GM SSS

9 (10/31に寄せて)




パソコンと睨めっこしている最中に、ふと肌寒さを覚えた。
画面から顔を上げれば今更のように室内が暗くなっているのに気付く。
目を遣った、画面の隅にある時計に表示された時刻は18:24。
いつの間にそんなに時間が経っていたんだろう。
一度ひとつのことに集中すると、他に気が回らないのは僕の悪い癖だ。ずっと部屋に籠って仕事をしている分、余計に時間の感覚というものが曖昧になってきているのかもれしないけど。
そんなことを思いながら、椅子から立ち上がって部屋にひとつだけある窓へと足を向ける。
何気なく外を見遣れば既に夜の闇が迫る空の中、落ちきっていない日が名残を惜しむように空の端を薄ら橙色に染めているのが目に入った。
ああ、もう1日が終わるんだ。
厳密に言えばまだ1日が終わる時間ではないけど、日が落ちる時には何故かそう感じてしまうのは僕だけだろうか。ついでに淋しいようなもの悲しいような、何ともいえない感覚が胸に湧いてくるのも。
橙色が全て闇の色に塗り替えられるまで空をぼんやりと眺めてから、窓にカーテンを引く。それから部屋の電気を灯せば、突然明るくなった室内に目が慣れず、何度もぱちぱちと瞬く羽目になった。
どうにか光に慣れたと思ったら、ぶるりと身が震える。窓の傍に居た所為かすっかり冷えてしまったらしい。
思わず両腕を抱くようにしながらパソコンデスクまで戻り、椅子の背に掛けたままになっていたカーディガンを手に取る。
深みのある青のコットンカーディガンは、先程目にした空の色と少し似ているように感じた。闇に沈んでいく空の、一番濃密になった青の色を閉じ込めたみたいだった。それを羽織ってもう一度椅子に腰掛ける。
再びパソコンを構おうとすれば、今度は指先が冷えているのにも気付く。
冷えた指ではキーボードを打ってもどうにも動きがぎこちない。温めるつもりでカーディガンのポケットに手を突っ込んでみれば、指先に何かが当たる。頼りないセロファンらしき感触のものを摘まんで引っ張ると、ポケットの中から包み全体に苺の模様が付いたキャンディが出てきた。
この間、「ガチャピンにあげます」と言われてムックから貰ったものだとそこで思い出す。貰ったけど、すぐに食べずにポケットに入れておいたのをすっかり忘れていたんだ。
なんとなく指先でキャンディを玩んでみてから包み紙を開け、中から覗く鮮やかに赤い球体を口に放り込む。途端に口の中へ広がる甘ったるい苺味は予想した通りで、僕は思わず顔を顰めていた。
僕はあまり苺味のお菓子が好きじゃない。
本物の苺とは違う、人工的な甘ったるさが苦手だった。
でも僕と違ってムックは苺味のお菓子に目がない。苺味のものがあると必ず買って、いつも律儀に僕にも分けてくれるから困ってしまう。
苺味のお菓子が苦手だとなんとなく言いそびれて以来、言わなきゃと思いながらずるずるときてしまったんだ。でも、これもどうにかしないとな。
ころころと口の中でキャンディを転がしながら考えていると、部屋のドアをノックする音が耳に届く。きっとムックだ。
「開いてるよ」
声を掛けたのに、ムックは一向に部屋の中へ入ってこない。おかしいなと思いつつ椅子から立ち上がり、ドアを開けた瞬間ぎょっとした。
ドアの奥に、白いものが居た。
・・・もっと正確に言えば、白いシーツを頭から被った大きなものが、僕を見降ろすように立っていた。
「ムック、何してるの?」
思わず怪訝な声で訊ねれば、白いシーツはぶんぶんと頭らしき個所を横に大きく振った。
「ちがいます。わたくしムックではなく、お化けなんです」
お化けって。
声はどう聞いてもムックなんだけど。それにシーツの長さが足りてなくて、下から足が完全に見えちゃってるんだけど。
しかしながら自称“お化け”は僕の思いに気付いた様子もなく、両手を万歳でもするように高々と上げてみせた。
「えーと、お菓子をくれなきゃイタズラしますよっ!」
「お菓子?」
「そうです、お菓子です」
シーツのお化けは大きく頷いているように見える。
お菓子か。今は何も持ってないんだよね。キャンディも食べちゃったところだし。ムック、そんなにお菓子が欲しいのかな。
「ごめん、何にもないんだ。お菓子なら後で一緒に買いに行こうよ」
「ないんですか?」
「うん」
「なら、仕方ないですねぇ・・・」
なんて、どこか勿体をつけたように言ったシーツのお化けが、今度は妙に弾んだ声で宣言する。
「イタズラです!」
するとシーツの中から二本の手がにょっきりと伸びてきた。手に両肩を押され、バランスを崩した僕が尻餅をついたところにシーツのお化けが上から覆い被さってくる。
気が付けば、僕は床へ押し倒される格好になっていた。
突然のことに目を白黒させていると、シーツの中からムックが顔を覗かせる。僕の身体に乗り上げた格好のムックは、顔を上から覗き込むようにしながらにっと唇の端を大きく持ち上げて笑う。それは正しく、悪戯小僧の顔。一体何のつもりだろう。
何かしら文句を言ってやろうと口を開いた瞬間―――僕の口はムックの唇にぴったりと塞がれていた。次いで、ムックの舌が口腔へと滑りこんでくる。
驚きのあまり固まる僕を余所に、歯裏や口蓋をねっとりと舐められ、舌を絡め取られる。なめらかに絡む舌からは唾液が伝い、その内お互いの唾液が混じり合う濡れた音もはっきりと耳に届く。
ムックからのディープキスは、口の中にあるキャンディの所為か苺の味がする。
・・・そんなことを他人事のように思いながら、いまいちこの状況についていけていない僕が何も出来ずにいる間に、ムックはさっさと唇を離してしまった。ついでに、僕の口の中にあったキャンディを奪い取ってから「イタズラ完了」とにっこり笑う。
そんなムックを、僕はなんともいえない微妙な心境で見上げつつ。
「なに、急に。イタズラとかさぁ」
「だって、今日はハロウィンですよ?」
悪意など欠片もないように言われて、一気に脱力する。
ムックが、こういうイベント事が大好きなのは知っている。クリスマスやお正月なんかは誰より張り切るタイプだというのも。だから今回も張り切った、ということなのかもしれない。
でも、だからってイタズラで押し倒してキスするかなぁ。僕、今ちょっとヘンな気分だし、それをどうやって紛らわそうか困ってるんだけど?
恨みがましくムックを見遣れば、僕の上に跨ったままのムックは相変わらず笑顔で告げる。
「因みに、わたくしもお菓子を持っていませんよ」
・・・えーと、それってどういうこと?
言葉の真意が掴めなくてムックを見つめてみるけれど、やっぱりにこにこしているだけだった。
その様子に面食らいながらも、でも一方でなんとなくわかってくる。
これってもしかして、構ってくれ、ってことなのかな。
ムックは放っておかれるのがあんまり好きじゃない。口には出さないけど、僕は絶対そうだと思っている。
だって僕が仕事なんかで長い時間ムックをひとりきりにしていると、いつも何かしらのアピールをしてくるから。籠って仕事をしている部屋に差し入れと称して苺味のキャンディを持ってきてみたり、そのまま部屋に居座ってみたり、とかね。
今日は朝から仕事にかまけてずっとムックのことを放ったらかしにしていたから、そろそろ構ってほしくなったのかもしれない。少し強引だけど、ハロウィンに託けたこれもムックなりのアピールだと思えば、応えない訳にもいかないだろう。
まだ残ってる仕事は・・・まあ、後でどうにでもなるよね、きっと。
自分に言い訳をしながら、僕は床に肘を付いて軽く上体を起こす。
そして、先程のムックの言葉をなぞらえるように、相手へ告げる。
「―――・・お菓子くれなきゃ、イタズラするよ?」






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