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続いてゆく日々のいとしさ




五月十二日

目の定期検診がある日、病院に一緒について行く、と言ったら彼はあからさまに、なんで?という顔をした。
それにも大いに引っ掛かったが、何よりその後に続いた言葉。
「・・・取り立てて面白くもないですよ?」
見事なまでに頓珍漢な内容に、思わず溜息が洩れそうになる。
別に面白さとかそういうのを期待している訳じゃないんですよ、オレは。
それよりは、彼の今の状態だとか、将来的なことを含めて色々知っておきたいという心持ちの方が強い。
もしこれから何かあった時の為にオレも彼の主治医と知り合いになっておいた方がいいと思うし、それにこれからもっと目が見え難くなってからのことも相談したい。何に気を付けて生活すればいいとか、何が必要になってくるとか。それに他にも訊きたいことが沢山あって・・・。

「あーもうわかりました、わかりましたから!付いて来るなりなんなり好きにして下さい!!」

うるさい!と言わんばかりにオレの主張を遮った彼は、どこか投げやりに言う。自分のことだというのに、彼はこういう部分がいい加減なのだ。だから余計にオレが心配して世話を焼いてしまうんだろうけど。
そんな彼に付いて、オレも一緒に病院へと向かう。
彼のアパートから徒歩十分ほどの、その病院を一目見た感想は兎に角ボロい、の一言に尽きる。
古びた木造の外観からして怪しかったのだが、やはり中もそれと同様の状態だった。曇空の屋外ですら明るいように感じてしまう室内灯の薄暗さとか、色褪せてくすんだ壁に貼られた黄ばんだポスターとか、床のタイルのところどころに罅が入って剥げ掛かっているのだとか。
昔から続く病院といった雰囲気ではあるが、設備の面は大丈夫なのかと疑いたくなる。
そしてもうひとつ、受付で彼から診察券を受け取った、幾分歳のいった無愛想な看護師。
オレが付き添いである旨を伝えれば一言、「お待ち下さい」と告げられたのだが、その言い方がまた非常に感じが悪かった。
棘があるというか、攻撃的というか。もうちょっと愛想ってものを覚えた方がいいんじゃない?と思わず言ってやりたくなったほど。
ただ、彼は慣れているのか何事もないように靴からスリッパに履き替えていた。それをペタペタいわせながら待合室へ歩いていくのを見て、置いていかれた形のオレも慌ててスリッパに履き替える。
いつもこうなのか、それとも今だけなのか、待合室に人の姿は無かった。
人が居ない所為かどこか広く感じられる室内で、彼に倣って長椅子に腰掛ける。長年の使用で随分草臥れた様子のそれは、スプリングが壊れかけているのか恐ろしく尻馴染みが悪い。その為、ちっとも落ち着くことが出来ず、少しでもマシな位置が無いものかと暫くもじもじと尻を動かす羽目になった。
見た目で判断するのも如何かと思うが、この病院に対するオレの評価は低い。今すぐにでも木の葉病院に移った方が良いのでは、とすら思う。あちらの方が間違いなく設備は整っているだろうし、何より安心な気がする。
そんなことをぐるぐると考えながら彼方此方に首を巡らしていれば、「うみのさん」と件の看護師が彼の名を呼んだ。
立ち上がった彼に付いてオレが診察室に入ろうとすれば。
「いいですか、絶対大人しくしてて下さいよ?」
彼はわざわざオレを振り返って、釘を刺す。それに一応、頷く素振りだけは見せておく。後でどうなるかは神のみぞ知る、だ。
パッと見、あまり広くなさそうな診察室は何カ所か長いカーテンのようなもので仕切られていた。その奥には大小様々の診療器具と思しきもののシルエットが見て取れる。
その一番手前にあるカーテンに、カルテらしきものが置かれた机と、眼鏡を掛けた神経質そうなジジイがひとり置物のように座っていた。この人物が彼の主治医らしい。耄碌している風ではなかったが、かなり歳はくっていそうだった。この人、本当に正しい診断が出来るのかと本人が聞いたら気を悪くしそうな事柄が次々に頭の中へ浮かび、喉元にまでせり上がるのを必死で堪える。
そんなオレを気にした様子もなく、ジジイは彼に二言三言ぼそぼそと何事か訊ねた後。
「では、先に検査をしてみましょう」
そう言うと、隣室への移動を促す。隣室のドアからは無愛想な看護師が顔を覗かせて待っているのが見えた。
立ち上がった彼に、オレもその後へ続こうとしたところで。
「アナタはここに居て下さい」
そうジジイに言われ、彼からも。
「そうして下さい」
なんて言われてしまえば、渋々この場に残らざるを得なくなる。
・・・まさかとは思うけど、あの看護師に変なことをされていないだろうな?おかしな気配がしたら何があっても飛び込んでやる・・・!
じりじりと焦がれるような心持ちで隣室のドアを睨んでいたオレに、不意に声が掛った。
「君は」
それに声の方、つまりはジジイへと顔を向けると、向こうはオレを見ながらあくまで静かな口調で訊ねてくる。
「君は、うみのさんとどういった関係ですか?」
不躾な言葉に、オレは眉間に皺が寄るのを感じていた。
彼と付き合うようになってから今迄、様々な人間に彼との関係を訊ねられてきた。大抵は興味本位で、時には邪推するような素振りを見せながら。それらの相手に対して、オレは堂々と、また正直にこう答えるようにしている。

「オレはうみのイルカの恋人です」

そう告げれば、皆確実に一度は面食らい、また驚く。そして中にはあからさまに眉を顰め、侮蔑の目を向ける者も居る。
階級のこともあるが、同性の恋愛に寛容な里においてもそういった嗜好を理解出来ない輩は少なからず存在するのだ。でもこれは事実で、隠し立てする必要もないとオレは思っている。だからいつだって、文句があるなら言ってみな?という心持ちなのだ。
・・・まあ、大抵そういった時のオレは殺気がだだ洩れになっているらしくて、相手から何事かを言われたためしはないんだけど。
目の前のジジイはどうかと思っていたら、「そうですか」と言ったきり黙ってオレを見つめるだけだった。
ジジイの表情に変化はなかったが、一切崩れないそれを前にして奇妙な居心地の悪さを覚えた。仕事柄、様々な視線を頂戴するのには慣れていても、ここまで静まった眼差しを向けられることは滅多とないのだ。

「・・・うみのさんのことで話があります。出来ればアナタとふたりきりで話がしたい。明日、時間が取れますか?」

相変わらずぼそぼそと告げられた言葉を、オレは最初聞き流しそうになった。でも彼に関することなら何でも聞きたいし、知っておきたい。
すぐに頷くと、ジジイは静かに言った。
「では夜七時半に、もう一度ここに来て下さい」
オレが了承したところで、彼が看護師と共に隣室から戻ってきて話はそこで打ち切られる。
それにしても・・・オレに何の話があるというのだろう。
そんなことを思いながら、ジジイを見つめてみる。
オレの視線を前にしてもジジイは一切顔色を変えることもなく、彼にぼそぼそと何事かを話し掛け続けていた。






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