GM SSS

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昼も過ぎたというのに、未だ寝起きのぼんやりする頭で僕はキッチンに立っていた。
ここのところ立て込んでいた仕事が漸くひと段落して、久しぶりに貰えた休みに惰眠を貪っていたんだ。だから髪はぼさぼさ、服なんてパジャマのまま。でも、そんな僕をからかいそうな相手は、今は傍に居ない。
今日もムックは朝早くから一人で仕事に出掛けていた。ムックも何かと忙しいみたいだ。
最近、僕たちはばらばらに仕事をすることが多い。
仕事によっては泊まりがけで出掛けるのもざらだし、早朝から深夜まで拘束されることだってある。すれ違ってばかりで、一緒に住んでいるのにまともに顔を合わせることすら難しいなんて笑えもしない。
そんなことを思いながらケトルに水を入れて、コンロに掛ける。
沸くまでの間にコーヒーを淹れる準備しようと戸棚を覗けば、コーヒーの入ったガラスのキャニスターの上に何かが置かれているのに気付いた。それは四ツ折にされた紙片。中を開いてみると、ムックの字で『冷蔵庫』と書かれている。
未だぼんやりする頭で紙片を眺めながら、僕は小さく首を傾げてみる。
・・・これは、冷蔵庫の中を見ろ、ってことなのかな?
ムックは僕が毎朝(とはいっても今は昼だけど)、コーヒーを飲むことを知っている。
でも、メモを置くならキッチンにあるテーブルの上でも良いだろうに。
訝りながらも、僕はメモを片手に冷蔵庫を開く。
忙しかったお陰で外食に偏り、中身の殆ど入っていないがらんとした冷蔵庫の中に、またしても四ツ折の紙片。
それを手に取って中を開けば、またムックの字がある。

『リビングの本棚の2段目 右から5冊目の69ページ』

リビングにある木製の本棚は、ムックの背と同じくらいの丈がある大きなものだ。そこには、僕の買い集めた本が収まっている。
僕の部屋にも本棚はあるんだけど、そこは既に一杯で、でももう一台増やすスペースはとてもなかった。ムックに相談したら「仕方ないですねぇ」なんて言いながら、リビングに本棚を置くことを提案してくれたんだ。
僕は一旦コンロの火を止めて、リビングに向かう。
本棚の2段目、右から5冊目にあったのは料理の本。
それは前に、ムックが僕にくれた本だった。
「わたくしこういうのが食べたいんです。ね、作ってくださいませな」
たくさん美味しそうな料理が載ったこの本を立ち読みして、僕に作って貰おうとわざわざ買ってきたんだと大真面目に宣っていたのを思い出す。
ふ、と笑みが零れるのを感じながら、僕は69ページ目を開いた。
するとそこには、また四ツ折の紙片。

『テレビ傍 キャビネットの上』

リビングにあるテレビの傍には背の低いキャビネットがある。そこにはアルミフレームのデジタル時計が置いてあるんだ。
その時計の前に紙片があった。
因みに現在、04/02 13:08。
・・・ムックは一体、僕に何をさせたいんだろう?
そう思いながらも、僕はメモに導かれるまま、律義に部屋の彼方此方を物色する。ソファーのクッションの下、観葉植物の葉っぱの中、固定電話の前、挙句はトイレやお風呂にまでその範囲は及んでいた。
それらをいちいち確かめて歩いている内に、僕は玄関先まで辿り着く。
玄関に置かれた、木製の靴入れの上に置かれたメモの中身は。

『わたくしの部屋のベッド』

ムックの部屋を覗くと、ベッドの上に紙袋が置いてあるのが目に入った。
すぐにでも傍に行きたかったけど、そこで改めて部屋の中を見た僕は思わず躊躇する。なにせムックの部屋は酷く散らかっていて、足の踏み場ってものが全くないんだ。
でも、このまま入口で立っていても仕方ない。ええい、ままよ!
僕は床に散らかっているものをなるべく踏まないよう、爪先立ちになって慎重に足を進めていく。途中、ぐにゃりと何かやわらかいものを踏みつけたことや、足の下からバキッと嫌な音がしたのには気付かなかったフリをした。
そうして漸くベッドへと辿り着いた僕は、置かれていた紙袋の中を覗き込む。紙袋の中には、四ツ折の紙片と一緒に、きれいにラッピングされた包みがひとつ入っていた。
僕は紙片を手に取って、書かれている文字に目を遣る。

『ガチャピン、誕生日おめでとうございます!わたくし今日は早く帰りますから、これを着けて美味しいものを期待していますぞ!!』

・・・誕生日、ムックはちゃんと覚えてたんだ。
それだけで、僕は馬鹿みたいにうれしくなった。
4月2日は僕とムック、ふたりの誕生日。もしかしたら忙しくてすっかり忘れてるんじゃないかとさえ思っていたのに。
浮き立つような心持ちで包みを開くと、中にはエプロンが入っていた。
腰に付けるタイプの、シンプルで使い易そうなデニムのエプロン。
それを眺めながら、僕の口元は自然と緩んでいた。
ここまでして貰ったなら、僕はきっちり期待に応えないといけないだろう。
ムックの好きな御馳走をたくさん作って、テーブル一杯に並べよう。
帰ってきたムックに「おめでとう」を言って、ふたりで一緒に食べるんだ。
ムックへのプレゼントは、きっとそれが一番いい。
じゃあ、まずは買い物に行かないと。冷蔵庫、何にもないし。
料理は何を作ろう。あ、ケーキも作らなきゃ、だ。
ムックが帰るまでに全部終わるかなぁ。いや、終わらせないと、だね。
―――さあ、忙しくなってきたぞっ!
そんなことを思いながら、それでも僕はうきうきとした、鼻歌でも歌い出したいような気分で、エプロン片手にムックの部屋を後にした。






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