26.こどもでも

PREV | INDEX

【SOLEIL 3】




その日は、オレの中で一生忘れられない日になった。






闇に浮く禍々しい紅い月の下、響き渡る轟音に重なる悲鳴と怒号。
里の其処彼処から上がる火の手。崩れ落ちる建物。次第に紅く染まっていく闇。
親を探して泣き叫ぶ子供。虚空を見つめたまま、動けなくなった老人。逃げ惑う人々。
瓦礫の中に覗く手。無残に引き千切られ、地に張り付く肉片。潰され、男女の判別さえ付かぬ遺体。
立ち上る血臭に、饐えた空気が混じり、漂う。正に阿鼻叫喚と呼ぶに相応しい里の中で、地を這うような獣の咆哮が轟く。


九尾の災厄。


壊滅的な被害が齎される中で、『先生』は皆の先頭に立って里を守るべく動いていた。それに続こうと急いで場に駆けつけたオレを見て、その人は相変らず緊張感の欠片もない笑みを浮かべた。
「なんだ、来ちゃったのかい。仕様のない子だねぇ」
気の抜けた物言いの後、僅かにその表情が引き締まる。
「悪いけど、ここでキミがすることは何もないよ。待機を命じてあったろう?」
・・・確かに、そう言われていた。でも、素直に聞くことは出来なかった。だってあなたが、大事なものを守る大切さをオレに説いてきたんじゃないか。
「オレは、最後まで傍に居ます」
強い決意を籠めた言葉にも「いや〜、オレって愛されてるねぇ!」なんて『先生』は茶化したように言う。それに苛立つものを覚えているところで。
「でもダーメ。キミは連れて行けないよ。だってオレは欲張りだから、この里も、ここに生きる人達みんな大事で、守りたいんだ。勿論、キミもね」
珍しく真面目な顔で言うと、『先生』は真直ぐオレを見た。鮮やかな空の色を映し込んだ瞳はこんな時でも変わらず曇りのないままだった。
「だからさ、これからはオレの代わりにキミがオレの大事なものを守ってよ。キミならやってくれるだろう?」
言外に滲む、残酷でいてどこか確信犯的な響き。
しかしながら、否定を許さない強さを持つそれにオレは思わずぎゅっと唇を引き結んで俯く。そんなオレに向かって、『先生』からふと息を漏らす気配が伝わった。
「不肖の師匠で最後まで苦労を掛けるけど・・・後は頼んだよ」
またしても軽い調子で告げられ、ポンと頭に手が置かれる。それが離れてから慌てて顔を上げた先にあったのは、彼の人の背中。
沢山のものを抱えて、それでも尚潰されることなく凛と在る姿に、オレはこれ以上自分が何もすることは出来ないのだと悟った。
だから歯を食いしばり、『先生』を見送った。
瞬くことも忘れて、紅い闇の中に消えゆくその背中を。
・・・でも本当はあの時、オレは何よりあなたを守りたかった。
里よりも、里民よりも、仲間達よりも。
オレの守りたい大事なものは、『先生』あなただったんだ。
この手も、この身体も、全てあなたを守る為にあるんだと思っていたのに。







そうして生き残ったオレは、これから自分がどうすべきかを考え・・・結局『先生』が望んだ通り、彼が命を賭して救った里を守ろうと決めた。彼の意思を無碍にすることは、どうしてもオレには出来なかったから。
それからは自分に出来ることを、ただ我武者羅にやってきた。
勿論、辛いことも、苦しいことも沢山あった。『先生』のいない現実に打ちのめされることも一度や二度ではなかった。
それでも、再び道具になりたいとは思わなかった。
人であることを忘れそうになる度、より一層人であろうと必死に足掻いていたように思う。人でなければ、『先生』と共有した時間が、思い出が、薄っぺらで無意味なものになりそうだったから。
その間にも着実に時は流れ、オレはひょんなことから初めて部下なんてものを持った。
その繋がりで、『先生』と同じように・・・否、それとはもっと別な部分で大事だと思える人も見付かった。
大事な人の傍は、それはあたたかで、おだやかで、やさしくて。オレは、ますます人になって。
もう、道具になることを望んでいた頃のことはちっとも思い出せないけれど。







「――――・・何ニヤニヤしてんですか、アンタは。気持ち悪い」
掛けられた声に、物思いに耽っていた意識が現実に戻ってくる。
そのオレの隣に並び立つ彼は胡乱な目を向け、呆れたように言う。
「大体、こんなトコで不謹慎でしょうが」
今、オレと彼は慰霊碑の前に居る。
ふとしたきっかけで、オレと『先生』とのことを話したら、彼からここに来たいと言い出したのだ。
ただ、彼が何を思ってここに来たがったのかは知らないけれど。
「・・・オレ、そんなにニヤニヤしてた?」
「ええ、ばっちり。やらしい顔してました」
どこか拗ねたよう言った後、彼はひとつ息を吐いてみせた。そして改めて慰霊碑へと向き合う。
「最初にアンタと『先生』とのことを聞いた時、少し妬けたんです。だってアンタが『先生』のことを宝物みたいに大事そうに話すもんだから。・・・でもね、『先生』が居なかったら今のアンタも居なかったんだって思ったら、ちゃんとお礼を言っておかないとって思ったんです」


――― ありがとうございました。


そう言って、慰霊碑に向かってペコリと頭を下げた彼が、ゆっくりと顔を上げてから続ける。
「これからはオレがこの人、大事にしますんで安心して下さいね」
うっかり見惚れるくらい眩しい笑顔を見せる相手に、オレは心底惚れ直していた。基本的に、オレよりか男前な人なのだ。
そんな彼を横目に見ながら、オレも慰霊碑に向かい合う。











ねえ、『先生』。
今、オレの守りたい大事な人はこの人なんです。
オレはこの人と、あなたが守ってくれたこの里で、人として生きています。
きっとこれからも、多分オレが死ぬまでずっと。
だからもう、道具にはなりません。
きっとなれないし、なりたいとも思わない。
これは全てあなたのお陰です。ありがとう。











そう、心の中で呟けば。
一瞬。
ほんの、一瞬。
頭に、あの懐かしい手の感触があったような気がした。










PREV | INDEX

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system