君と 僕と もどかしい距離

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「じゃあ、行ってくるね」
大きな荷物を抱えたガチャピンが、玄関先でわたくしに声を掛けます。
それに返す言葉は勿論、「いってらっしゃい」。
頑張って、気を付けて、お土産をお願いします、なんてオマケを付けることもあるけれど。そのように言えばガチャピンは決まって、わかってる、とでもいいたそうな顔で微笑むのです。
けれどわたくしはいつも上手く笑い返すことが出来ません。
口元が引き攣って、どこか不自然な笑みになってしまうのです。
それを誤魔化そうとすればするほど、上手く笑えないのです。
だって、本当は。






『君と 僕と もどかしい距離』






さざめく笑い声が鼓膜を無遠慮にノックするのに耐えきれず瞼を開けば、煌々と明かりの点る室内と点けっぱなしのテレビが目に飛び込んできました。
テレビ画面の中では、沢山の男女が椅子に座っています。どうやらトーク番組のようで、司会者らしき男の人が共演者を相手に面白可笑しい話を繰り広げている最中でした。司会者が何かを言う度、皆弾かれたように声を上げて笑います。さざめきの元はここだったようです。
クッションを頭の下に敷き、二人掛けのソファへ身体を横たえた格好のわたくしは、どうやらテレビを見ている間に眠ってしまったようでした。テレビボードの真横にある、背の低いキャビネットの上に置かれたアルミフレームのデジタル時計に目を遣れば、眠ってからさほど時間が経っていないことを教えてくれます。
何気なくテレビに目を戻せば、画面には最近活躍が目覚ましい若い俳優が映し出されていました。


「―――前に付き合っていた彼女は妙に束縛したがるというか、自分の都合ばっかり押しつけてくる子だったんです。メールの返信が遅れたり、仕事でちょっと会えないとすぐに『私のことを何だと思ってるの!』なんてヒスっぽく電話してくるような子で。いつだったか、『私と仕事とどっちが大事なの?』って聞いてこられた時には、正直引きましたよ」


笑いながら、どこか無邪気にも見える様子で話しているのを眺めていると、目の前のテーブルに置いていた携帯が鳴りました。メールの着信のようです。わたくしはソファに横になったままテーブルに手を伸ばします。
メールはガチャピンからでした。
『やあムック元気?』から始まるメールは、今日は何処其処に行って誰の何某に会った、というようなことが楽しげに綴られています。それを、ふうん、と他人事のように思いながら眺めていると、最後に。

『ムックの方はどうだった?』

その一文をじっと見つめてから、少し考えて。

『いつもと同じ、何も変わりませんよ。』

そう、返信メールを打ち始めます。
ガチャピンが仕事で全国各地を二週間掛けて回るイベントに参加して、今日で丁度一週間。その間、ガチャピンからは毎日このようなメールが届いていました。
但し一日に一回、夜だけです。例外はありません。でもこれもいつものこと。いつの頃からかガチャピンが仕事で遠くに出掛ける時にはこんな形になっていたのです。
仕事で忙しいだろう人をあまり煩わせたくないという思いから、わたくしから電話やメールを殆どしない所為かもしれません。もしかしたらガチャピンはわたくしが電話やメールがあまり好きではないと思っている・・・もしくは単に無精者と認識しているのかも。そうだとしたら、大きな誤解ですけれど。
それでも毎日、今日の出来事的なものをメールしてくるガチャピンに、わたくしもその日あったことを簡単に纏めて返信するようにしていました。ただ、文章の最後に付ける言葉だけはいつも同じ文句と決めているのですが。
今日も勿論、お決まりのパターン。

『どうぞ、明日も頑張って下さいね。』

そう打ち込むと、携帯を握りしめたままわたくしはソファの上で寝返りを打ちました。
仰向けに寝転がって、暫くディスプレイを見つめます。打ち込んだ内容をもう一度読み返し、少し迷ってから送信ボタンを押しました。その後、なおざりに携帯をテーブルに置き、顔を覆うように腕をのせます。
―――・・ガチャピンに頑張ってもらいたい気持ちは本当なのだけれど、でも。
そんなことを思いながら、顔に掛る腕の重みと覆われた視界に広がる暗闇の中でわたくしは静かに溜息を吐いていました。






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