Slow Quick Slow Slow




それからムックは僕のことを避けるようになった。
仕事場で会ったら挨拶こそすれ、酷く他人行儀。目が合っても逸らされるなんてことは日常茶飯事だった。
僕から話し掛ければ、「ああ」とか「はい」なんて生返事ばかりだから会話なんてちっとも続かない。
それでも何か話したくて彼是話題を振っても、「すいません」の一言で呆気なく打ち切られてしまう。
今ではムックは控室にも居着かなくなっていた。
用事を済ませたら、僕を置いてさっさと出て行ってしまうんだ。
今迄だったらずっと一緒に居るのが当たり前だったのに。
仕事帰りに一緒にご飯を食べに行くことや、オフの日に遊ぶなんてこともなくなった。
直に誘っても断られるし、電話にも出てくれない。
藁にもすがる思いでメールを送っても返事が返ってこないんだ。
流石にこちらからのアプローチにも限界ってものがある。
その代わりみたいに、ムックが女の子と一緒に居る姿をよく見掛けるようになった。
二人でじゃれ合いながら身体をぴったりとくっつけている姿を目にして、もやもやしたものを覚えたのは一度や二度じゃない。
最近では二人の姿を見るだけでも、もやもやしたものが涌いてくる始末。
僕には話し掛けてもくれないのにあの子とは楽しそうに喋って、笑って。
・・・正直、狡いと思う。今迄そういうのは全部僕にも向けられていたのに。
最後にまともに目にしたムックの顔は、悲し気に強張ったものだった。
その顔はふとした瞬間に頭の中へ蘇っては胸を締め付け、息を苦しくさせる。ついでに僕のもやもやを更に増やしていく。


「あーもう、なんだよ・・・」


小声の呟きでも一人の室内には案外大きく響く。
次の収録まで長めの待ち時間があって、でもムックと顔を合わせているのが辛くて逃げるように控室に戻っていた。
だってムックの隣には必ずあの子が居るから。
二人の睦まじい姿を今はとても見ていられなかったんだ。
「ムックの、バーカ」
再び呟いたところで、携帯にメールの着信があった。
―――もしかしてムック?
淡い期待を抱きつつメールを確認して、すぐに僕は項垂れそうになった。
メールは・・・マイメロちゃんからだったんだ。


『ガチャピンは今日もお仕事かな。もし時間が空いてたら一緒にお茶しない?わたし次のお仕事まで時間が空いちゃったの。』


僕はその文面をぼんやり眺めてから、行くと返信していた。
なんとなく、このまま控室に一人で居たくない気分だったんだ。
今回の待ち合わせ場所はスタジオ近くの小さなカフェだった。
店に着くと、入口から少し離れた壁際の席にマイメロちゃんの姿があった。その目の前にはアイスティーと思しきグラスが置かれている。
マイメロちゃんは僕を見て、にっこりと笑ってみせる。相変わらずマイメロちゃんは可愛い。
でも前みたいににっこりされても心が浮き立つ感じはしなかった。
今は浮き立つ要素が全部身体の奥底に沈み込んでいる気がする。持ち上がる気配は僅かもない。
それでも相手に悟られないように「ゴメン、待った?」と明るく訊ねながら席に着く。
けれどマイメロちゃんは僕をじっと見た後で、一言。
「・・・なんだか元気ないね?」
「そう、かな」
「うん。すこし疲れてるみたい。何かあったの」
零れ落ちそうな黒目がちの瞳が、心配そうに僕を見つめている。
そんなに、顔に出ているんだろうか。傍に鏡がないから自分では確かめようがないのが痛い。
ただその時、何でもないと誤魔化すことは出来た筈なんだ。
でも実際、僕の口から出たのは。
「・・・ムックが、僕を避けててさぁ」
至って正直な告白。マイメロちゃんにこんなことを言うなんて。
そう思ったけど、本当はずっと誰かに聞いて貰いたかったのかもしれない。
そこから堰を切ったように言葉が次々に溢れ出していった。
「別に喧嘩したって訳じゃないんだ。それでもずっとヘンな感じなんだよね。僕には話し掛けてもくれないのに、他の人と楽しそうに喋ったり笑ったりしてるのを見るだけで苛々して、何で僕ばっかりって腹が立つ。でもその後で、すっごく悲しくなって落ち込むんだ。今迄こんなことなかったのに、って。ムックが傍に居ないと、どうも調子が狂うみたい・・・」
そんな僕の話を黙って聞いていたマイメロちゃんは、ある時ぽつりと言った。
「ガチャピンって、本当にムックが好きなんだねぇ」
「えっ」
思わず、声が出た。どうしてそういう話になるんだろう。
というか。
僕が、ムックを、好き?
「そうだよ。ガチャピンはムックが今迄みたいに喋ってくれなくてさみしいんでしょ」
「うん、まあ」
「それで、他の子と仲良くしてるのを見るとすっごくムカつく」
「そう、だね」
「でもね、もしそれがムック以外の相手だったらどう?たとえばわたしとか」
「どう、って。そうだなぁ・・・避けられたり、無視されたら悲しいと思うけど」
「それって、今のムックの時と同じみたいな気持ちになる?」
「・・・ならないかも」
ちょっとしたことでもやもやしたり、苛々したり、悲しくなったり、苦しくなったり。
そんなことは今迄、他の誰が相手でもなったことがないんだ。
僕の言葉に、マイメロちゃんはどこか得意気な顔つきで言った。
「そうでしょう。それって、ガチャピンがムックを特別に好きだから、だよ」
「特別に、好き?」
「最初に会った時ね、わたしガチャピンとムックが一緒に居ると誰も間に入り込めないように感じたんだ。あ、この二人はお互いがお互いをすっごく好きで好きで仕方ないんだな、ってすぐにわかったよ」
満面の笑みで言われて、僕は戸惑った。
確かに今みたいな状況になる前は仕事でもプライベートでもしょっちゅう一緒に居たけど。マイメロちゃんから見たら僕達ってそんな風に見えてたのか。
でも、今何より問題にするべきは。
「僕・・ムックが好き、なのかな・・・?」
首を捻っていると、マイメロちゃんは驚いたような、それでいて少し呆れたみたいな顔で溜息を吐いた。
「鈍いなあ、ガチャピンは。クロミちゃんも、ララちゃんも、キティちゃんも、勿論わたしだってわかったのに」
「えええっ?!」
意外な名前を出されて、僕は声を上げたきり暫し固まった。
だってそれ・・・みんな僕が告白した相手じゃないか!?
「女の子はね、相手がどのくらい自分のことを好きなのかってなんとなくわかるんだよ。こういうの、男の子はちっともわからないんだね」
そう言って、悪戯っぽく微笑まれる。
マイメロちゃんの言葉でいけば、告白した相手みんな僕が本気で好きじゃないって思ったってことなのか。
でも確かに、みんな可愛くて好きだったけど、一人にフラれてもすぐ次、ってなってたな。
じゃあムックは。
―――・・避けられてるのがわかって、辛かった。
あの女の子だけじゃなくて、他の誰かと仲良くしているのを見ただけで胸の中がもやもやしたし、苛々した。
どうして僕だけ、って悲しくなった。今だって、そのことを考えると胸が詰まる。苦しくなる。
他の誰でも、どんなに可愛い子でも、そんなことにはならない。
それってやっぱり・・・僕がムックのことを好き、だからかも。
段々自分の気持ちの整理がついてきているところで、目の前のマイメロちゃんが僕の顔をまっすぐに見つめて言う。
「早くムックと仲直りしてね、ガチャピン」
「・・・うん、ありがと」
僕の言葉に、マイメロちゃんは見ている誰もが微笑み返したくなるような笑みを浮かべて「がんばれ」と言ってくれた。





マイメロちゃんと別れてから、僕は控室に戻らず直接スタジオへ向かった。
こうなれば善は急げ。少しでも早くムックと話がしたいと思ったんだ。
こういう時、行動力のある自分を褒めてやりたい。
ムックに会ったら、今の僕の正直な気持ちを伝えるつもりだった。
もしかしたら引かれるかもしれないけど、それでもこのままの状態で居るよりはいい。
スタジオでムックを探していると、セットの裏手でその姿を見付けた。
でも、ムックの前にはあの女の子が立っている。さっきから二人で見つめ合うような格好で話をしているから、僕には少しも気付いていないらしい。
湧き上がる不愉快な思いを押し殺しながら近付いていくと、耳に女の子の声が入ってきた。
「ムック、あたしのことどう思う?」
どこか媚びるような口調で問う女の子に、ムックは笑いながら答える。
「どうって。そうですね、可愛い妹みたいに思っておりますぞ」
「そんなのイヤ!」
そう言うと女の子はぷうっと可愛らしい仕草で以て頬を膨らませた。
すぐにムックの腕を取って、自ら身体を擦り寄せるようにくっついてみせる。
「あたしは、ムックが好きなの。ねえ、あたしと付き合おうよ?」
甘えた声を出して、ムックを見上げている。
その様子を目にした僕は、一気に頭に血が上った。
気付くと、僕は二人の間に強引に割り込んでいた。
「が、ガチャピン?」
「ねえ、ちょっと僕に付き合って」
驚いた顔をするムックから女の子を引き離すと、そのまま腕を掴んで歩き出す。
「ちょ、ガチャピン!」
非難するようなムックの声は聞こえないフリをした。何を言われたって構うもんか。
一方の女の子は僕達を追ってこなかった。腕から引き離した時点で呆然としていたから、未だ事態が呑み込めていないのかもしれない。
それに少し、胸がすっとする。
僕はムックの腕を掴んだまま、控室まで戻ってきていた。
控室に入った途端、ムックが僕の手を力づくで振り払う。
「ガチャピン、何ですか一体!」
檄した様子を隠そうともせず、きつい口調で告げて僕を睨んでくる。
それに僕はカッと頭に血が上って、つい気持ちとは正反対のことを口走っていた。
「あんなところでああいうことしないでくれる!?僕への当てつけかと思うじゃない!」
僕の言葉に、ムックの顔が盛大に歪んだ。
それを目にしてはっとする。違う、そんなことが言いたい訳でも、そんな顔をさせたい訳でもないのに。
焦る僕に、ムックは歪んだ顔のままきっぱりと言った。
「そんなの・・・ガチャピンに関係ないでしょう!」
ムックの言葉が、鋭いナイフみたいに深く突き刺さってくる。
途端にじくじくと痛み出す胸を上から手で押さえながら、それでも僕はムックに向かい合う。だって、このままでは終われないんだ。
「関係、なくはないよ」
「え?」
「だって僕・・僕はムックが・・・」
暫くもごもごと口の中で言葉を転がしながら、それでもどうにか決心を付けて言う。
「僕は、ムックが好きだから」
耳が熱い。顔にも熱が集まってきているのを感じる。きっと顔全体が真っ赤になっているに違いない。これってかなり格好悪いよね。
集まる熱を誤魔化したくて、僕は急いで言葉を次ぐ。
「だって仕方ないじゃない!気付いたら可愛い女の子よりムックのことを目で追っちゃうし、ムックが女の子と喋ってたら苛々するし!それに・・・なんで僕のことを見てくれないのかってもやもやしっぱなしだし」
こんなことを言って気持ち悪いと思われても仕方ないと思う。
実際、僕だって自分のことなのに未だに戸惑っているんだから。
それでも、これが僕の正直な気持ちだった。
全てを口に出した後で、恐る恐る相手の様子を覗う。
ムックは、ぽかんと呆けたような顔つきで以て僕を見ていた。
口なんて半開きでかなり間が抜けたことになっている。
「ムック・・・?」
「ほ、ほんとうに?」
そう訊ねてきたムックは、今度はへにゃりと眉を下げた情けない顔で僕を見ていた。
それは困っているような、不安なような、それでいて照れているようにも見える顔。
それを見た僕は、不覚にも可愛いと思ってしまった。こんな時なのに何を考えてるんだか・・・。
「うん、本当」
正直に告げれば、今度は「どうしよう」と呟いたムックが泣き出しそうに顔を歪めた。
いきなりこんなことを言ったから引いたのかな。それかもしくは困っているのかも。だって僕達男同志だし。でも、泣きそうになるほど嫌なんてなぁ・・・。
僕も少し泣きたくなっているところで、相手がぽつりと零す。
「わたくしも、です」
「・・・え?」
出した声は見事に裏返っていた。さっき自分の耳で聞いた言葉がすぐに信じられなかったんだ。
そんな僕に向かって、ムックははっきりと言った。
「わたくしもずっとガチャピンが・・・好きです」
僕は完全に思考停止状態だった。だって突然のこと過ぎて頭が全くついていかないんだ。
それでもどうにか、ムックがずっと僕を好きだった―――つまりムックが言っていた好きな相手は僕、ということを理解した。
本当にマイメロちゃんの言う通りだったんだ。
「でもガチャピンはいつも女の子のことばかり見ていましたから、わたくしの入る余地なんてないんだろうって。だったら、友達としてでもいいから傍に居たいと思っていたんです。ただ、可愛い女の子を紹介するとか、アシスタントの女の子を好きな相手なんて言われたりして、正直ショックだったんです。辛くて、悲しくて、もう諦めようかとも思っていたところだったから。・・・どうしよう、うれしいです。とっても、うれしい」
頬を赤く染め、僅かに潤んだようにも見える瞳を僕へ向けるムックに、僕の心臓は煩く鳴りっぱなしだった。
この顔は正直反則だと思う。
だって、どうしようもなくムックが可愛く見えちゃうんだから。
可愛くて、僕のことが大好きで、一緒に居るとこっちまでめろめろになっちゃうような子はこんなに近くに居たんだ。僕が気付かなかっただけで。
「僕も驚いてるけど・・・でも、そういうことだから。だからさ、これからはちゃんと僕を見て?」
僕の言葉に、ムックは嬉しそうに「はい」と頷いてくれた。
それに胸が温かくなるのを感じる。好きな相手がちゃんと自分のことを好きでいてくれるってこんなに嬉しいものなんだ。
浮かれそうになっているところで、ふと思い出す。
そうだ、これだけはムックに言っておかなくちゃ!
「僕が居るんだから、ムックは他の女の子とあんまり仲良く喋っちゃダメだからね!あと、僕の知らないところで二人きりになるのもダメだよ!!」
ムックと他の女の子が喋っているのを見ただけで、自覚がないのにあんなに不愉快な気分になったんだ。もしこれからそんな場面を目にしてしまったら、絶対我慢出来ない気がする。
けれど大真面目な僕とは対照的に、ムックはどこか呆れたように言う。
「・・・それは、そっくりそのままガチャピンにお返しします」
「え、僕ぅ?」
「そうですよ!女の子達と楽しそうに喋るガチャピンにわたくしがいつもどれだけやきもきさせられたか・・・!!!」
「そう、だったんだ」
「そうですっ!ガチャピンったら本当に鈍いんですから!」
詰るように言いながらも、ムックの顔には笑みが浮かんでいる。勿論、僕の顔にも、だ。
こうして顔を合わせて笑っていられるだけで嬉しいと思う僕は、やっぱりムックが好きなんだと思う。
「ねえ、ムック」
「はい?」
「これからは、僕にはムックだけだから」
僕の言葉にムックは驚いたように目をまん丸く見開いた後、再び頬を赤く染めた。
そして恥ずかしそうな照れくさそうな、それでもとびきり幸せそうな顔で笑ってくれた。
その顔を見て、僕は無性に嬉しくなる。
すぐに両手を伸ばして、ムックの赤い頬をそっと包み込む。
「ムック」
名前を呼べば、ムックは僕をまっすぐに見た。
僕も、まっすぐにムックを見つめる。
そして少し背伸びをした僕と、少し背中を丸めたムックの唇はそっと重なった。






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