モドル

● やっぱり犬がすき? --- 8 【完】 ●




それから数日後、イルカはモズから合コンの誘いを受けていた。
「オレの総力挙げて可愛い娘揃えたからな、楽しみにしとけよ!」
いやに自信満々なモズに、イルカはただ苦笑するしかない。
あまりのり気はしないが、ここまでセッティングして貰った以上、行かない訳にはいかないだろう。
行くことを承諾したイルカに、モズは明らかに安堵したような表情を浮かべた。
やはりイルカを慮ってのことだったらしいと悟って、モズに対して申し訳ないような、また一方ではその心遣いを有難いとも思う。
これ以上、気のいいモズに心配を掛けてはいけない。合コンをきっかけに、少しずつでもカカシのことを吹っ切っていかなくては。
未だ胸に蟠るものに気付かないようにしながら、イルカは静かに意志を固めた。



そして、あっという間にその日はやってきた。
定時に上がれるよう仕事を調整して、イルカはモズと共に会場の居酒屋へと向かう。居酒屋で、ハヤも合流するのだという。
「ハヤは相当やる気だから、お前も気に入った娘がいたらさっさとモノにしろよ。アイツガンガンいくタイプだから」
などとアドバイスを受けつつ、その内今日来る女の話になる。
「アヤメちゃんて娘がいるんだけど、その娘がかなり可愛いんだよ。お前は絶対好みだぜ」
「へぇ」
「目がぱっちりしててさ、笑うとアイドルのあの子に似てるんだけど・・・えーと誰だったっけ?まあ、兎に角すっげぇ可愛いワケよ。でもってな、華奢なのに胸がこうボイーンでバイーンでさ。お前、大っきい娘が好きだったよな?」
少々興奮気味に手で胸の形を再現するモズに、イルカは曖昧に笑みを返す。するとモズは唇を突き出し、そのまま尖らせてみせた。
「なんだよ、お前好きだろぉ?」
「いや、好きだけどさ」
「ならもっと嬉しそうな顔しろっての!」
そう言いながらモズはイルカの首に腕を回して、軽く締め上げてくる。それに「やめろって」と笑いながらモズを押し退けようとしていたイルカは、進む道の先に認めた人物を前に、一瞬にして身体が強張るのを感じていた。それでも、相手にそれを気取られないよう、素知らぬ顔で目の前を通り過ぎようとしたのだが。
「イルカ先生」
向こうから声を掛けられた。こんな時に、と舌打ちしたいようなイルカとは対照的に、隣のモズは相手に気付くと、ぱあっと顔を輝かせる。モズは純粋に憧れているのだ、かつてのイルカと同じように。その様子に苛立ちにも似たものを覚えながら、イルカは目前に立つカカシに対してあくまで素っ気ない声を出す。
「なんでしょう」
「少し話があるんですけど、いい?」
「すいません。オレ今から行くところが・・・」
「いや、全っ然平気ですよ!」
断ろうとしたイルカの言葉を遮ったのは、誰あろうモズだった。
「おい!」
「バカ、はたけ上忍直々に話があるって仰ってるんだぞ!どう考えてもそっちの方が優先だろうが。オレは先に行って事情を説明しとくから、お前は後で来いよ」
潜めた声で耳打ちされる。ちらりと伺ったモズの目は怖いくらいに真剣だった。ここでカカシの誘いを無碍に断れば、モズは激昂するに違いない。
面倒くさいことになった、とモズに気取られないようイルカはそっと嘆息する。
「・・・わかりました。少しだけなら」
「じゃあ、オレ先に行ってるから。それでは失礼致します、はたけ上忍!」
「ああ、悪いね」
カカシの言葉に純朴な少年のように頬を赤らめ、最敬礼に近い角度で一礼したモズはどこか逃げるように去っていく。この上忍こそがイルカを犬扱いした張本人だと、最後まで気付くこともなく。
去っていくモズの後姿を恨めしいような思いで眺めるイルカに、カカシから声が掛る。
「どこかに行くところだったんですか」
「ええ、今から合コンだったんです。モズが、えーと、さっきのヤツですけど、オレ好みの可愛い娘揃えてくれたっていうから、すごく楽しみにしてて。だからオレ、早く行きたいんですけど」
この場から早く去りたい一心で心にもないことを捲し立てる。するとイルカの言葉を聞いて「そう」と短く答えたカカシに、いきなり腕を掴まれていた。そしてそのままイルカが向かおうとしていた居酒屋とは逆の方向へと歩き出す。突然のことに驚いて手を振り解こうとしても、びくともしない。
勿論、慌てたのはイルカである。
「ちょ、離して下さいよ!」
悲鳴に似た声を上げる相手にも気を留めた様子を見せず、カカシはイルカの腕を掴んだまま黙々と歩き続ける。
そんなカカシに抗おうと散々大声で喚いたイルカだったが、ある時周囲の視線が皆自分達に集まっているのに気付いて、漸く口を噤んだ。
「・・・どこに行くんですか?」
訊ねても、やはりカカシは答えてくれない。イルカは溜息を吐くと、黙ってその後を付いて歩く。
カカシの足が向かうままに繁華街を抜け、住宅が密集する地区に入った。
イルカはこの道に覚えがあった。このまままっすぐ行けば、カカシの住むマンションに着くだろうことも。
ただ、あそこには二度と行きたくはなかった。もう犬になどなりたくはなかったし、何よりあそこに行けば否応なく様々なことを思い出してしまうに違いなかったから。
「嫌です!オレは・・・行きたくないんだ!!」
カカシの歩みに今にも引き摺られそうになりながら、ぐっと両足に力を籠めてイルカは必死の抵抗を試みる。
「犬になるのはもうたくさんなんです!カカシ先生がどう思ってるか知らないけど、オレはれっきとした人間なんだ、犬じゃない!!」
絶叫に近い声でイルカが喚けば、カカシはぴたりと足を止めて後方のイルカを振り返った。そしてどこか驚いたような眼差しでイルカを見つめた後、至極あっさりと言う。
「・・・そんなの知ってるよ?」
「えっ」
思わず呆けたように見つめ返すしか出来ないイルカに、カカシは明らかな苦笑いを浮かべてみせた。
「なんかお互いに誤解があるみたいだから、ウチに来てちゃんと話をしませんか?」
その言葉におずおずと頷けば、カカシはやわらかく微笑む。久しぶりに見たやわらかな表情に、イルカは己の心臓が煩く鳴り出すのを感じていた。それでも素直に事実を認めるのが悔しくて、応える口調はついぶっきらぼうなものになる。
「・・・もう逃げませんから、手、離してくれませんか?」
するとカカシは「すいません」と腕を離して、何故か今度はイルカの手を取った。
「あの?」
「まあ、いいじゃない」
そう言うと、カカシは再び歩き出す。周りに人気のないことを確かめつつ、イルカもそれを振り解くことをせずに歩く。
手甲越しに伝わるカカシのぬくもりに、どこか安堵する心をイルカは最早誤魔化すことが出来ないでいた。




カカシと共にマンションまでやって来たイルカは、そのドアの前で立ち竦んでいた。
ここに一歩でも足を踏み入れればまた犬になってしまう。それでは話にならないのだ。思わずカカシを窺えば、イルカの心を皆わかっているかのようにやさしく「大丈夫ですよ」と言う。その言葉を信じて、イルカは自らドアを開くと恐る恐る室内に足を踏み入れる。
しかしながら、待てど暮らせど犬の耳や尻尾の生える感覚は身体に現れなかった。一応耳と尻の辺りを触ってみるが、勿論そのようなものはない。出した声も、犬のものにはなっていないようだった。
それにイルカが安堵の息を漏らせば、背後のカカシからくすくすと笑うような声が漏れる。
そこで初めて先程の行為が傍から見ればいかに可笑しな光景だったかを思い知らされて、イルカは一瞬にして顔が熟れた。
そんなイルカの手を引いて、カカシは部屋へ上がる。すぐに感じる馴染みのある部屋の匂いと、少しも変わらない佇まいに出迎えられたイルカは小さく息を吐いていた。たかが二週間ほど訪れていないだけなのに随分と懐かしく感じたのは、イルカが本当はここに戻ってきたいと強く望んでいた所為だろうか。
そんなことを思いながら、イルカはリビングのテーブルとソファーの間にぽつんとひとつ置かれたクッションに目を留める。
それはソファーに座りつけないイルカの為に、「フローリングの床は畳と違って固いし冷たいから」とカカシ自ら買ってきてくれたものだった。イルカが出ていった時そのままに残してあったそれを前に、イルカの胸はあたたかいもので満たされる。
大人しくクッションに収まったイルカの姿に、いつの間にか口布と額当てとを外したカカシがやわらかく目を細めていた。そんな些細なことで視界がじわりと潤み始めるのを感じ、慌てて瞬きを繰り返すイルカの様子を眺めながら、テーブルを挟んだ向かいに座るカカシが口を開いた。
「本当はもっと早くこうして話をしたかったんですけど、イルカ先生にいきなり『終わりにしましょう』って言われて、オレ全然構えてなかったからかなりショック受けちゃって。なかなか立ち直れなかったんです」
照れ臭そうに言うカカシに、イルカは両目を大きく見開く。イルカには、離れたカカシがあくまで飄々とした態に映っていたのだから。
そんなイルカに対して、カカシは極まりも悪そうにがしがしと頭を掻きながら続ける。
「さっきイルカ先生が言ってたけど、オレがあなたと一緒に居たのは、あなたを犬として見ているから、って思ってたんだよね」
その言葉にイルカは大きく頷く。犬の耳に犬の尻尾、ついでに犬語にまでさせられて、完全に犬として扱われていたのだ。そこまでされれば、イルカでなくともそう思うだろう。
けれど、カカシは意外な言葉を口にする。
「別にオレは犬云々っていうのはどうだって良かったんです。イルカ先生の傍に居られるなら、それで良かったんですよ。だってオレ、ずっとイルカ先生のことが好きだったし」
「えっ?!」
思わずイルカは素っ頓狂な声を上げていた。そんなことは初耳だったのだ。
齎された言葉を素直に信じることが出来ず、ぱちぱちと幾度も瞬くイルカに、「やっぱり覚えてないんだ」とカカシは苦笑しながら。
「イルカ先生が初めてこの部屋に来て、『犬にして』って言った時にも同じことを言ったんですよ。それでも犬になりたいって聞かなくてね。だから、犬みたいに扱ってあげた方がいいのかなと思ったんですけど」
「・・・すいません。ちっとも覚えてません・・・」
消え入りそうな声で告げながら、イルカは己の身体がどこまでも小さくなっていく気がした。恥ずかしく、情けなく、またカカシに申し訳なくて、今すぐこの場から消えてしまいたいほどだった。
「でもまあ、オレも悪かったんですけどね。『犬みたいで好き』なんて言っちゃったし。オレもあの時、かなり酔ってたから」
「酔ってたんですか?」
「まあね。だってイルカ先生から誘われるのって初めてだったし、柄にもなく緊張して呑み過ぎちゃった」
「そう、ですか」
カカシの言葉に擽ったいものを覚えて、誤魔化すようにイルカが鼻の傷を擦る。それでも胸の中に沸き上がるのは、確かな喜びだった。
あの時カカシもイルカと同じように緊張していた、ということが。そしてまた、己と同じ感情を抱いてくれている、ということが。
「・・・でもね、オレの中で犬みたいで好き、っていうのは褒め言葉なんですよ」
「そうなんですか?」
「うん。犬と一緒にするのは拙いと思うけど、イルカ先生の好意っていつもまっすぐじゃない。ナルトにしても、アカデミーの子供達にしても、あなたに好意を向けられた相手は誰でも自分が本当に好かれているとすぐにわかる。オレもそんな風にあなたにまっすぐ好きになって貰えたら幸せだなと思ったんです」
臆面もなく言い募るカカシに、聞いているイルカの方が照れ臭くなってくる。それでもカカシは頓着した様子もなく続ける。
「こんなことになるなら、『犬になる』って言ったイルカ先生の話、もっとちゃんと聞いておけば良かった、ってすごく後悔してるんですよ。合コン行くって言われた時、オレがどれだけショックだったかわかります?」
「・・・カカシ先生は、オレが犬じゃなくても良かったんですね」
「勿論ですよ。オレは普通に恋人同士になれたらそれで良かったんです」
あっさりと言うカカシに、イルカは全身から力が抜けていく思いだった。
最初からそれをわかっていれば、イルカがこんなにも悩むことはなかったのだ。カカシも、イルカのことを犬としてではなく人として好きだったのだから。最初の食い違いの所為で随分と遠回りをしてしまったらしい。そう思えば、何故かそのまま泣けてきそうで、イルカは唇をきつく引き結ぶ。
そんなイルカを見つめながら、カカシが訊ねる。
「それじゃあ改めて訊きますけど、オレと恋人として付き合ってくれますか?」
その答えは、考えるまでもない。イルカがこくりと頷くと、カカシは心底嬉しそうに「良かった」と笑った。大輪の花が一斉に咲き誇るかのように美しい笑みを向けられ、イルカは思わず茫っと見惚れる。その間に、何故かカカシはイルカの傍へ寄ってくる。
「ただ、やっぱりイルカ先生が犬だと、困ることもあったんですよね」
「・・・困ること?」
何のことかと首を傾げるイルカに、カカシは真面目な顔をして告げる。
「流石に手を出せないでしょ、犬相手じゃ。イルカ先生のお世話をするのも楽しかったけど、嫌われたら拙いと思ってあれでも色々我慢してたんですよ。でも、もういいよね?」
そう問うカカシが、イルカの頬へと触れる。そのままそっと撫ぜるように滑る手のひらから、強い熱を感じる。それがカカシのものなのか、それとも自らが発するものなのかイルカには判別がつかなかった。意識している所為か、自然と心拍数が上がっていくのを止められない。
そんなイルカの首筋にカカシの腕が回され、顔が近付いてくる。反射的に瞼を閉じれば、そのまま口吻けられる。唇同士を触れ合わせるだけではない、舌を絡め、唾液を交換するような濃厚なもの。
その途中で息苦しくなり始めたイルカがやんわりとカカシの胸を押しても、カカシは口吻けを止めようとはしなかった。反対にますます深く口腔をまさぐるように舌を動かされる。イルカはその内、抵抗することを忘れた。長いような短いような時間、カカシに全てを委ねるように、身体から力を抜いていた。
「・・・ね、ベッド行く?」
漸く唇が離れてからも、どこかぼんやりとする頭のイルカに向かって訊ねるカカシの目には、明らかな欲が宿っていた。
それに気付いたイルカの顔は一気に熟れたようになったが、少しも嫌だとは思わなかった。
犬では、こんなことは出来ないだろう。カカシが、イルカをきちんと恋人として見、そのように扱おうとしている。それが何より嬉しかったのだ。
イルカが頷けば、カカシはこれ以上ないというほど嬉しそうな顔をして両腕を伸ばしてくる。そのまま横抱きに抱え上げようとするのに、カカシの腕の中で体勢を崩したイルカが縋るようにその首に腕を回す。
「もう他に目がいかないように、ちゃんと可愛いがってあげる」
耳元で低く通りの良い声が囁き、軽く耳朶を甘噛みされる。それに急激に上がっていく顔の熱を隠すように、イルカはカカシの肩口に顔を埋めた。
ただただ恥しくてどうにかなりそうだと思いながら、一方でもうどうにでもなれ、と思う心もある。
カカシの腕に運ばれながら、イルカは腹を括るつもりでぎゅっときつく瞼を閉じた。




イルカが目を覚ますと、灯りの落とされた真っ暗な部屋のベッドに横になっていた。
最初こそ暗闇に目が慣れなかったが、徐々に目がそこに在るものを認識していく。
ここは、カカシのマンションの寝室。最早見慣れたと言っても過言ではないそこで、イルカはカカシに抱かれたのだ。
丁寧に身体を拓かれ、本来受け入れる為の器官ではないところでカカシを受け入れた。熱く激しく求められ、それに応えた。
先程までのことが脳裏に浮かぶ度に、頬が、身体が、強い熱を持つ。それを打ち消したくて寝返りを打とうとすれば、腰と身体の節々に鈍い痛みを覚えて自然と顔が顰まった。
「ってぇ・・・」
低く呻きながらも、先程のことが夢ではないと教えてくれるその痛みに、恥しさだけではない穏やかな何かがイルカの身体に満ちていくのを感じる。そんなイルカの隣で、カカシが眠っているのが目に入った。穏やかな寝顔を前に無性に込み上げるいとしさのまま、そっと手を伸ばしてその頬に触れてみる。
「・・・眠れない?」
いつから目を覚ましていたのだろう、カカシが静かに瞼を開いた。そこには熱病に浮かされたようにイルカを求め、射抜いた眼差しの強さはない。
どこまでも穏やかでやさしいそれを見つめながら。
「なんか、夢みたいで」
今日だけで、様々なことがあった。
犬扱いされていたカカシから告白され、恋人同士になり、口吻けして、最後はこうして情を交わした。どれもイルカには信じられないことばかりだった。もしこれが全部夢だと言われても、イルカは信じてしまえそうな気すらしているのだ。
それを聞いたカカシはふ、とやわらかく目を細めて、イルカに頭を持ち上げるように言う。
イルカが言われた通りにすると、その下に腕が差し込まれた。それにイルカがカカシを窺えば、目で頭を下ろすように指示される。
戸惑いながらもそっと頭を下ろしたイルカに、カカシは満足そうに微笑んでみせた。
「その内、そんなことを思わないくらいにしてみせます」
自信に満ちたように言うと、空いている手がそっと髪を梳く。その心地良さに、イルカはうっとりと瞼を閉じる。
「おやすみ」
耳元で小さく囁かれたそれに、「おやすみなさい」と返したかどうかすら定かでないまま、イルカの意識は深いところへと沈んでいく。
翌日、モズに事の顛末を訊かれて顔色を赤く青く染める羽目になることなど知らず。
この時、イルカはただ幸せな心持ちで眠りについた。




【完】

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