ススム |

● If a wish comes true --- 【wish K】 ●




「えーっとぉ、せっかく呼び出されたんでぇ、ねがいごと、なぁんでもひとつ、叶えまーす!」


そう、いやに朗々と宣言する見た目はまんまイルカ先生の、自称『黄桃の精』にオレは面食らう以外に何が出来たというのだろう。
そんなオレの戸惑いなどお構いなしで、目前の黄桃の精(自称)は妙に語尾の伸びる喋り方で以て「なんでもいいんですよぉ」と言いながら、顔を覗き込むように小首を傾げている。
本物のイルカ先生では百二十パーセント有り得ないだろう、その仕草と喋り方。それに、その格好。
全裸で前の大事な部分だけを葉っぱで隠してるっていうのは・・・どうなの?
でも格好はどうあれ見た目はイルカ先生だから、ちょっとムラっときちゃうのは仕方ない。
これはもう、条件反射というか生理反応みたくモンだしね。
しかし、ねがいごとなぁんでもひとつ、かぁ。つか、こういう願い事って、大体三つって相場が決まってるんじゃないの?
「所詮、三個で十両、激安お買い得な桃缶ですからぁ」
眩しいくらいのイルカスマイルできっぱり言い切られると、何故か納得させられる不思議。この説得力は一体どこから来るんだろう。
―――・・それにしても、どうしてアンタはさっきから、イチイチ腰をくねくね尻をぷりぷりさせながら喋るんでしょうね。
もしかしてオレを誘ってるのか?もしくはオレの忍耐力を試そうってハラか?
思わず訊ねたくなるけれど、これはイルカ先生ではない、ちょっと・・・いや大分頭の痛々しい別物だ、と己に必死で言い聞かせる。


そんな桃缶の精、じゃなかった、黄桃の精(自称)をオレがこうして呼び出してしまったのは、本家イルカ先生の不在に端を発する。
三週間の予定で組まれた綱手様の外遊に、イルカ先生の同行が突如決まったのだ。
なんでも、行った先で様々な事象に対応出来る有能な補佐が欲しいという名目での決定らしいのだが・・・それはどう考えても体のいい雑用係かパシリでしかないだろう。
だったらそれに付き添うのはイルカ先生でなくてもいい筈、というより付き添った先でヘンな輩に色目でも使われたらどうすんの!
至って大真面目なオレの主張は「アンタバカですか」とイルカ先生にあっさり一蹴された。
「ンなことになる訳ないでしょう。外遊とはいってもれっきとした外交の一環ですし、仕事みたいなモンなんですから」
「だから余計に心配なんじゃないですか!お偉方には変態的な嗜好の持ち主が多いって聞くし!!」
「心配しなくても、アンタ以上に変態的な嗜好の持ち主はいないと思います」
にっこりと、満面の笑みで断言される。何気に酷いけど、その笑顔は文句なく可愛い。
「それに、これはもう決定項なんですよ。それともアンタ、綱手様相手に直談判しますか?」
そう言われて、言葉に詰る。前にも似たような事情で、オレは綱手様相手に直訴したことがあったのだ。
しかしながらその最中、何を言われても散々粘り続けたオレに、苛立ったらしい綱手様は目前の頑丈そうな執務机を素の拳で以て真っ二つに叩き割った。その後に続いた一言。
「次はお前の番かねえ?」
・・・正直、相当おっかなかった。顔は笑っていたけれど、多分アレは本気の目だった。
完全に黙したオレに、イルカ先生はさもやさしげに微笑んでみせて。
「お土産、買ってきますから」
そう言って、当日どこかうきうきした様子で出立していった。なんでも、その外遊先には大層有名な温泉があるらしい。
まさかそれ目当て?とも思ったけど、訊ねてはいないから真相のほどは不明だ。
まあ、そんなこんなでイルカ先生が里に居ないから、オレは寂しくて仕方なかった訳で。
だって、三週間だぞ、三週間。一日でも長いと思うのに。
今迄、オレが任務で里に居ないことはあっても、イルカ先生が居ないというパターンは滅多になかった。
それにオレが里に居る間はどうにか時間を見つけて毎日のように会っていたから、余計堪えるのだろう。
それでも二週間は我慢した。
しかしそれ以降はイルカ欠乏症というか、顔が見たい声が聞きたい、身体に触ってアレコレしたい、とどうにも堪らなくなってしまった。
こんな時に限って里外への長期任務も当たらなかったので、この長丁場を誤魔化しようがなかったのだ。
そんな悶々としたものを紛らわす為に、主不在のアパートに無断侵入してイルカ先生の服や下着を身に付けてみた。
ついでにベッドにも潜り込んで、イルカ先生を思いながらこっそり己の分身を慰めてみたりもした。
イケナイことをしているみたいで妙に興奮して昂った部分は確かにあったけれど、さみしさは紛れるどころかますます募るばかりだった。
結果的に、オレは更に苦しむことになってしまったのだ。
つか、これは由々しき事態じゃないだろうか。オレ今、全く使い物にならないよ。なにせさみしいさみしいウサギちゃんだから。
・・・えー兎に角、このイルカ先生不在による諸症状を緩和する為にオレが選んだ方法はといえば―――手っ取り早く、酒。
呑んで寝てしまえば、少しは誤魔化せるだろう。そう安易に考えて、イルカ先生のアパートから程近い酒屋に足を運んだのだ。
その酒屋は昔から続く小さな店で、酒以外にも食品やちょっとした日用品も扱っているようなところだった。
オレが適当に酒を見繕っていると、狭い通路に置かれた段ボールが目に入った。
それは『三個で十両』『激安お買い得』と赤マジックで手書きされたと思しき札が付いており、何気なく中を覗けば様々な果物の缶詰が乱雑に詰め込まれていた。
普段なら、オレはそれをスルーしていただろう。缶詰フルーツなんて殆ど食べないし。
でも、その時は何故か気になってしまい、気付くとわざわざ屈み込んで段ボールの中身をひとつずつ見分していた。
ミカンやパイナップルなんかのありきたりのものから、洋ナシにライチとちょっと珍しいものまで。
それらをひやかし半分で眺めていたら、そこにひとつだけ気になる缶を発見してしまった。
一面真っ白に塗られた表面に、可愛らしい海豚の絵がひとつプリントされたもの。
一体何の缶詰だ?と手に取ってみれば、その海豚の下に小さく『黄桃』と書かれている。これほどパッと見、何の缶詰かわからないものも珍しい。
そのデザインの奇妙さに気を惹かれ、それを上から下から斜めからと存分に眺め回した後、オレは選んだ酒と共にレジへと持っていった。
桃缶は特別好きでもないけれど、なんとなく。丁度イルカ欠乏症のオレにピッタリのパッケージだった、ということもあるのかもしれない。
酒屋で酒と桃缶とを買ったその足で、オレはまっすぐイルカ先生のアパートに戻っていた。
酒をビニル袋から取り出して居間の卓袱台に並べ、ついでに桃缶も空いたスペースに載せる。
すると何故か自然と視線が桃缶へ向いた。
そのままぼんやりと愛らしい海豚を眺める内に、今度は無性に缶を開けたいという衝動が湧き上がってきた。
開けてもきっと何の変哲もない黄桃が入っているだけだろうと思うのに、この目でそれを確かめなくては納まらないような心持ちにすらなってくる。
多分これは、牛乳を拭いた後、暫く放置していた雑巾を臭いとわかっているのについ匂いを確かめてしまう、という心理に限りなく近い。
そんなことを考えながら、どうしても今すぐ缶を開けたくなってしまったオレは、台所で缶切りを探すことにした。
しかしながら、こんな時に限って台所内をどれだけ探しても缶切りは見付からなかった。
引き出しという引き出しを全て開け、食器棚や流しの下、こんなところにはないとわかっていながらも冷蔵庫の中まで覗いたのに、出てこない。
それでも後々、こんなところにあったのか!という場所から出てきそうな気もして、探索がなかなか止められなかった。
様々な場所に目を遣る間も、開けたい、という衝動がますます高まるのを感じる。これはもう、中身を見るまでは絶対納まらない!
―――ということで、オレは缶切りの代わりに手近にあったクナイを用意した。
こんな用途に使うなんてクナイに対してちょっぴり申し訳ない気分にもなったが、背に腹は代えられない。
もう気になって気になってにっちもさっちもいかないような状態なのだ。
オレはクナイを構えると、その鋭い切っ先を迷うことなく缶に対して垂直に振り下ろす。
瞬間、ガコッという鈍い音と共に、クナイが缶にまっすぐ突き立った。
直後、そこから勢いよく煙が噴出す。その上、缶が小刻みに振動し、ガタガタと音をたてて揺れているではないか。
驚いたオレは咄嗟にクナイを缶から引き抜くとすぐに身構えた。その間にも、煙はもうもうと放出され続ける。
今や室内は白くけぶり、視界が一切利かない。その中で、何かが蠢く気配。
ここにはオレ以外誰も居ない筈だというのに。一体何奴だ・・・?
クナイを構えたまま気配に意識を集中させ、何が起こっても良いように全身に緊張感を漲らせる。
オレ的にはくるなら来い、のつもりだったのだが。


「ぱーっぱらっぱっぱー!」


頭の天辺から抜けるような、異様に甲高い声が煙の中から届いたかと思うと、すぐにげほげほと激しく咳き込む音。
なんだ?と訝る間にも、室内にたちこめる煙が徐々に薄れてゆき、そこで漸く室内に人影らしきものがあるのに気付いた。
新手の召喚術の類かと緊張を崩さないまま様子を窺っていたオレは、「もう、けむり出過ぎ〜。後で調整しなくちゃ」などとぶつぶつ呟く相手の姿を認めて、目を見開くことになる。
だってそこに居たのは・・・イルカ先生だったんだ。
ひとつに括った黒髪といい、黒目がちの瞳といい、鼻の上を走る傷といい。
それが服を着てなくて、唯一前だけを葉っぱで覆い隠しているような格好でも、やっぱりどこをどう見たってイルカ先生なのだ。
「イルカ先生、どうしちゃったの!?」
「イルカ先生?誰ですかぁ、それぇ」
思わず訊ねたオレにも不思議そうに言い、相手は小首を傾げている。
それに自然と顔が顰まるのを感じていると、向こうから元気一杯な様子で疑問に対する答えが返ってくる。
「オレはぁ、イルカ先生じゃなくてぇ、黄桃の精でーっす!」
「きいもものせい・・・?」
「そう、オレは黄桃についている精霊さんなんですぅ。はじめましてー」
にっこり笑う相手につられてうっかり微笑み返しながら、オレはイマイチ状況が掴めないでいた。
なんだろう、このハジけた不思議ちゃんは。
普段イルカ先生に「アンタっていつでもハジけてますよね」と鬱陶しそうに言われるオレでもついていき難いノリだ。
そこにきて、あの台詞。


「えーっとぉ、せっかく呼び出されたんでぇ、ねがいごと、なぁんでもひとつ、叶えまーす!」


なのだ。
これはアレか、御伽噺なんかでよくあるランプの精霊と似たようなものなんだろうか。叶うのはひとつだけれど。
そんなことを考えるオレの前で、願い事を待っていると思しき黄桃の精はキラキラと期待に満ちた目をこちらに向けている。
―――・・中身は全くの別物だと分かっているのに、その顔が妙に可愛く見えて仕方ない。欠乏症とは本当に恐ろしい。
そんな気持ちを誤魔化すように、ひとつ咳払いをしてみせて。
「そうだな、じゃあイルカ先生をここに呼び出してよ」
取り敢えず、今一番の願いはそれだ。この場にイルカ先生が居れば、こんなハジけた不思議ちゃんが可愛くは見えない筈だし。
しかしながら黄桃の精は眉間に皺を寄せ、一言。
「無理ですぅ」
ちょっと待て。さっき何でも、って言わなかったか?
「オレ、その人の顔知らないからぁ。別のにしてくださーい」
・・・いや、アンタと全く同じ顔なんだけど。
とは思えど、イルカ先生の顔でにっこりされるとつい何でも許せそう、というか即許す心持ちになってくる。
なので、オレは再び考えて。
「んじゃ、イチャパラの続き、今すぐ読ませて」
この間出たイチャパラシリーズの最新刊は、なんと続きものになっていたのだ。
オレは続きが気になって、少し前までは本当に夜も眠れないほどだった。
しかしながらこの願いも、黄桃の精はあっさりと却下した。
「だってぇ、まだ書かれていないものはどうにもなりませんよぅ。他はぁ?」
またしても、満面の笑顔。それに対してやっぱり文句が言えなくなる。
この後もオレは願い事を考え続け、思いつく限りを口にしたのだが、なんだかんだと理由を付けられ全て却下された。
それを繰り返す内に、オレも段々投げやりになってきて。
「それじゃ、休み!一週間とは言わない、三日でいいから欲しい!!」
「んー、それは上司さんと相談して下さいねぇ」
「・・・アンタ、願い事を叶える気あるの?」
「ありますよぅ。叶えられるものならですけどー」
この精霊に叶えられるものなんてあるんだろうか。本気で訝りながらも、オレは少し考えて口を開く。
「じゃ、逆に訊くけど、何が叶えられるの?」
すると、黄桃の精は自分の唇に人差し指を当て、「うーん」と零しながら何かしらを考えているような素振りをを見せる。
・・・それがまた、可愛いらしく見えるんだよな、無駄に。
「そうですねぇ、身体を使うことならぁ。お掃除とかお洗濯とか、あ、マッサージなんかも得意ですよぉ」
そう言うと、黄桃の精は両脇を締めて顔の横で手のひらを丸く握り込む。
ふーん、マッサージ。マッサージねぇ。つか、マッサージなら・・・!
ふといいことを思いついたオレは、つい緩みそうになる口元を手で隠しながら改めて黄桃の精と向かい合う。
「そうだな、じゃあマッサージを」
「マッサージですかぁ?」
「うん、マッサージをオレにさせて」
「えっ?」
黄桃の精が驚いた顔でオレを見ている。何を言われたのか理解出来ない、という風にぱちぱちと瞬くのに、ちょっとばかりきゅんとくる。
ああ、こういう頭の悪い感じ、いいかもしれない。
「オレが、マッサージ、されるんですかぁ?」
「そう、してあげる。オレ、上手いよ」
にっこりと笑いながら黄桃の精に近付けば、何故か向こうも距離が詰らない程度に後退りする。
「何で逃げんの?」
「だってぇ・・・なんか顔、怖いですしぃ」
おずおずと言うのに、オレの中で加虐心のメーターが跳ね上がる。
「願い事、叶えるんでしょ?」
「まあ、そうですけどぉ」
言い合っている内に、黄桃の精は部屋の壁際にまで追い詰められていた。
それでも忙しなく視線を様々に向けるのは、逃げ道を探す為か。でも、オレはこのまま逃す気なんてさらさらない。
「なら、叶えてよ。難しくないんだから」
瞬時に間合いを詰めて、オレは黄桃の精の腕を取るとそのまま畳の上に引き倒していた。
その瞬間、ドスンと鈍い音がし、上手く受身が取れなかったらしい相手の顔が盛大に歪む。
その間に、押さえ込むように身体の上へと乗り上げたオレに向かって「やめてください!」と悲鳴にも似た声を上げるのをうっとりと聞きながら。
「だってこれはアンタから言い出したんだよ?今更でしょ」
オレの言葉に、泣きそうに顔を歪めた黄桃の精に対してぞくぞくと背筋が震えるのを感じる。
・・・実はこういうの、ちょっと憧れてたんだよね。嫌がってるところを強引に、みたいなの。
イルカ先生で、こんなパターンって絶対無理だからなぁ。
多分、床に引き倒そうとした時点で「アホか!」とブン殴られて終わりだろうし。ま、折角だからオレのささやかな夢に付き合ってもらいまショ。
そんなつもりで、完全に怯えた様子の黄桃の精に顔を近付けたところで。


「―――何やってんですか、アンタ?」


聞き覚えのあり過ぎる、冷ややかな声が背後から掛けられて、オレはその中途半端な格好で硬直する。
背後を振り返るのが恐ろしい。恐ろしいが、このまま振り返らないでいるのもまた恐ろしい。
ギギギと軋む音が立ちそうな動きで振り向けば、そこには胸の前で両腕を組み、仁王立ちをしてこちらを眺めるイルカ先生が、居た。
その表情と、全身から漂う気迫たるや、上忍のオレでも思わず縮み上がるほど。
ていうか、帰ってくるの、もうちょっと先だったんじゃあ・・・?
「誰かさんが色々言うから、無理言ってオレだけ早めに切り上げさせてもらったんですけど。でも、必要なかったみたいですねぇ」
ニコリ、と背筋が凍りつくような絶対零度の笑みを向けられる。これはマズい。ものすごくマズいパターンだ。
オレは慌てて黄桃の精の上から身体を退けると、イルカ先生へまっすぐ向き直る。
「こ、これは違うんです!黄桃の精とどうこうしようってことじゃなくて!あの、願い事をね、ひとつ叶えてくれるって言うから!ちょっぴり魔が差したっていうか!」
そんなオレの弁解というか言い訳を黙って聞いていたイルカ先生は最後ににっこりと笑って、一言。
「・・・オレんちから出てけ!」
そう言うと、有無をいわさずオレと黄桃の精を外へ叩き出し、ついでに卓袱台の上に置きっぱなしだった桃缶と酒をも放り出す。
そしてそのままオレ達に一瞥を呉れることもなく、ドアは閉められた。無情にも、中からガチャリ、と乱暴に鍵を掛ける音まで聞こえてくる。
「せんせー、誤解ですー!誤解なんですよォー!!」
必死に訴えてドアを叩くも、その後再びドアが開かれることはなかった。
がっくりと項垂れるオレの肩に、そっと手を置いた黄桃の精はどこか憐れむような目をしていて。
それにオレは、本気で泣きたいような心持ちになっていた。






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