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続いてゆく日々のために

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五月二十日

目の検診を受けに病院へと赴く。彼は任務で出掛けていたので、今回はオレ一人きりだった。
少しばかり気が楽に感じて、ふとそれを彼が知ったらどんな顔をするかと道行の最中に考える。頭の中の彼は、怒ったような呆れたような顔付きで「アンタねぇ・・・」と苦々しげに零している。その声さえ耳の奥に蘇るようで、思わず苦笑いが洩れる。
診察室でも先生と二人きりだった。
細々と書き込まれたカルテを眺めながら、先生からいつもと同じ質問をされる。
「うみのさん、最近何か変わったことは?」
「そうですね、特にはありません」
そう答えてから、少し間を置いて付け足す。
「でもオレ、教師じゃなくなりました」
オレの言葉に先生はカルテから目を上げた。その顔には、明らかに動揺したと思しき表情が浮かぶ。普段表情の変化に乏しい先生にしては珍しい事態だ。
「教師で、なくなったとは」
「最近目の見え方が悪くなってきたので、皆に迷惑を掛ける前にと思いまして」
先生は、教師になりたいというオレの夢を昔から知っていた。ずっとそれを応援してくれていて、なれた時には我がことのように喜んでくれた。
だからこそ、先生には事実を伝えておかないと、と思ったのだ。
「そう、でしたか」
どこか沈んだトーンで先生は言った。気を遣わせるつもりがなかった分、それがなんだか申し訳ない。
「でも、アカデミーを離れたら自分の時間が増えるんですよ。ずっと忙しくしてた分、これからはのんびり出来そうだなって。それに、今迄カカシさんと旅行にも行けてないから、この機会に埋め合わせもしないと・・・」
「イルカくん」
正直、驚いた。昔の呼び方で先生がオレを呼んだのだ。
先生は患者としてオレに接するようになってからいつも用心深くうみのさん、と呼んでいたから。
「はたけさんとは、どうなっているんですか?」
「・・・というと?」
「ふたりはお付き合いされているんでしたね」
「はあ、まあ」
「お付き合いを始められてからは長いんですか」
「え、と、多分五年にはなるんじゃないかと」
彼がナルトの上忍師になったことが切欠で知り合い、なんだかんだあって付き合うに至った。その間紆余曲折様々にあったけれど・・・考えてみれば、結構長く付き合っているんだな、オレ達。
なんて他人事のように考えていたオレに、先生は淡々とした調子を崩さないまま訊ねてくる。
「では、ゆくゆくは結婚など考えられているのではないですか?」
「け、けっこん?!」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
確かに木の葉では忍里の特性上、同性同士の色恋にも寛容で、その延長線上に婚姻も認められてはいる。
・・・でもオレ、一度も考えたことがないんだよな。なんだか結婚ってオレ達には遠い世界の話に思えるから。子供が産める訳じゃなし、家庭を築くということからも遠いところに居る気がして。
それに、オレの目のこともある。負い目を感じているのではないけれど、将来的に失明することがわかっていて話を持ち出す、というのがどうしても引っ掛かる。だって彼を自分の為に利用するみたいじゃないか。今は良くても、その内彼の気持ちだって変わるかもしれないのに。
「・・・すいません、オレそういうの全然考えたことなくて」
「いや、でもそろそろ」
「いいんです、オレ達はこのままで。そっちの方が気楽でいいですし」
先生には悪いけれど、今回ばかりは譲れなかった。これはオレ一人の問題ではないからだ。
すると先生は複雑そうな表情でこちらを見、「そうですか」と言ったきり押し黙ってしまった。必然的に場に落ちる空気は重いものとなる。
気拙いそれを払拭する為に、オレは全く別の話題を振ることにした。
「あ、そういえば先生、最近野球調子いいみたいですね」
この言葉に、先生は複雑そうな表情を崩さないままぴくりと肩を震わせた。
先生には長年贔屓にしているプロ野球のチームがある。
応援を始めて早数十年、今や筋金入りのファンらしい。普段冷静な先生も、こと野球の話になると目の色が変わる。オレの父も先生と同じチーム贔屓で、調子が上向いているとふたりで呑み屋まで祝杯を上げに行っていたそうだ。
「やっぱり、中継ぎ陣が揃ってるからですかね。それに今年は主砲もいい仕事してるし、このまま優勝狙えるんじゃないですか?」
「いやでも、まだ油断は出来ませんよ・・・!」
先生が完全に食いついた。それにオレはしめしめと口角を持ち上げる。
後は先生の熱を帯びた野球談議が、「他の患者さんがお待ちです!」とおばさんに叱られるまで続くことだろう。
結婚の話はこれで終わったものと、その時のオレは思っていたんだ。





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