PREV | OMAKE |

続いてゆく日々のいとしさ

19




五月三十一日

ぐずぐずと鼻をすする音が耳に届く。
オレはそれを未だ微睡んだ意識の下で聞いている。
その心地よい微睡みを妨げるように時折、鼻をすする音に混じって息を急に吸い込んだ時のような呼気音が混じる。
ぐすぐずひっ、ひっひっくずぐす。
先程からずっと続いているそれを耳にしながら、まるで泣いているみたいだなとぼんやり思う。
しかしそこでオレは漸く気付く。泣いているって・・・一体誰が?
すぐさま瞼を開き、音の出所である隣に目を遣ってぎょっとした。
ベッドに横になったまま、彼が泣いていたのだ。
オレが眠っている間に何があったというのだろう。もしかしてどこか体調でも悪いのか。そうだったとしたら大変だ!
慌てて「どうかしたんですか!?」と訊ねれば、少し間を置いてからぽつりと零される。
「夢を、見たんです」
「夢?」
「はい。夢の中に、年を取ったアンタが出てきたんです。頭には白髪があって、顔にも皺があって、肌なんてハリも艶も全然なくてかさかさっぽくてね。あ、でも染みはあったかな?」
・・・なんか変なところばっかり見ているな。
微妙な心境になるオレに構わず、彼は言葉を次ぐ。
「勿論、オレも同じように年を取っていて、そこで当たり前みたいにふたりで暮らしているんですよ。オレはちゃんとふたり分のお茶を淹れて、アンタがそれを飲んでいるんです。他愛もないことで笑ったりもしていました。・・・そうして、これからもアンタとずっと続いていくんだと思ったらオレ、無性に嬉しくなったんです。嬉しくて嬉しくて、そうしたらなんだか妙に泣けてもきちゃって」
途中、鼻を何度もぐずぐずとやりながら少し照れたように、それでも嬉しそうに告げられる。
彼の真っ赤になった目に、再び涙の玉が盛り上がっている。
もうすぐ溢れそう、と思ったところで、それがぽろりと零れた。後から後から溢れる涙は既にぐしょぐしょに濡れている頬の上でも一直線に下を目指して落ちていく。シーツの上にはそこだけ染みが広がっていた。
彼が泣く姿なんて、オレは今迄目にしたことがなかった。
どんなに辛くても苦しくても口に出す人ではなかったし、ましてや泣くなんてこともなかった。
けれど今、彼は涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら子供みたいに無防備に泣いている。夢の内容が嬉しいと、たったそれだけのことで。
・・・どうでもいいけど涙と一緒に鼻水も垂れかけているんだよな。
うわあ、汚えなあ。本当に子供みたいだ。

「なんで、アンタも泣くんですか・・・」

相変わらずぐずりと鼻を鳴らしながら彼が言う。
いやいや泣いてなんていませんよ?これは所謂心の汗ってヤツですよ。
などという冗談めかした文句は、最早口に出せる状態ではなかった。大体なんでと言われても、勝手に出てくるんだから仕方ないじゃないか。
大の大人が朝っぱらから向かい合わせでぼろぼろ泣いている姿なんて珍妙そのものだと自分でも思う。それでも止まらない。涙腺が決壊したのか、というくらい涙が出てくる。
悲しいんじゃない。苦しいんじゃない。
ただ、胸がいっぱいで自然に涙が零れる。
長い年月を経てもオレと一緒に居ることを、そうしてずっとふたりで続いていくことを、この人は嬉しいと言い、泣いてくれる。
そう思ったら、ますます泣けてきてしまった。元々オレは涙もろい性質なのだ。
「これからも続いていきましょうよ。アンタと、オレとふたりで」
その為にオレは彼の隣に居よう。
いつでも当たり前みたいに傍に居て、離れないでいよう。
・・・いや、誰が何と言ったって絶対離れてなるものか!
鼻をぐずぐずいわせながら心の中で誓っていると、彼は涙でぐちゃぐちゃの顔に笑みを載せた。やわらかで優しい、いとしい彼の顔。
そうだ、この人はこんな顔をして笑う人でもあるんだ。
その顔を見つめていると、彼が布団の中にあるオレの手をぎゅっと握った。離さない、とでもいうように、強く握った。
オレはその時、確かに幸せだと思った。









PREV | OMAKE |

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system