピンも気に入ると思うんです」
「へえ、いいね。なら今度一緒に行こうよ、予定を合わせてさ」
「はい、行きましょう!」
こんな他愛のない約束でも、ムックはとても嬉しそうな顔をする。なかなかオフが合わない所為で、近頃ではふたりでまともに出掛けたのは数えるくらいしかない。それでもムックの嬉しそうな顔を見ると僕も嬉しくなるから、ついこうして約束してしまうんだよね。
「・・・っと、そろそろ時間が大変かも」
 僕の肩越し、壁に掛った時計を見ているらしいムックが少し慌てたように言う。それに背後を振り返って見遣った時計の針は、いつもより進んだ時刻を示していた。うわ、これはマズイ。
 それでも、食事の終わりにはぱちんと両手を合わせて。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末さまでした」
言い終わるや否や、僕達はそれぞれ慌ただしく立ち上がり、出掛ける支度にかかった。
出るまでに少し余裕のある僕が洗い物をしているところで、ムックがキッチンに顔を出して「じゃあ、先に出ます!」と声を掛けてくる。それに「いってらっしゃい」と返した声に、バタバタと賑やかな足音が被る。そのままムックはマンションを出たらしく、玄関の扉が閉まる音も聞こえてきた。さて、僕も急がないと。
洗い物を済ませると、すぐに自分の部屋に入ってショート丈のダッフルコートを身に纏う。次いで机に置いていたカバンを片手で引っ手繰るように掴んで玄関へ向かう。確実に、いつもより部屋を出るのが遅くなってしまっている。
僕は遅れを取り戻すべく、スニーカーを履くのももどかしく玄関を飛び出すと最寄駅までの道を急いだ。





以下、本に続く




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