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続いてゆく日々のいとしさ

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五月二十九日

ここ数日、彼の目覚める瞬間が一番緊張する。
もう見えなくなっているのではないか。もしそうであればどうしよう。
そんなことが頭を過る為だ。今のところ、杞憂に終わっているけれど。
それでも鬱々と考え込んでしまう。
オレの悪い癖で、一旦気に掛ってしまうと止まらない。
そしてより悪い方へ悪い方へと思考が落ちていくのがわかっても、やはり止められない。
ここ数日妙に寝付きが悪いのも、多分その所為だろう。たとえ眠れたとしても、眠りが浅い所為かすぐに目が覚めてしまう。
今日も殆ど眠れないから、代わりに彼の寝顔を眺めて時間を潰しているという訳だ。
穏やかな寝顔。洩れる規則正しい呼吸。つられて上下する胸。
それは以前と変わりがないのに、彼が目を覚ました瞬間オレを取り巻く世界全てが変わるかもしれない。
そう考えると恐ろしくて堪らなくなる。
彼を揺すぶり起こしたいようにも、そのままずっと眠っていて欲しいようにも思うオレの前で、彼がゆっくりと瞼を開いた。
深い夜の闇を思わせる真っ黒な瞳にオレの顔が映る。
けれど眼球はちっとも動かないし、瞬きひとつしないから、その目が本当に見えているのかすぐにわからない。
オレは小さく息を呑んでから、訊ねる。
「おはよう。ねえ、オレの顔が見える?」
すると幾度かの瞬きの後、彼の眼球がこちらを探るように動き始めた。
黒目がちの瞳がじっとオレを見る。
暫くして、彼がこくりと頷いた。それに息を吐けば、彼も安堵したような、一方でどこか苦しそうにも見える表情が浮かぶ。
・・・きっと、彼が一番辛いだろう。不安だろう。
見えなくなるということがオレには漠然としか掴めないのに、これだけ恐ろしいと思うのだから。
「長く、見えているといいね」
自然と口を吐いて出た言葉は、多分オレの本心。
見えていて欲しい。
長く、長く。
ずっとこのまま変わらないでいて欲しい。
オレは怖いよ。アンタの目が見えなくなるのが、怖くて仕方ないんだ。
でもそんなこと、アンタには言えない。
だってアンタは自分のことで精一杯。
これ以上、余分なことで気を病ませる訳にはいかないじゃないか。

―――・・臆病で、ごめん。

心中で呟くと、とてもそのまま顔を見ていることが叶わず視線を逸らす。
代わりに、オレは手を伸ばして彼の頭を撫ぜた。なんとなく、彼のどこかに触れていたい気分だった。
撫ぜる内に、彼が胸元へ顔を埋めるように額を寄せてくる。それでもオレは何も言わず、ただ頭を撫ぜ続けた。
まるでそうすることが、自分達にとって唯一の救いであるかのように。








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