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続いてゆく日々のいとしさ




五月十三日

珍しく集合時刻に遅れずに行けば、その場に居たナルトとサクラに目を剥いて驚かれた。
天変地異の前触れ、とか季節外れの嵐が来る、とこんな時ばかり口を揃えて散々なことを捲し立てる子供らの相手も存外面倒なものだ。
右から左へ適当に聞き流しながら、いつも以上に真面目に任務をこなしていれば、ジジイとの約束までに随分時間が空いてしまった。
仕方がないので、オレは上忍待機所でじりじりとした心持ちのまま時が過ぎるのを待つ。やはり慣れないことはするものではないらしい。
そして漸く約束の時間が差し迫り、落ち着かない心持ちのまま早目に病院へ向かう。ジジイとはいえ彼の主治医だ、流石に遅刻は拙いだろう。
ただ、もしこのことがあいつらふたりに知られれば、またもぎゃいぎゃいと煩く喚き立てるに違いない。
そんなことを考えながら向かった病院の、入り口は開いていたが受付には誰も座っていなかった。あの無愛想な看護師は帰ったのだろうか。
それでも一応おじゃまします、と声を掛けて室内に上がる。
診察室を覗くと、そこには昨日と全く同じ格好と表情で座るジジイの姿があった。
「どうぞ座って下さい」
椅子を勧められたので、素直に置かれた丸椅子に腰掛ける。
座って、同じ目線からジジイの顔を改めて見る。すると昨日受けた印象とは幾分違う感想を己が抱いているのに気付く。
ジジイは確かに神経質そうな顔のつくりをしていたが、見方を変えればそれは深い思慮に溢れているようにも見えたのだ。


「私はうみのさん、いやイルカくんのことを赤ん坊の頃から知っています」


唐突に、ジジイは言った。ぼそぼそとした喋り方は変わらなかったが、ふたりしか居ない部屋の中ではその声もはっきりと耳に届いた。
「彼の父親が検診の度にここに連れてきていたのです。私はイルカくんに会えるのを楽しみに、またその成長を微笑ましく眺めたものでした。私の腕の中にすっぽりと納まるくらいの赤ん坊が、立ち上がり、歩き、言葉を喋るようになって。その内背も伸びて、生意気な口を利くようにもなりました。そういえば彼は昔、私のことを『モヤシジジイ』なんて呼んでいましたよ」
懐かしそうに言って、ジジイは過去の出来事を噛み締めるように薄っすらと笑った。それはオレの目から見ても、やわらかと呼べる表情だった。
「彼の父親はよく言っていたものです。『この子には幸せになって欲しい』と。イルカくんのことを話す時には、それが口癖のようでした。・・・私の妻は早くに亡くなり、私の血を分けた子供は居ません。だからでしょうか。私は彼の父親のことを実の子供のように、またその息子である彼を孫のように思っているのです。だから私も、イルカくんには幸せになって貰いたい」
そう言うと、ジジイはオレを見た。不意のそれは、こちらがドキリとさせられるほど真直ぐにオレを貫く。
「だからこそ聞きたいのです。君はイルカくんとのことをどう思っていますか。彼はこれから目が見えなくなる。失われた光は二度と戻らず、忍を続けていくことも出来なくなる。そして常に困難が付き纏うようになるでしょう。それでも君は彼の傍に居る覚悟はあるのですか」
オレは言葉に詰った。彼から失明すると告げられてそれなりの覚悟はしていたつもりだったのに、いざこうして第三者から問われると、言葉の重みがずしりと圧し掛かってくるように感じられたのだ。
でも、オレにだって考えていたことはある。
「・・・オレは過去、いろんなものを失ってきました。こういう稼業ですから、仕方がない部分が大きいと思っていますけど。失ったものは皆、大事に思っていたものばかりです。失ってから大事だったと気付いたものもありました」
オレの言葉を、ジジイは一切表情を動かさずに聞いている。その顔を眺めながら、誰かにこんな話をするのは初めてだな、なんて他人事のように思う。
「彼の目が見えなくなることは正直不安です。でもそれと傍に居られないこととは違う。見えなくなると知っても、オレは彼の傍に居たいと思っているし、その為なら何だって出来るつもりです」
「綺麗事だけでは済まないですよ」
「わかっています。辛いことや苦しいことも沢山あるかもしれない。でもふたりで居ればきっと乗り越えられると思うんです。・・・甘いと思われるかもしれませんが、自分なりに覚悟もしています。オレもこれから勉強して、少しでも彼の力になれるように努力していきます。これから、ずっと彼と一緒に生きていく為に」
言いたいことを言ってオレが口を噤めば、後には沈黙だけが残った。
しんと耳に痛い静寂の時間は長く続いた・・・ように思った。
もしかしたら案外短い時間だったのかもしれないが、オレには随分長く感じられたのだ。
その間、オレとジジイはただ向かい合っていた。顔を背けるとか目を逸らすといったことは考えられなかった。それはまるで真剣勝負のような緊張感。ジジイの、深い色を湛えた瞳がまた、更なる緊張の負荷を与えているようでもあった。
しかし、その張り詰めた緊張の糸が緩んだのは一瞬だった。細く長い息を、目の前のジジイが吐くことによって。
「―――・・私はイルカくんのことが何より可愛い。君は本当にあの子を幸せに出来るんですね?」
勿論そのつもりだし、今のところ、いやこれから先もその権利を譲る気はない。だからはい、ときっぱり答える。
「そうですか。・・・なんだかお酒でも呑みたい気分です。今度、付き合ってくれませんか」
やはりぼそぼそと言って、ジジイがオレを見る。
特別言葉があった訳ではない。けれどその瞬間、オレはジジイから認められたのだと確かにわかった。
オレは慌てて椅子から立ち上がり、ありがとうございます、と頭を下げる。するとジジイはそっと表情を崩して、止めてくれと言わんばかりにひらひらと手を振った。




帰りがけにジジイが「持っていきなさい」と本を何冊かくれた。
それは視覚障害を持つ人間の介助方法の記載があるものや点字に関するものなど、これから役立ちそうな内容の本ばかりだった。
古そうな本と比較的新しそうな本が混ざっていたが、どれもしっかりと読み込まれている印象を受ける。多分ジジイは彼と彼の父親の為に何度もそれらを手に取り、頁を開いたのだろう。ジジイの彼らに対する想いの深さが、それだけで知れるようだった。
昨日散々病院やジジイを値踏みした己を恥じながら本を受け取ると、ジジイはオレに向かって穏やかに微笑んだ。
その顔は、慈愛に満ち溢れているように、オレの目に映った。






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