26.こどもでも

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【SOLEIL 1】




過去、「汝、一筋の刀たれ」と言った者が居た。





研ぎ澄まされた刀の持つ、ぴんと張りつめた緊張感とその圧倒的な力を以て、容赦なく他を、そして己を斬り捨てられる道具になれと。
それを耳にしたのは、奇しくも『天才』と呼ばれ、幼くして戦場を駆けていた頃だった。
殺らねば、殺られる。それが日常として在った頃。
その話を誰に聞いたのかすら、今となっては定かでない。ただそれにも特別感じるものはなかったように思う。己を道具として扱われることに、当時のオレは何の疑問も抱いていなかった。忍など使い捨ての駒に過ぎないことを既に身を持って知っていた、というのもあるし、完璧な道具になりきれなかったからあの人 ――― オレの父は死んだのだと、子供の頭でも理解していた、というのもある。
だから尚更、只の道具で在ろうとしていたオレに、何の因果か今度は「人であれ」と言う者が出てきた。






「やあ、キミが噂の『天才』くん?」





演習場で一人鍛錬に励むオレに気安く話し掛けてきたのは、全く面識のない男だった。
昼下がりの陽光を受けて金色に輝く髪に、頭上に広がる鮮やかな空に似た色の瞳。そしてその顔には、へらりと緊張感の欠片も無い笑みが浮かんでいる。
オレは何も答えず、鍛練の手を止めることもなかった。いきなりやって来た胡散臭そうな男に、口を利く義務は無いと判断したのだ。
それでも男はゆっくりオレの方へと歩み寄りながら、一方的に話し掛けるのを止めなかった。
「キミ、道具になりたいんだってね」
「・・・・」
「うーんでも、道具って感じじゃないよね」
「・・・・」
「だってキミはどう見ても人の子だし」
そう言うと、男はポンとオレの頭に手を置いた。まるで子供にでもするようなそれは、男にとって何気ない行為だったのかもしれない。ただ、当時のオレはこの仕打ちに苛立つものを覚えた。オレは『特別』な『天才』だったから、戦場でも里でもこんな扱いをされたことは一度もなかったのだ。
・・・とは言っても、周囲の大人たちは皆遠巻きにオレを見るばかりで、傍に寄って来る者など誰ひとり居なかったのだが。
それでも普通の子供と同様に扱われたことが、オレには大層腹立たしかった。男に舐められていると思わずにいられなかった。
オレは頭に置かれた手を振り払うと、殺気を籠めた眼差しを向ける。こうすれば大抵どんなヤツでも怯んで、慌ててその場から去るか、すぐに赦しを乞うてくるのが常だった。
しかし、目の前の男はそのどちらでもなかった。
「ちょっと、怖い顔しないの。そんな顔してる子には・・・こうだ!」
そう言うと、脇の下に手を差し込まれていた。
隙を見せたつもりもなければ、油断をしていた訳でもない。それでも手を避けられなかったことに目を剥いているオレの前で、男はにやりと人の悪そうな笑みを浮かべた。そして次の瞬間、思い切りそこを擽り出したのだ。
またそれが、擽ったいのなんのって。
笑いたくもないのに勝手に声が洩れて、自然と身体からは力が抜けていく。今迄誰からもこんな攻撃を受けた覚えがなかった。
だからこそ、こんな単純な行為がどれだけのダメージを相手に与えるか、生まれて初めて思い知らされる羽目になっていた。
その手から逃れようと懸命に身体を捩らせるのだが、男はその動きにもピッタリと付いてくる。オレの弱い部分を的確に、また執拗に擽られ、オレは涙目になっていた。笑う声も既に嗄れて、ひぃひぃと引き攣る息を漏らすので精いっぱいだ。
「もうそろそろ降参?なら、『いや〜ん、おやめになってぇ、お代官サマぁ〜v』って言ったら止めてあげる」
追い詰められていたオレは、男の提示してきた屈辱的な条件を深く考えることも出来ずに受け入れていた。
それに満足したのか、男が漸く脇から手を外す。
すぐさま後方に飛び退いて一定の距離を取ったオレに、男はおやおやと言わんばかりの様子で眉を持ち上げてみせながら。
「・・・それにしても。キミはどうして道具になりたいの?」
先程とはうって変わって静かな声で訊ねてくる。それに戸惑うものを覚えつつも、男を睨みつけるようにしながら答える。
「戦場で必要なのは他を圧倒する力であり、それを生み出す道具の筈。付随する感情は、足手纏いにしかならない。ならばオレは道具でいい。ひとを殺す道具であれば、それでいい」
そうでなければ、己が生き残れない。オレが生きてきたのはそういう世界だった。
しかしオレの言葉に、男から返るものはなかった。
黙したまま、しんと静まった眼差しばかりを向けられる。その清んだ空の色に射られると、自分が正しいことを述べている筈なのに途端にそれが足元から揺らぐ気がした。
「だってそうじゃないか。忍として完璧である為には道具にならなくちゃいけない。感情があるから迷いが生まれる。迷いの先には何がある?失敗だ。死だ。道具なら、道具だったら、オレは・・・」
いつしかオレは必死になって喋っていた。
己は間違っていないと声高に叫んでいなくては、何かが折れてしまう気がしていた。だから思いつく限りの理由を口に出した。否、出さずにはいられなかった、という方が正しいかもしれない。
そんなオレの様子に、目前の男が薄く微笑む。
「・・・ま、戦場でならそうかもね。でも、キミは戦場だけで生きてる訳じゃない。それに生きる為にもっと必要なものだってある」
その時、一陣の風がオレたちの間を吹き抜けた。
風を受けて、演習場内に生い茂る木々が一斉にさわさわと音を立てて揺れる。靡く男の髪は鮮やかに光を弾いたが、その濁りのない瞳は真っ直ぐにオレを捉えている。
それを目にした瞬間、喉元を抑えられている訳でもないのに急に息が詰まった。時を置いても治まらない息苦しさに、自然と息使いが荒くなる。オレはすぐさま男から目を逸らして俯いていた。
これ以上、男の言葉を聞きたくないと思った。聞いてはいけないと、頭の中で告げるものがあった。聞くことが恐ろしいとすら思った。
けれど、男はゆっくりと口を開くと、オレに語りかける。
「それを、キミは知る必要があるね」
再びポン、と頭に手を置かれる。いつの間に距離を詰めたのだろうか。
しかし今度はもう、その手を振り払うことは出来なかった。
俯いた顔を上げることすら、叶わなかった。






それから男はオレを引き取って、その手元に置いた。
その男はオレが唯一、『先生』と呼んだ人だった。







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