Slow Quick Slow Slow




控室を出た僕はファミレスまでの道を走った。
もしムックに知られたら「そこまでしなくても」と呆れられそうだけど、僕の足は止まらなかった。
だって少しでも早くマイメロちゃんに会いたかったから。
ずっと走った所為か、ファミレスに着いた頃には僕の息は上がっていた。
それを相手に悟られないよう、呼吸を整えてからファミレスに入った。
入口の扉近くで足を止めて、視線を店内のあちこちへ向けてみる。
人が疎らに入った店の中、探し人はすぐに見付かった。
奥まった席に着いていたマイメロちゃんは僕に気付くと、にっこり微笑みながら手を振ってくれる。
それに僕も笑顔で手を振り返して、席まで急ぐ。
「ゴメン、待った?」
「ううん、全然」
僕の言葉にふるふると首を振ってみせるマイメロちゃんはいつもと同じ・・・否、いつも以上に可愛く見えた。
自然と脂下がっていく顔を自覚しながら、僕はテーブルを挟んで向かい合うように座る。
するとマイメロちゃんはテーブルの隅に立て掛けてあったメニューを、僕に対して正面にくるように広げてくれた。
でも実際はメニューよりマイメロちゃんの方が気になって仕方ないんだけどね。
「ここのオムライスが美味しいんだよ。卵がね、半熟でとろとろしてるの」
一生懸命に喋るマイメロちゃんの声は、相変わらず甘くてどこか舌足らずだった。卵よりも声の方がよっぽどとろとろしている気がする。
勝手に緩んでいく口元を気にしながら、僕はどうにか平静を装った声を出す。
「そうなんだ。じゃあ僕、それにしようかな」
「うん。わたしも同じのにする」
すぐに店員を呼んで、二人分のオムライスを頼む。
注文を取り終えた店員が席から離れるとすぐにマイメロちゃんが喋り出した。
「ガチャピンはお仕事だったの?」
「うん、ムックと一緒にスタジオで収録だったんだ。でも僕の方はもう終わってるよ」
そう言えば、「おつかれさま」とマイメロちゃんからとびきりの笑顔を向けられる。
くうっ、やっぱり可愛い!それにすっごく癒されるなぁ・・・!!
なんてしみじみ思いながら改めてマイメロちゃんを眺める。
今日のマイメロちゃんは女の子らしいパステルピンクのワンピースと、触ったら折れてしまいそうな手首にカラフルなキャンディを連ねたようなブレスレットを着けていた。
それを見ていて、ふと思い出す。
「そういえばさ、今日ね・・・」
収録の合間、控室のテーブルに置いてあったムックのお菓子を僕はそうと知らずに食べちゃったんだ。
そうしたら、そのことを知ったムックがぷうっと頬を膨らませて、「アレを食べないと元気が出ません」なんて拗ねてしまった。
控室の隅っこで膝を抱えて動かなくなった相手はどんなに謝っても宥めても許してくれなくて。仕方なく同じお菓子を買いに近くのコンビニまで走ったんだ。
「その時、お詫びのつもりで他のお菓子もいろいろ買って帰ったら、ムックってばすっごくキラキラした目で僕を見てさ」
勿論、ムックの機嫌はすぐに直った。そんなムックに少し呆れたけど、でも本当に幸せそうな顔でお菓子を頬張っているのを見て、いつの間にか僕も微笑ましい気持ちになってたんだよね。
「・・・ねえ、ガチャピンって」
「ん?」
「ムックのこと、本当に好きなんだね」
にこにこと満面の笑みで言われた言葉に、なんとなく引っ掛かる。
だってムックが好き、ねぇ。
今迄、好きとか嫌いとかあんまり考えたことがなかったかも。
「そうなの?だってムックのことを話してる時のガチャピン、すごく楽しそうだったよ。なんかうらやましい」
「そんなことないと思うけどなぁ」
生まれた時から一緒に居る所為か、僕にとってムックは一番近しい存在ではあると思う。
ただ、改めてそんな風に言われると意識していなかった分、ヘンな感じなんだ。
まあ、単純に好きか嫌いかでいえば間違いなく好き、なんだけどさ。
そんな僕にマイメロちゃんは「へえ?」と意味ありげに微笑んでみせる。
「わたし、ムックもガチャピンのこと、すごく好きだと思うんだよね」
「えー、そうかなぁ。結構酷いことを言われることもあるよ?」
フラれた僕に対する扱いなんて特に。
なんてことは流石に口に出さなかったけど。
「それでも、だよ。わたしもね、彼氏にそういうところがあるから」
「・・・彼氏?」
「うん、わたしの彼氏」
「彼氏、居るの?」
僕の質問に、マイメロちゃんはそれはそれは眩しい笑顔で以て「うん」と頷いた。
・・・結局僕は告白すら出来ないまま、今回も見事にフラれた訳だ。
それでも表面上はどうにか「へえ、そうなんだ」と平然と返したけど、もし目の前にマイメロちゃんが居なかったら僕は本気で泣いていたかもしれない。
その後は何もかもが上の空になって、マイメロちゃんと何を話したのかも思い出せず、運ばれてきたオムライスの味だってよくわからなかった。
ああ・・・いろいろショック過ぎて暫く立ち直れないかも。





衝撃的な一夜を殆ど眠れないまま明かして、僕はその日も仕事の為にスタジオ入りした。
朝に鏡を見たら、眠れなかった所為で顔色は悪く、目の下には隈らしきものが出来ていた。本当に酷い顔だ。
でも恋に破れたってやらなきゃならない仕事はある。それに僕を待ってくれている沢山の人も居る。皆の為にも落ち込んでいる場合じゃない。
・・・って、うわあ僕って本当に健気!
そんなことを半ばヤケで思いながら、重い足を引き摺って控室に向かう。
こうなればムックにいっぱい話を聞いて貰っちゃおう、と心に決めていたのに。
控室の扉の前で、ムックは知らない女の子と親しげに喋っていた。
その子は今時っぽいオシャレな格好をした可愛い子だった。
ムックが何か言う度に甲高い笑い声を上げて、その腕や肩にぺたぺたと触れている。
二人の様子に、僕は妙に苛立つのを感じた。
でも仕方がないと思う。僕がこんなに落ち込んでいるのに、まるで二人して見せつけるみたいじゃない。
「ムック!」
呼び掛ける声が、どうしても尖ったものになった。
そこでムックは今初めて気付いた、という顔をして僕を見る。それにますます苛立ちが募っていく。
「ガチャピン、おはようございます」
「・・・そこ、邪魔なんだけど」
「え、あ、ああ。すいません」
僕の言葉に戸惑った表情を浮かべながらも、ムックはすぐに扉の前から退けた。
僕は礼を言うこともなく、明らかに顔を顰める女の子とムックの間を堂々と横切って控室に入った。ついでに後手で力一杯扉を閉めてみても苛立ちは収まらない。
昨日の今日だから、余計に気に障るのかもしれない。
そんなことを考える間に、「ガチャピン、こわーい」なんて、女の子がわざとらしく声を上げるのが耳に届く。
「まあ、大丈夫ですよ。きっと虫の居所が悪かったんでしょう」
相手をやさしく宥めるようなムックの口調にも、僕の苛立ちは増していく。
「なんだよ、ムックのバカ・・・!」
苛々と呟いて、肩に掛けていたショルダーバッグを乱暴に取る。
そのまま、控室の畳の上に思い切り投げつけていた。





その日以来、女の子は度々ムックの前に姿を見せるようになった。
彼女は、今度から僕達の番組の中でアシスタントをしてくれる子だったんだ。
女の子は、収録の合間にはいつもムックにくっついていた。僕が居ようと居まいと関係なく、ムックの隣に居座ってずっと喋っている。僕のことは全く眼中にないらしい。
時々、ムックの腕に自分の腕を絡めている姿を目にすることもあるんだけど、見ている僕の方が居辛くなってその場から離れてしまう。
二人で一緒にご飯を食べに行ったりもしているらしいし、ムックの携帯には彼女からメールや電話も頻繁に入ってきているみたい。
最近では控室にも堂々とやって来るから、僕はちっとも落ち着かないでいる。
それでもムックは女の子に対して嫌そうな顔を見せるどころか、鼻の下が伸びきってるんじゃないかとさえ思う。
完全に二人だけの世界を演出されれば、僕だって面白くない。
いくらなんでも、流石にこれは酷い。僕に対する当てつけのつもり?
そういえば前に好きな子が居るって言っていたけど、あの子なのかな。
もしそうなら、ああなっちゃっても仕方がないところもあるのかも。
いやでも、もしそうだったとしてもある程度は僕に対して配慮もしてくれなくちゃ。だって今迄一緒にやってきた相方に対して失礼じゃない。
それに僕に少しの紹介もないなんて―――ってコレ、僻みじゃないよ!違うんだからね!?


「・・・ガチャピン、何ひとりで百面相してるんです?」


傍に座っていたムックに訊かれる。今は控室で二人きりだったんだ。
でも、またいつあの子が現れるとも限らないんだけど。
「別に。ちょっと考え事をしてたの」
「ガチャピンが?」
本当に?とでも言いたげにムックが僕を見ている。やっぱりムックは僕に対して失礼だ。
「僕だって考える時は考えるの!」
「へえ、そうなんですか」
ムックは笑いながら、どこか揶うような口調で以て告げてくる。
なんだか小馬鹿にされてるみたい、と思ってしまったのは僕が卑屈になっている所為なのか。
嫌な感じ。僕、いつもはこういうキャラじゃないのに。
でも、これはムックの所為でもあると思うんだよね。
だってムックが僕を差し置いてずっと女の子とイチャイチャしてるから・・・って、コレも結構卑屈な考え方かも。
ああもう!いいや、卑屈ついでに訊いてやる!!
「そういえば最近、ムックあの子と仲良さそうじゃない」
「あの子?」
「番組の、新しいアシスタントの女の子」
「ああ、彼女ですか。彼女一人っ子らしくて、わたくしのことをお兄さんのように思っているんですって。そう言われたらやっぱりお兄さんらしく振舞ってあげないといけない気になりますよね」
どこか得意気に胸を張るムックに、そんな訳ないじゃん、と内心で突っ込みを入れる。
あの子の顔や態度を見ていたら僕にだってわかる。あの子はムックのことが好きなんだ。
でも、今の言葉を聞いている限りでは、ムックがそれに気付いている様子はない。
ムックって本当に鈍いんだから。
でももしかしたら気付いてるのにわざとそんなことを言ってたりして。
そう思ったら、無性に腹が立つような、ムカムカするような。
兎に角、苛立った心持ちで僕は当てつけるように言葉を吐く。
「誤魔化さなくていいよ。前に言ってたムックの好きな子って、あの子なんでしょ?僕、別にムックが誰と付き合おうと全っ然、どうだっていいしさ・・・」
そこまで口にした時、どきりとした。僕の言葉にムックの表情が突然強張ったんだ。
そのまま、信じられないものでも見る目を僕に向けている。
ムックの顔は酷く傷付いたとでも言わんばかりに、悲し気に歪んでいた。
それは、今にも泣き出しそうな顔。
長く付き合ってはいるけれど、ムックのこんな表情を目にするのは初めてだった。
その様にすっかり戸惑っている間に。
「・・・そうですね。ガチャピンには全然、関係ありませんよね」
そう冷たく言い放って、ムックはそのまま控室を出て行ってしまった。
僕はその後姿を呆然と見送っていた。ムックがすごく怒っているのはわかっていたのに、相手を怒らせた理由が少しもわからなかったんだ。
混乱を極めた頭で、僕はその場に呆然と立ち尽くすしか出来なかった。


どうしてムックは怒ったんだろう?
これってやっぱり僕が悪いの?
でもムックだってちょっとは悪いところがあるんじゃないの?
いやでも、ムックがあんな顔するなんて今迄になかったしな・・・。


考えても考えても、答えは出てこない。
ムックが出て行った扉を馬鹿みたいに眺めながら、僕は心臓がずっと煩く鳴っているのを感じていた。
つられるように、上手く呼吸が出来なくなって、只管息苦しかった。






inserted by FC2 system