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続いてゆく日々の先に

   




夜も更け、明日もアカデミーのオレは同じく任務のある彼と共にベッドに潜り込む。
天井にある電灯の、一番小さい橙色の明かりだけが灯る薄暗い寝室。男二人が横になれば手狭なベッドの中、収まりが良いようにごそごそ身動ぐオレの傍らで彼が一言。
「ねえ、引っ越しませんか?」
・・・彼が唐突なのはいつものことと言えばいつものことではあるけれど、何故このタイミングなのだろう。というか、どうして急に引っ越しの話が出てくるのだろう。
「いやだってこのアパートボロいからウチもいつ雨漏りするとも床が抜けるともわからないし、何かあってうっかり潰れて立退きを迫られたら困るじゃないですか。それに折角籍を入れて所帯まで持っといてこのアパートっていうのもどうかと思うんですよね」
どこか言い訳をするような口ぶりで彼が言い募ってくる。どうやら訝る心持ちが皆オレの顔に出ていたらしい。極度の心配性である彼の言い草は随分酷いものだけれど、確かに言っていることは一理ある。
強い風が吹く日には部屋全体がみしりと軋むように感じられるし、アパートの余所の部屋では雨漏りのしていたところもあると聞く。部屋は勿論だけど、水回りもかなり老朽化している。潰れる、というのは大袈裟だと思うがそうならないと完全に否定もし辛い状態ではある。
でもここはオレが独りになってから初めて持った自分の城なんだ。
だから思い出も沢山あって、思い入れも強い。何より住んで長い所為かどこに居るより落ち着くし、安心出来る。だからもう少しこのまま住み続けていたいと思ってしまう。
「・・・それに、アンタの目が見えなくなる前にもっと住みやすい家に移った方が良いと思うんですよ。見えない状態で新しいところに馴染むのも大変だろうから」
口に出し辛いのか、もごもごと歯切れも悪く言う。多分、これが彼の本音なのだろう。
そんな風に言われてしまえば彼是と言う気も失せる。
結局この人はこうしてオレのことを一番に考えてくれているのだから。
「でね、どんな家が良いか希望がある?広い庭が欲しいとか全室フローリングが良いとか。でも日当たりの良い一軒家っていうのは絶対外せないところですよね」
話を聞いているとどうも、彼は家という形に拘りがあるらしい。
オレとしては別に賃貸のアパートでも不満に思うことはないのに。
「んー・・・無理に家じゃなくてもいいんじゃないですか?アパートだって住み心地の良いところもあると思いますけど」
「アパートは駄目!」
「どうして」
「だって所帯を持ったら一軒家のものだって言われたし」
「誰にですか」
訊ねればモヤシジジイ・・・もとい、先生の名前が出た。所帯を持ったらマイホーム必須、というのはあの年頃の、所謂昔の人の感覚ならばわからないでもない。どうも彼の中で先生の発言は絶対的なところがあるらしく、言われるまま行動なり言動なりに移しがちなのが困る。彼と先生の間で何事かあったのかと勘繰りたくなることもしばしばだ。
もしかして引っ越しの件も先生に言われたのではないだろうか。怪しい。
「・・・で、どんな家がいい?」
隣り合って寝転んでいるのに更にずいと身を乗り出され、思わず眉間に皺が寄る。
意気込みが過ぎるのか心なしか荒い鼻息が掛りそうな、さあ言え!とばかりに向けられる眼差しがひしひしと痛く感じられる距離。
流石にこれは近過ぎるだろう。どれだけ綺麗な顔をしていても、長い付き合いがあっても話をするのに適切な距離というものは存在するのだ。
オレは身動ぐふりで、彼から少しでも身体を離すようにしつつ口を開く。
「そうですね、家自体はあまり大きくなくて良いです。でも小さな庭があって年中緑があるといいかも。あ、縁側も欲しいです。天気の良い日に日向ぼっこしながら庭を眺めるのって案外良いモンですよ」
「そんなのでいいの?もっと何か、たとえば庭で鯉が飼えるとか、床の間がなきゃダメとか、暖炉が欲しいとか」
彼の言い分につい噴き出しそうになってしまう。でも笑うと機嫌を損ねるのは目に見えていたから唇を引き結んで必死で堪える。
というかどんな豪邸を探す気だったんだろう、この人は。そんな大層なところでなくともちっとも構わないのに。
「いいんです。昔住んでいたところがそういう感じでしたから」
父母が健在だった頃、家族三人で住んでいた家はかなり手狭だった。小さな家の中では自分の部屋すら持てない状態だったけれど、オレは特別不満に思うこともなかった。
家のどこに居ても人の気配が感じられて子供心にも安心出来たし、居心地も良かった。任務で家を空けることの多かった父母が居る日には、ずっとくっついて甘えていたのも良い思い出だ。
そして家には小さな、それこそ猫の額くらいの庭があった。庭で母は草花を育て、父は縁側でぼんやりと日向ぼっこをしながら緑を眺めるのを好んでいた。オレも時々、縁側に居る父の膝に座って彼是話を聞いたり、聞いて貰ったりしたものだ。
とても懐かしい優しい思い出。そんな家ならまた住みたいものだと思う。
「歳を取ってからアンタと二人、縁側でお茶を啜るっていうのは良さそうだなぁ。うん、将来はそんなふうに過ごせるといいね」
「・・・なんですか、いいねって」
妙に引っ掛かる物言いだった。過ごそうね、と言い切るんじゃなく、そうなったらいいね、と曖昧に濁す感じ。
オレの言葉に険を感じ取ったのか、目前の彼が眉を下げてみせた。
「いや、だってオレって・・・ほら」
気拙そうに濁された言葉の先をなんとなく悟る。
能力も実力も兼ね備え、現在でも高ランクの任務に当たることの多い彼はこれからも一線に立ち続けるのだろう。先のことは誰にもわからない。彼も、勿論オレも、互いにどうなるのかだって。
決して忘れていた訳ではないけれど、でも。
「変なところで弱気にならないでくださいよ。それともプロポーズの時に言ってたことは皆嘘ですか?」
がんばると、言ったのだ。
死にそうになっても生き延びようとすると口に出してオレに誓ってくれた。だからオレは彼の言ったことを信じている。
それに「信」という字も人が言うと書くじゃないか。
何があっても信じると、彼の言葉を聞いたあの日にとっくに覚悟を決めている。だからアンタもいい加減、腹を括ればいい。
するとオレの言葉を聞いた彼が目に見えて狼狽え始めた。
「嘘じゃない!全部嘘じゃないです!!」
「なら、オレに証明してみせてくださいよ。歳を取ってから二人して縁側でお茶を啜れるの、楽しみに待ってます。でもその時は『そういえばあの時アンタこんなこと言ってましたよね』って笑ってやるんだから」
「・・・うん」
そう答えた彼は少しだけ嬉しそうに見えた。
でも、そうやって未練が残ればいい。死ぬのが惜しいと踏み止まる要因が沢山あればあるだけ、もっと生きたくなるのではないか。生きて、オレのところに帰りたいと思ってくれるのではないか。
こんなことを考えるほどに、オレはこの人に生きて欲しいと思っている。ずっと傍に居て欲しいと、思っている。
「ねえ、次の週末にでも物件を見に行きませんか。アンタの条件に合うところもありそうなんです」
「えっ、条件に合うって・・・?」
話を聞けば、既に彼は幾つかの物件を見て回っていたとのこと。相変らずの手回しの良さに感心するような呆れるような心持ちだった。これだと早々に引っ越しする羽目になるかもしれない。引っ越しの荷物を纏めるのって大変そうだけれど、何から始めるべきだろう。
ぼんやり考えながら、実際に目にした物件の様子と気になった点を細かいところまで熱心に話して聞かせる相手へ適当に相槌を打っていれば。
「ちょっと、聞いてますか?」
途中で確認するみたいに訊かれる。
まあ程々には聞いてはいたつもりだけれど。
「えーと、洋風建築っぽいのに床の間があって暖炉もある、南向きの大きな窓の家がオススメなんでしたっけ?」
「・・・そんな話はこれっぽっちもしてません」
「えっ、そうでしたっけ?」
「してません!というかまず洋風建築に縁側なんてないでしょ、普通。本当に全然聞いてなかったんですね。ったく、アンタはいつもそうなんだから。これからオレ達がずっと住む家なんですからもっとアンタも真剣に聞くべきだし、悩むべきでしょう。それに・・・」
すっかり説教の様相を呈す相手の言葉を聞きながら、しまったなと思う。彼の場合、こうなってからが長いのだ。
でも、オレにだって言い分はある。だって実際目にしていないのに言葉だけで家や室内のイメージなんて湧きっこないじゃないか。・・・想像力がないと言うなら言えばいい。それに、オレはこう思うのだ。
「住むところなんて別に何処だっていいんですよ。そこにアンタが居ればオレは文句ないですから」
粗末な一軒家だろうが隙間風が吹き込むような荒屋だろうが構わない。
仮に家という形がなくとも、互いが居るところにオレ達は帰るのだから。
きっと彼はオレの、そしてオレは彼の、帰るべき家そのものなのだろう。だから彼の居る場所にオレは居続けたいと思う。
これから先、互いによぼよぼのジジイになってもただいまとおかえりなさいを一番に言える位置で。
それに彼とならどこでだって暮らしていけるという自信もある。
そんなことを考えるオレの目前で、彼があんぐりと口を開けた。顔立ちが整っている分、かなり間の抜けた面構えだ。しかもその面構えのままで顔の色が常より濃く色づいている。元々の肌色が白い所為か、薄暗い明かりの中でもわかるらしい。取り敢えず、相当照れているのは間違いないだろう。
「・・・ねえ、オレ達ずっと一緒にいようね?」
オレの手を握り、彼が引き締めた表情で以て生真面目に告げてくる。
その様子とは裏腹に、相手の顔色が未だ濃いままなのがどうにもちぐはぐで可笑しい。
でもちょっとだけ腹も立つ。オレの心持ちなんてもうとっくに伝えているし十二分に知ってもいるだろうに、こうして確かめるように聞いてくるのは止めて欲しい。それこそ、オレを信用していないのではないか。
なんて思ったら、オレとしても少しだけ意地悪な心が湧くというもので。
「一緒にいようね、って。オレはそのつもりでしたけど、もしかしてアンタは違ってたんですか?」
「っ、違わないに決まってるでしょ!」
「いやでも今更そんなこと言いだすなんて何かあるのかなって思っちゃいますよ。もしかして実はオレには言ってない、後ろ暗い何かを抱えてるとか」
「そんなの何にも、これっぽっちもないですよッ!どうしてそんなことばっかり言うんですか!本当はオレのことなんてちっとも信じてないんでしょ?!大体アンタって人は・・・!」
などと、過去の出来事まで引っ張り出して愚痴愚痴言い始める。
これはちょっと面倒臭い展開だ。
揶いが過ぎたかもしれないと後悔し始めたところで、彼が言う。



「いいです。アンタがその気ならこれから先、一生掛けてオレの本気を証明してみせます。だからアンタはずっとオレの傍に居なさい」



―――・・そう一方的に告げた相手が、オレの目にいやに格好良く見えたことだけ、最後に付け加えておく。








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