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続いてゆく日々のいとしさ

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五月二十七日

ふたりとも休みだったのでだらだらとベッドの中に居て、漸く本格的に動き出したのは昼も随分と過ぎてからだった。
部屋の窓から臨む空は雲ひとつなく、太陽は燦々と照り、どこまでも鮮やかな青が広がる快晴。室内でじっとしているのが勿体ないと思わせる天気だった。
それに冷蔵庫の中に何も無いと彼が言うので、散歩がてら買い出しに出ることにした。買い出しのついでに、昨日貰った花束を入れる花瓶を見るのも忘れないようにしなくてはならないだろう。流石に、貰ったものをバケツに入れたままで置いておくのは忍びない。
ぽかぽかと暖かいというよりは暑いくらいの陽気の中、のんびり商店街に向かって歩いていると、思いついたように彼が言う。
「こんなに良い天気だし、折角だから火影様の顔岩まで行きませんか?」
歴代の火影様の顔を模した岩の上には里が一望できる展望台が設えられていて、アカデミーの課外授業や遠足コースの定番だという話は以前に彼から聞いている。これだけ天気が良ければずっと遠くまで見渡せるだの、それがなかなか壮観、という彼の熱心な口説き文句に乗り、ふたりで展望台へと向かう。
展望台まで続く階段は自然にある石をそのまま利用した簡素な作りで、長い年月を経て端が欠けたり、また途中が抉れている個所が幾つもある。
しかし忍の足でなら造作も無い筈の道程の中、彼は何度も段差に躓き、階段から足を踏み外しそうになっていた。その度にオレが身体を支えれば、彼は恥ずかしそうに鼻の傷を擦りながら言う。
「ダメですねぇ。まだ酒が残ってるのかな」
・・・目が見え難くなった、と聞いてはいたが、こういう時それを実感させられる。このまま、いつ見えなくなってもおかしくないのだ。
その事実に、妙に心許ない思いに捉われてぶるりと身が震える。

「・・・どうかしたんですか?」

どこか戸惑った様子でオレの顔を覗き込む相手に「なんでもないです」と答える。こんなこと、正直に言える訳がない。それ以上の言葉を探しあぐねたオレは、そのまま彼の手を取って歩き出す。
隣で、彼が何か言いたそうにしていたのは知っていたけれど。
「危ないから」
そう告げれば、後はもう何も言わなかった。
彼を気遣い、ペースを合わせてゆっくりと石の階段を上がっていく。
それに伴って徐々に視界が開けてきた。
少しずつ空が近付いてくる。
オレ達を導くみたいに、爽やかな風が上から吹き抜けていく。
漸く展望台に着いた時、そこにオレ達以外の人間の姿はなかった。
貸し切り状態であると知った彼は途端に目を輝かせ、オレの手を引いて展望台の際にある柵の前へと連れてくる。

「ここからの眺め、最高でしょう!」

どこか得意気な顔付きで告げられて、思わず笑みが漏れる。
アカデミーの教師でもあったというのに、彼にはこうした子供っぽいところがある。でもだからこそ子供達も馴染み易くて、あんなに慕われていたのかもしれない。
笑ってしまったのがいけなかったのか、彼は僅かに唇を尖らせるようにして、むっつりと黙りこくった。そして手のひらを目の上に翳すと眼前に広がる風景を無言で眺めている。そんな相手に声を掛けるのが躊躇われ、オレも彼に倣って里を眺める。
一時、大蛇丸に壊滅的な打撃を与えられた里も、今は以前と変わらぬ姿にまで復興している。
でも全く同じ、という訳ではない。
立ち並ぶ建物が変わっている。あった筈のものがなくなって、代わりになかったものが増えている。
そこに住む人々だってそうだろう。あの日から今日までに誰かが亡くなり、そして里から去った人だって居る筈だ。
変わってしまうのだ、どうしても。
様々な出来事を経て、子供は成長し、大人は老いることで容易く変わってしまうのだから。ナルトもサクラも・・・サスケも。そして隣に並び立つこの人も。
変わって欲しくないと願っても、変わってしまうのだ。
過去に起こった様々な出来事と同じように。
彼から失明すると告げられて、オレは今迄自分が何とかしなくては、という義務感に似たものを強く感じるばかりだった。
けれど、いざこうして事実と正面から向き合うとわかる。自分が未だ心のどこかで『変わる』ということに怯えているのを。
彼自身も、ナルト達でさえそれを受け入れているというのに。
今迄見えていたものが見えなくなる。彼の世界は闇に沈み、オレとは違うものになる。
彼が変わる。変わってしまう。

――――・・もしも今、彼が変わってしまったら。

そう思ったら背筋をぞっと冷たいものが這い、反射的に彼の手を強く握り締めていた。
「痛いですよ」と彼は言ったが、オレは力を緩めることが出来なかった。しっかり掴んでいないと恐ろしいことが現実になる、とでもいうように手が離せなかった。
ずっと掴んでいた手には、いつしか嫌な汗を掻いていた。







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