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続いてゆく日々のいとしさ

18




五月三十日

昨晩もよく眠れなかった。さほど眠くはないが、何をしていてもどこか上の空でぼんやりしている気がする。
その所為か、今日の任務中に普段では有り得ないような失態を犯した。
きちんとフォローはしたからどうにか任務自体は遂行出来たけれど、共に任務に就いていたサクラからは「もう、しっかりしてくださいよ先生!」と詰られ、同ナルトからは「先生がぼーっとしてるのはいつものことだけど、今日のはちょっと酷いってば」と呆れたように言われた。
でも言われても仕方ないよな、とは思う。オレだって実際同じ目に遭ったら、相手に愚痴のひとつは零したいだろうから。

「よう、酷ぇツラしてんなぁ」

待機所の椅子に座りながら相変わらずぼんやり考えていたところで、声を掛けられた。
それに視線を上げれば、オレの向かい、窓際の椅子にアスマがどっかりと腰を下ろすのが目に入った。どうやら声を掛けてきたのはコイツらしい。
腰を下ろしてすぐ、アスマは懐から煙草を取り出してそのまま一服し始める。その様子を何とはなしに眺めていれば、窓から差し込む光に自然と目が向いた。アスマの輪郭を縁取るように注がれる光は、初夏と呼ぶに相応しい鮮やかさを持っていた。
それに、もう少ししたら夏が来るんだな、と思う。
彼は夏が好きだ。暑い暑いと言って汗をだらだら掻きながら、それでもそういうのを含めて夏が好きだと言う。暑いのが嫌いな所為で、オレは未だその感覚を共有出来ないでいるけれど。今年は夏祭りの花火を彼と見られるだろうか。・・・否、それが彼には見えているだろうか。

「最近どうだ?」

とりとめなく考えているところで、訊ねられる。他人のことには立ち入らない主義だと言って憚らないこの男にしては珍しい質問だった。
「うん、まあ、ぼちぼち」
取り敢えず、当たり障りのないように答えれば、アスマは口からもわりと煙を吐き出すついでに「そうか」と言った。
吐き出された煙は天井へ向かう間に全体に薄く広がり始め、端から空気に溶け込んで消えていく。それを眺めていたら、なんとなく。
「でも怖いんだ」
そう、口に出していた。殆ど無意識に近い状態だったから、自分の言葉に自分でも驚いた。けれど不用意に零したこの一言で、堰を切ったように口から次々と言葉が溢れ始めた。
「怖いんだよ、オレ。あの人の目が見えなくなる。闇しか映さなくなる。
オレと同じものが見えなくなったら、あの人はどうなるんだろう。どう変わるんだろう。もしかしたら、今のあの人とは百八十度人間の在り方が変わってしまうかもしれない。今はオレと一緒に居てくれるけど、ひょっとしたらオレと居ることが苦痛になるかもしれない。オレなんて要らないと切り捨てて、オレの傍から離れていってしまうかもしれない。あの人が変わってしまったら、オレはどうしたらいいのかわからないんだよ。それが、すごく怖い。変わったあの人と、オレは一緒に居られるのかな。それに変わったあの人は、オレを受け入れてくれるのかな。あの人を失ったらオレは・・・」
「手前のことばっかりだな」
棘のある言葉に改めてアスマを見遣れば、アスマは煙草を挟んだ指を真直ぐオレへと突き出して、続ける。
「いいか、お前はずっとイルカが変わることにばかり気を取られている。だがもし目じゃなく腕が一本無くなったとしたら、イルカはイルカじゃなくなるのか?違うだろ。イルカはイルカだ。それは変わらねぇ。
・・・変わることも確かにある。見えなくなれば不便なことも増えるだろう。それでもイルカって人間の本質がそう簡単に変わる訳ねぇだろうが。アイツの懐の広さや優しさ、そういうアイツの持ってるモンが泡みたく消え失せると思ってるなら、そいつはとんだ勘違いだ。人間はそんなにやわに出来てねえよ。大体、お前も惚れた相手のことを信じろや。それが出来ねぇんならさっさと離れろ。そんな中途半端な奴に傍に居られてもイルカは迷惑だろうからな」
喋っている間に随分と短くなった煙草を灰皿に押し付け、最後にアスマは付け加える。

「後は皆、お前次第だろ?」

その言葉に、オレは横面をガツンと殴られたような気がした。
彼から失明すると告げられた時、幽霊になっても傍に居てくれるんでしょうと訊ねられた時、ひとりにするなと怒鳴られた時。確かに傍に居たいと思った気持ち。それは今も胸の中にある。たとえ彼が変わってしまったとしても、この想いはずっと変わらないだろう。
そうか、そうだったんだ。変わらないものは、オレの中にある。
変わることを恐れるあまり、そんな簡単なことすら失念していた。
その事実が、オレの心を軽くする。
目の前が開けて一気に明るくなった気がした。
そんなオレの様子を黙って眺めていたアスマだったが、その内「そろそろ行くわ」と椅子から立ち上がった。そして思い出したように口を開く。
「お前んとこのガキ共に感謝しろよ」
「え?ガキ共って・・・もしかしてナルトとサクラ?」
予想外の相手を告げられ、オレは目を見開いていた。
「ああ。アイツらにお前がいつも以上に変だからそれとなく話をしてみてくれって頼み込まれたんだよ。妙に必死な様子だったから断り切れなくてな。まあ、アイツらなりにお前を心配した、ってこったろ」
・・・まさかアイツらからそんな気遣いをされるなんて。
心配するのは、いつもオレの役目だと思っていたのに。
気恥しいような、でもアイツらの変化を喜びたいような、ちょっと複雑な心境だ。
そんなオレを置いて、のそのそと、まるで熊のようにアスマは扉に向かって歩いていく。
「悪いーね」
後姿に向かって声を掛ければ、僅かに片手を持ち上げたアスマはそのまま振り返ることなく待機所から出て行った。








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