GM SSS

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やはり、こんなところに来るのではなかった。
もう何度目になるともしれない溜息と共に、わたくしはそんなことを考えていました。
とある有名ホテルの、豪奢な内装が目を惹くバンケット・ルーム。そこを貸し切って行われている映画のレセプションに、わたくしとガチャピンはゲストとして招かれていたのです。
時期的にクリスマスを意識しているのか、会場には大きなツリーやリースが置かれていました。他にもクリスマスカラーのアレンジメントフラワーに、カラフルなバルーンやキャンドルライト等、其処彼処に為された凝った飾り付けが目を惹きます。
会場の片隅に置かれた、紅と緑のクロスが掛かった長テーブルにはビュッフェ形式の料理が用意されていました。ライトミールからメイン、デザートまで多種多様な料理がずらりと並んだそこに人々が集い、舌鼓を打っています。
その華やかな会場に負けないくらい、そこに居合わせる人々もまた華やいだ空気を纏っていました。まさしく正装と呼べるような格好をした男の人と、美しく着飾った女の人達。特に女の人は皆艶やかで、会場の中に麗しい華が幾つも咲いているようです。
わたくし達以外にも、有名人だとか著名人と呼称される人々の姿も多く見受けられました。勿論、同等数マスコミの姿も。
そんな華やかな会場の中で、わたくしは苺の飾られた生クリームのケーキが載った皿を片手に、ぽつんとひとりで壁際に居ました。
ガチャピンは会場に着いて早々、沢山の人々に囲まれていたのです。
ガチャピンは人気者ですので、会場を歩く都度様々な相手から声を掛けられては捉まります。今だって、少し離れた位置に立って先程までとは違う相手と和やかに談笑しているのです。
こうして老若男女、皆からガチャピンは愛されている。
それを喜ばしいと思う反面、わたくしはどうにも苦いものを覚えずに居られませんでした。
独り占め出来る相手ではないと頭ではわかっています。けれど、こうした場に来ると必要以上にその事実を認識されられて、胸苦しいのです。
また、ガチャピンと共に居れば、わたくしにも不躾な視線が向きました。特に今日は着なれないスーツを身に着けている所為もあるのかもしれません。それでもやはり、じろじろと必要以上に見られる、というのはあまり気分の良いものではないのです。
但しこれも仕様のないことだとわかっていますから、人々の目につかないよう、会場の片隅に佇んでいる訳なのです。
きっとガチャピンさえ居ればこの場にわたくしなど居なくても良い、と考えたところで苦笑いが漏れました。着なれないスーツの窮屈さと向けられる視線の居心地の悪さの為か、段々自分の思考が卑屈になってきているようです。
わたくしは目前の様子を見ないよう、視線を床へと移しました。
―――・・でももう、ここからこっそり抜けてしまおうか。
そんなことをぼんやりと考えていた時です。


「なに壁の花になってんの?」


揶揄するような口調に、伏せていた目線を上げるとそこに見慣れた顔がありました。
「・・・わたくし、花なんて柄じゃありませんよ」
そう答えながら、ずっと強張ったように引き結ばれていた口元が自然と緩んでいくのを感じました。相手はこうして可笑しなことを口にしては、いつもわたくしを笑わせるのです。
目の前に立っていたのはラフ君でした。どうやらラフ君もレセプションに招待されていたらしく、わたくしと同様スーツを身に着けています。
スーツなんて着なれていない筈なのに、ラフ君は驚くほどその格好が様になっていました。まるでいつも身に着けている、といわんばかりの様子なのです。またそこに人目を惹く華やかさも具えており、会場の空気にぴたりと馴染んでいるようでした。
お仕着せのようにスーツを着ているわたくしとはまるで正反対。
少しばかり狡いと感じてしまうのは仕方のないことかもしれません。
そんなわたくしの卑屈な思考になど気付いた風もなく、ラフ君は話し掛けてきます。
「今日はムックひとり?」
「いいえ、ガチャピンと一緒だったのですけれど・・・」
姿を探そうと視線を巡らせたところで、わたくしは己の顔が再び強張るのを感じました。ガチャピンは可愛らしい女の子達に囲まれてとても楽しそうだったのです。ガチャピンが何か言う度、さざ波が拡がるみたいに明るい笑い声が弾けます。
その様子を見るにつけ、暗くもやもやとしたものが胸にせり上がってくるのを感じてきつく口元を引き結びました。けれど、あまり目にしたくはない光景の筈なのに、縫い止められでもしたように視線を逸らすことが叶いません。
そんなわたくしの視線の先を見遣ったラフ君は、「あー・・・」と間延びした声を上げました。それは全てを理解した、という風にも、全く仕様のない、という風にも捉えられたのです。
その声がわたくしに向けられているように思えて、少しばかり極まりの悪い心持ちがしていました。
「ムックは行かないの?」
視線を向うに投げたまま、ラフ君が訊ねてきます。
「わたくしには関係ありませんから」
自然と声が尖るのが、わたくしにもわかりました。こんな拗ねた子供のような態度では、ラフ君に呆れられてもおかしくはありません。
けれどラフ君は、どこか面白いと言わんばかりに「ふうん」と零しました。
「ガチャピンに構って貰えなくて寂しいんだ、ムックは」
「べつに寂しくなんか・・・!」
そりゃあ、ちょっぴり嫌な気分ではありますけれど。
言い返そうとしたところで、こちらに向いたラフ君の眼差しとぶつかりました。どこか興味深そうにわたくしを眺める視線を前に、居心地の悪いものを覚えます。
「・・・なんですか?」
「いや、いつもと全然雰囲気が違うなと思って」
今更のようなことを、大真面目な顔付きで宣うラフ君にわたくしは虚を突かれた気分でした。
確かにわたくしはスーツを着、いつもは垂らしている前髪を後ろに流して額を出していました。スーツを選んでくれたスタイリストさんからの助言に従った形ではありますが、着慣れないスーツと相俟って自分の髪型に違和感があるように思えてならなかったのです。
ラフ君の視線を受け、わたくしは急に気恥かしい思いに捉われました。
「似合いませんよね、こんなの」
「そんなことないって。イイ感じだよ」
口元にやわらかな笑みを浮かべながらラフ君が断言します。決して、嘘を吐いている口振りではありませんでした。
「けど、ガチャピンのはちょっとなぁ。アレさ、スーツに着られてるっていうか、七五三みたいに見えない?」
「七五三・・・」
不思議なもので、誰かの口から言われると今迄ちっともそう見えていなかったものが言葉通りの様子に見えてくるらしいのです。
ガチャピンのスーツ姿が段々七五三の恰好に見えてきてしまったわたくしは、堪え切れずに声を上げて笑っていました。ガチャピンに悪いとは思いましたが、一度湧き上がった笑いを止めることが出来ません。
「ムックはさ、やっぱり笑ってる方がいいって」
満足そうな表情を向けながら、ラフ君はよしよしと言わんばかりに頭を撫でてきました。わたくしとは身長が然程変わらないというのに、まるで子供みたいな扱いです。けれど、不思議と腹は立ちませんでした。寧ろ、撫でられる手が心地良いとさえ感じていたほど。
ラフ君は可笑しくて、不思議で、それでいてとてもやさしい人なのです。
そんなことを考えていたわたくしに、小声の耳打ちが寄越されます。
「・・・なあ、ふたりでココ抜けない?」
「えっ」
悪戯っぽく、軽い調子で告げられた内容に、しかしわたくしは驚いてラフ君を見つめます。
耳打ちの所為でしょうか、ラフ君の顔の位置が先程より近くなっていました。目と鼻の先にある顔には、屈託のない笑みが浮かんでいます。
「オレもこういう場所苦手だし、そろそろ抜けようと思ってたところでさ」
どう?と気安く訊ねられて、わたくしはすっかり戸惑っていました。
確かに少し前まではここを抜け出そうと思っていましたが、実際にそうするとなると躊躇う心持ちも湧きました。何より、ガチャピンを置いて帰るだなんて。でもガチャピンはずっと他の人に捉まったままなのです。楽しげな様子を見続けているのは正直苦痛ではあります。けれど・・・。
悩むわたくしの腕が横合いからぐいと引かれました。ラフ君は先程から僅かも動いてはいません。では、腕を引くこの手は一体。


「悪いけど、ムックは先に僕と約束があるから」


聞こえてきた声に、わたくしは驚き咄嗟に声が出ませんでした。
何時の間にか、ガチャピンがわたくしの横に立っていたのです。
ガチャピンの顔に浮かぶ笑みも、愉快だから笑っているのでないことはすぐに察せられました。なにせ目はちっとも笑っていないのです。
それはガチャピンが本気で怒っている時に見せる表情でもありました。
もしかしたらわたくしとラフ君の遣り取りを耳にして、怒っているのかも。
あまりの気拙さに何も言えず口を閉ざすわたくしにも頓着せず、腕を掴んだままガチャピンは続けます。
「それにラフ君だって、待たせている相手が居るでしょ?」
そう言ったガチャピンの背後から、ひょっこりと顔を出す相手が居ます。艶やかな金色の髪をツインテールにして、ふわふわと裾の広がる明るいピンクのパーティドレスを身に纏う可愛らしい女の子。
「あ、ウメちゃん」
わたくしが上げた声に、ウメちゃんは「こんばんは、ムック」とにっこりと愛らしく笑って答えます。しかしすぐにラフ君に向き直ると表情を一変させ、大きな声で言い募ります。
「お兄ちゃん、ウメをひとりにするなんて酷いよっ!今日はウメとずうっと一緒に居てくれる約束だったでしょ!!」
ぷうっと頬をいっぱいに膨らませて、ウメちゃんがラフ君の腕を取ります。その様子にラフ君は苦笑いをしながら、「悪かったって」と宥めるように頭を撫でました。もしかしたら、こうして頭を撫でるというのはラフ君の癖なのかもしれません。
撫でられて機嫌が戻ったのか、ウメちゃんは膨らませた頬を戻すと、腕を取ったまま上目遣いにラフ君を見ました。
「ねえ、あっちにすごく面白いクリスマスのオーナメントがあるんだよ。一緒に見に行こうよ」
どこか甘えたように言うと、腕を引っ張り、向うへと歩いていこうとします。
有無を言わさぬ様子に、ラフ君はウメちゃんに見えない位置でやれやれと言わんばかりに眉を下げてみせてから。
「じゃあ」
短く言うと、わたくし達に向かって片手を上げました。
「じゃあねラフ君、ウメちゃん」
ガチャピンが全く笑っていない笑顔のまま、ひらひらと手を振って見送ります。その間にも、ラフ君はウメちゃんに引き摺られるようにして沢山の人が集まる方へと歩いていきました。
ふたりの姿が完全に人波の中に消えてから漸く、ガチャピンがわたくしに向き直ります。しかし顔に浮かんでいたのは笑みではなく、至って不機嫌そうな表情でした。物凄く怒っています、としっかり主張する表情を前に、わたくしはますます声を出すことが難しいように感じました。
「ねえ、なにふたりして勝手にどこか行こうとしてるのさ」
「・・・・・・」
「それに、ラフ君と楽しそうだったよね。もしかして僕、邪魔しない方が良かった?」
顔と同様、不機嫌な調子で一方的に紡がれる言葉は、わたくしを非難するようでもありました。けれどガチャピンの言葉を聞きながら段々腹が立ってきてもいました。だって悪いのはこちらばかりではない筈です。
「そういうガチャピンだって、ずっといろんな人に囲まれて楽しそうだったじゃないですか」
「ちっとも楽しくなんてなかったよ。だってアレは仕事の一環みたいなものだし。それにムックが傍に居なくちゃ、楽しい訳ないよ」
そう口にして、ガチャピンは改めてわたくしを見ました。
そして不貞腐れたような口調で続けます。
「しかもムック、今日はいつも以上に人目を集めているから絶対傍を離れたくなかったのに」
「・・・それって、スーツが似合っていないからでしょう?」
「違うよ、その逆。良く似合って格好良かったから見られてたの!気付いてなかった?」
「いえ、全く」
そう答えたわたくしに、ガチャピンはあからさまにはぁ、と溜息を吐いてみせました。
「ムックを見て女の子達がずっときゃあきゃあ騒いでるし、もう本当に気が気じゃなかった」
本当にわからなかったの、とでも言わんばかりの口ぶりです。
でもちっとも気付きませんでした。だってそれは仕方のないことです。
「わたくし、ガチャピンしか見ていませんでしたから」
事実を口に出せば、ガチャピンは呆気に取られたように一度押し黙った後、頬に朱を上らせました。それはわたくしが持つ皿に載ったケーキの、真っ赤な苺の色にも似ているように思いました。
「反則でしょ、それ・・・」
ガチャピンは小さく零すと、真っ赤な顔のまま改めてわたくしを見ました。
「ねえ、もうココ抜けちゃおうよ」
「えっ」
「もう十分でしょ。それにさっきムックがラフ君と一緒に居るの見て、すっごく気分悪かったんだよね」
「でも良いんですか?」
「良いよ。これ以上、他の人にムックをじろじろ見られたくないし。大体、ムックは僕のなのに」
不貞腐れた様子を隠すことなく子供のような物言いで告げてくる相手を前に、すぐにわたくしの頬にも熱が集まっていきました。
それはとてもわかり易い嫉妬。
ガチャピンもわたくしと同じ思いをしていたのだと知れた途端、今度は自然と頬が緩みました。先程までもやもやとしていたものがすっかり晴れていることに気付いて可笑しくもなります。全く単純なものです。
「一緒にかえろ?」
ガチャピンがわたくしに向かって、手を差し伸べてきます。
わたくしは迷わず「はい」と答えてその手を取るのでした。







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