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続いてゆく日々のいとしさ



変わらずに続いていくものなど無い、と頭ではわかっている。
今迄に変わったものや変わってしまったことを数え始めたらきりが無いくらいだ。
けれど実際に変わってしまえば、喪失感に酷く打ちのめされる。
オレにとって、変わることは失うことと同義だったから。

変わることは、辛い。
変わることは、苦しい。

そんな思いを幾度も繰り返したからか、オレは変わるということに対して随分と臆病だ。怯えている、と言っていい。
変わる要因を傍に置きたくなくて、独りで居ることを選んだのは自分。
それなのに、オレはまた抱えてしまった。
もしかしたら変わってしまうかもしれない存在を。
けれど、そこから生まれるのは穏やかで満たされた日常と、独りでは決して得ることの出来ない不可思議でいて確かに人間らしい感情。
だから、この人となら変わらずに続いていける、とオレは馬鹿みたいに信じようとした。このまま、日々は変わらずに続いていくのだと。
なのに。





五月一日

「カカシさん、オレもう少ししたら失明するかも。あ、この秋刀魚美味しいですよ」
もぐもぐと、夕飯の一品である秋刀魚を咀嚼しながら彼は言った。
それがあまりに気負い無く、またあっさりとした口調だったので、オレは最初告げられた言葉がどれだけ重大な意味を持つのか見過ごしそうになったくらいだ。
だから、秋刀魚の載った皿の隅に盛られた大根おろしに醤油をかけながら。
「へー、失明するんですか――――・・はいぃ?!」
思わず素っ頓狂な声が出た。言いながら気付くオレもオレだが、でもそれにしたって言い方が軽過ぎる。失明するってことは、目が見えなくなるってことだぞ。大変なことなんだぞ。
オレが唖然とする前で、彼はといえばオレの顔と手元を交互に見て渋い顔をしている。その後、仕方ないなと言わんばかりの顔つきで口を開いた。
「あー・・・秋刀魚、塩辛くなりますよ?」
そこで皿に目を遣れば、秋刀魚が今にも醤油の海に沈みそうになっていた。
オレは慌てて醤油差しの角度を戻し、おずおずと卓袱台に置く。そして一度大きく深呼吸なんてものをしてみてから今度は恐る恐る、訊ねる。
「・・・冗談、ですよね?」
「いや、ちっとも冗談ではないんです」
相変わらず口の中にものが入った状態で答えが返ってくる。反射的にウソだろ、と呟いてみるが、事実が覆らないだろうことは訊ねた時からわかっていたことだ。
軽い眩暈を覚えながら改めて彼の方を見遣れば、その視線はオレでは無く醤油浸しの秋刀魚に向いていた。多分『あー、これしょっぱいだろうな』、とかどうでも良いことを考えていそうな顔に、無性に怒りがこみ上げてくる。
「ちょっとアンタ、なんでそんな何でもないことみたいな言い方してんですか!?いいですか、失明するってことは、目が見えなくなっちゃうってことですよ!こんな大事な話をどうしてそんなのほほんと、しかも御飯時に、でもって口の中にものが入った状態で言うんですか!」
オレが卓袱台を叩けば思いのほか大きな音がし、彼が吃驚したように目を丸くする。
自分の発言が支離滅裂な自覚はある。でも仕方ないじゃないか。
大事に思っている相手から、いきなり失明すると告げられて平静でいられる奴がどこの世界に居るというのだろう。現にオレは相当取り乱しているし、混乱もしている。
なのに、彼ときたら明後日の方向に視線を遣り、ついでに他所事をも考えている風だったのだ。
「ちょっとアンタ、聞いてますか!」
卓袱台に手を付いたまま、オレはずいっと身を乗り出して注意を促す。するとぽかんと間の抜けた顔でこちらを見つめていた彼が、事もあろうにぷっと噴出したではないか。
しかも身体を大きく震わせ、笑い声まで上げて。
口では「ごめんなさい」なんて言ってはいるが、一向に笑いがおさまる気配は無い。それにオレの怒りのボルテージは最高値にまで跳ね上がった。
「―――っ、笑い事じゃないでしょっ!!!」
思わず、叫んでいた。
大体にして彼は緊張感が無さ過ぎる。そんなに自分の身に起こったことをいい加減に捉えているのだろうか。ありふれた風邪や腹痛みたいに軽いことではないというのに、この態度はどうなんだ。だからオレに対してもこんなぞんざいな扱いが出来るのだろうか。オレは、彼のことが心配で仕方ないというのに。
そう思ったら、腹が立つのと同時に無性に悲しくなってしまった。
オレが黙ってしまうと、すっかり冷えた場の空気を取り繕うように彼が静かに口を開いた。
「・・・実は、ちょっと前から目に違和感はあったんです。ただ、初めは気にはなるけど困るほどではなかったんですよ。でも最近酷くなってきて、病院へ行ったらもうすぐ失明するって話で」
その後も彼は淡々と、失明は遺伝であること、彼の父も祖父も同じような症状が出ていたことをオレに話して聞かせた。
「だから、アンタが気に病むことはないんですよ」
そう言って、最後にへらりと笑ってみせる。でも、そこは笑うところではないだろう?
「ねえ、どうして今まで目のことを言わなかったんですか?目の違和感の話だってさっき初めて聞いたし。・・・オレはそんなにアンタにとってどうでもいい存在なんですか」
これは完全な八つ当たりだ。自分でもよくわかっている。
それでも悔しかった。そんな大変なことを、誰にも―――恋人のオレにも言わず、ひとりで抱えていた彼の心遣いが。そして彼の変調に一切気付かなかった自分自身が。
「だって言ったら、アンタは気にしてしまうでしょう?心配を掛けたくなかったんです」
なんて言われてしまったら、余計に。
彼はいつも、こうして他人のことにばかりに気を遣う。それが彼の良いところであり、悪いところでもあるのだけれど。
「・・・どのくらいで見えなくなるんですか?」
オレが訊ねれば、彼は「さあ?」と軽く言って首を傾げてみせた。
その仕草に再び眩暈と、今度は激しい頭痛までも覚える。
さあ?っていい加減な!それは一番大事なところじゃないか!!
「でも本当にわからないんですよ。父はオレが赤ん坊の頃に目に違和感を覚えてからも亡くなるまでは見えてたみたいですけど、祖父はそれから三日後には完全に失明していたそうだし。まあ、その内見えなくなるんじゃないですかねぇ」
あっけらかんと言う彼に、明らかに疲労感が増したように思う。
「ああもう、本当にアンタって、アンタって・・・!」
一体、何考えてんの!?と叫び出したい気持ちで一杯だが、今更かもしれない。彼が何を考えているのか掴めないことは、過去に幾度もあった。そしてその度にオレがこうして頭を痛めることも。
きっとこれからも完全に掴めることはないだろうな、と逃避的に考えるオレに向かって彼は大真面目な顔で言う。

「御飯、早く食べないと冷めますよ?」

この後、オレの嘆きは更に深いものとなった。





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