PREV | NEXT |

続いてゆく日々のために

11




五月二十二日

オレが仕事を終えてアパートに帰ると、きちんと背筋を伸ばして正座をした彼が居間で待ち構えていた。
どうもオレの帰りを待ち侘びていたらしく、妙に険しい面持ちだった。
只ならぬ気配を漂わせる姿に様子を窺っていれば、その顔のままこちらに向かって手招きをする。一体何だろう。
訝りながらも逃げる訳にもいかず、オレは鞄だけ下ろして相手と向かい合うよう座った。それでも彼は緊張した態を崩すことなく、一向に口を開かない。黙りこくる相手に痺れの切れたオレは、仕方なくこちらから声を掛けることにした。
「・・・どうかしたんですか?」
「あのっ、オレに毎日みそ汁を作らせてくれませんか!」
弾かれたように告げられ、その勢いにやや気圧されつつも、答える。
「はあ、作ればいいんじゃないですかねぇ」
オレが作る料理はいつも大雑把だから当たり外れがあるけれど、彼は器用だから何を作っても大概美味しい。だから作ってくれるなら作ってくれ、というつもりだったのだが、どうも彼の望んだ解答とは違っていたようだ。
一瞬顔を顰めた後で、彼が気を取り直すように口を開く。
「じゃあ、オレにアンタのパンツを洗わせて下さい!」
今度はオレが顔を顰める番だった。
「・・・いや、パンツくらいなら自分で洗いますけど」
ていうか、何でパンツ限定?と訝しく思ってしまうのは仕方ないだろう。それに対して大層気落ちした風の空気を漂わせつつ、彼は尚も言い募る。
「じゃ、じゃあ、オレと毎朝モーニングコーヒーを飲んでくれませんか!」
「・・・えーと、オレがあんまコーヒー得意じゃないの、知ってますよね?」
この一言で、彼は大きく肩を落としてしまった。
悲壮感すら漂う姿を眺めながら、オレは思わず首を捻る。先程から彼が何を伝えんとしているのかちっとも理解出来なかったのだ。
目前の彼の様子があまりにも憐れなのと噛み合わないままの時間も勿体ないので、オレは正直にその旨を告げることにした。
「あの、さっきから全然意味がわからないんですけど」
「アンタは本当に鈍いですね!オレがさっきからプロポーズしてるってのに!!」
あれ、プロポーズだったのか・・・って、プロポーズ!?
「そうですよっ!人が一生懸命考えて言ってるのに、ちっとも気付かないしっ!!」
どこか八つ当たりのように言い募る彼を前に、オレの思考は完全停止状態だった。
だってそうだろう。まさか帰ってきていきなりプロポーズされるなんて思っていなかったし。それにプロポーズったって、オレ男なんですが。
「ンなことは付き合い出した頃からわかってますよ。オレも籍とかそういうのに括るんじゃないけど、でも最近アンタ、目が見え難くなったって言うじゃない。これからも堂々と面倒を見られるように、ちゃんとしておきたいって思ったんです」
どこか尻窄みに、照れ臭そうに言うと彼はガリガリと頭を掻いている。
その様子を眺めながら、オレの中で引っ掛かることがひとつ。
この時期にプロポーズってあまりにタイムリー過ぎやしないだろうか。
今迄そんな素振りを見せたこともないというのに。これは怪しい。
「・・・カカシさん、アンタ先生に何か言われませんでした?」
オレの言葉に、彼はぎくりと表情を引き攣らせて固まった。
ああ、やっぱりそうだったか。先生も本当に余計なことをしてくれる。
少々恨めしく思いながら嘆息した後、オレは続ける。
「先生に何を言われたか知りませんけど、オレは籍に拘る必要はないと思うんです。オレは子供が産める訳じゃないし、それに伴う責任なんてものも勿論ない。それにオレの目のことをアンタが気にする必要だって少しもないんですよ?オレの存在が面倒だとか迷惑だと思ったら離れてくれたらいい。それでアンタを恨みに思うなんて絶対ありませんから」
嘘偽りなく、それがオレの本音だった。目のことで彼を自分に縛り付けるつもりはさらさらなかったから。先がどうなるにしろ、そんな未来はオレが一番望んでいない。
「・・・ちょっと待った。アンタはずっとそんな風に思ってたの?」
オレの言葉を受け、彼はあくまで静かにそう言った。
しかしながらいつの間にかその顔に浮かぶ表情が硬いものとなっていた。それで以て、先程から周囲の空気が冷え冷えと凍え始めているのにも気付く。
どうやら彼は怒っているようだった。しかも、物凄く。
本気で怒っている時の彼は恐ろしく静かに、また冷々とした態になると知っている。怒りの感情を露わにされるより、この静かな怒りの方が感情の読めない分余程怖い。オレは無意識の内に息を呑み込んでいた。
そんなオレを見据えたまま彼は淡々と、感情を滲ませない口調で以て言葉を次ぐ。
「オレはね、ずっとアンタの傍に居たいの。子供が産めなかろうが、目が見えなくなろうが関係ない。うみのイルカ、アンタだからこそ傍に居たいんだ。それに迷惑とか面倒とか、そんなことを思ってたら最初からアンタと付き合ってないよ。男同志なんてそもそも有り得ないって思ってたしさ」
これは初耳だった。
伝説的な偉業をいくつも成し遂げた上忍ということですっかり畏縮するオレに歩み寄ってきたのも、実際に交際を申し込んできたのも全部彼からだったのだ。だからてっきり、同性ということに拘らない人なのかと思っていた。
オレが思わず「有り得なかったんですか?」と訊ね返せば、はっとした顔付きになった彼が酷く慌てた様子で口を開いた。
「今は違うからね!いや、でもアンタ以外とは有り得ないって思うから違わないのか・・・?ま、兎に角オレはアンタと一緒に居たいって思うし、その覚悟もある。後はアンタの気持ちひとつだよ」
そう言うと、今度は真面目腐った顔で訊ねてくる。
「もう一回訊きます。オレとこれから、一生ずっと一緒に居てくれませんか?」
彼がまっすぐオレを見ている。
不安そうな、それでもどこか期待に満ちた眼差しで以て。
彼がオレの答えを待っている。
オレの、たった一言かもしれない言葉を待っている。
それになんだか、妙に笑えてくるような、反面泣けてくるような、不思議な心持ちがした。その時オレは随分可笑しな顔をしていたと思う。
でも結局は、嬉しい、ということに尽きるのだろう。
相手を自分に縛り付けるとか気持ちが変わるかも、なんて考えていたのはオレだけだった。そんな人ではないと前から知っていた筈なのに。
物分りの良い振りで、独り善がりに考えていたことが今は途轍もなく恥ずかしい。
彼はいつだってオレに対してストレートな感情を向けてくる。上辺だけのものでない、本心からの思いを。
ならば、オレだって彼に正直に向き合おう。
心を落ち着ける為にひとつ息を吐いてから、オレは覚悟を決めて告げる。
「・・・宜しくお願いします」
「え?」
それなりの覚悟を伴なった言葉にも彼は呆けた顔をした。まさかそうくるとは思っていませんでした、ってありありと書いてある顔、とでも言えば良いのか。ていうか、さっきのオレの覚悟はなんだったんだ・・・。
なんとなく脱力すると同時に少々恨めしい心持ちが湧いてきたけれど、必死になって「こちらこそ宜しくお願いします!」と畳に頭を擦り付ける姿を見たらどうでも良い気がしてきた。
彼が必死なのは伝わったし、それ以上にオレは大層な空腹を感じていたから。話し込んでいる最中は忘れていられたけれど、気がすっかり緩んでしまったらしい。
彼の前で見事に腹の虫が騒ぎ出し、そこで彼はご飯を作っていないことに気付いて慌てていた。普段なら何事にもきっちりしている筈の彼にしては珍しいことだ。余程、プロポーズについて頭が一杯だったのか。そう思えば可笑しくて仕方ない。
彼としては不本意だろうけれど、こうして情けない姿を目にすると途端に安心してしまう辺り、オレの意地は案外悪いのかもしれない。大体にして、そういうところが良い、などと言ってもちっとも喜べない筈だ。
そんなことを考えながら、動揺する彼を宥めるつもりで外にご飯を食べに誘う。
行き先をいつも行く定食屋に決めたらすっかり口がレバニラを欲してしまう。それにビールがあれば何も言うことのない完璧な取り合わせだ。
そんな思いを籠めてレバニラレバニラビールビールと適当に節を付けて口遊みながら、愚図愚図している彼を急かして外に連れ出す。
すっかり暗くなった道を並んで歩いていると、吹いてくる風の中に濃い緑の匂いを感じた。
六月も近いからか昼間は暑いくらいの時もあるが、夜はこうして心地良い風が吹く。何気なく見上げた空には僅かに欠けた月が在る。もう少ししたら満月になるのだろうか。
「なんか、全然変わりませんね」
ぽつり、と零された言葉に、オレは視線を彼へと向ける。
「何がですか」
「いや、プロポーズしたらもっといろんなことが劇的に変わるような気がしてまして」
「たとえば?」
「んー・・・そうですね、世界が百八十度変わるっていうんですか。もっとキラキララブラブして、二人の世界は正しく薔薇色的な・・・」
黙って聞いていたオレは、我慢出来ずに噴き出していた。
懸命に考えた末の言葉だとは思えど、夢見がちな内容にどうしても笑えてきてしまう。この人は案外ロマンチストなんだ。
「アンタ、プロポーズに夢見過ぎですよ。人間、そんなに簡単に変わりゃしませんって。そもそもオレ達何年一緒に居ると思ってるんですか」
どんな切欠があったとしても、長年培ってきたその人の性格や本質が簡単に変わるなんてことは有り得ない。彼が几帳面で心配症なのも、オレが大雑把で適当なのも、そうだ。
それに長い間一緒に居れば互いの性格もそれなりに見えてくる。良い面だけでなく、悪い面も。それを知っているのに劇的に変わることはないだろう。寧ろ、たったそれだけでがらっと変わってしまったら気持ちが悪くて仕方ないじゃないか。
「・・・確かにそうですよねぇ」
隣で照れ臭そうに言って、彼が頭を掻いている。
その仕草に思わず笑みが零れる。
いつも口煩く、オレよかしっかりしてそうなこの人は時々、こうして無自覚に抜けたことを言う。それがオレには可笑しく、同時に好ましく思える。
定食屋に向けて歩き続けていると、街灯の少ない道に出た。
一層明るさを増した月の光によって道の先、ずっと遠くまで照らされている。
そこで、ふと。

―――これからも、この人とずっと一緒に歩いていくんだな。

そう、奇妙な感慨が湧いた。
今迄も一緒に居たけれど、これからは意味合いが少し違う。
この人と共に未来(さき)へ歩いていく意味が出来るということ。
それが当たり前になっていくこと。
劇的に変わりはしないけれど、こうして少しずつ変化はある。
それを、嬉しいと思うのはオレも少しずつ変化をしてきている所為か。
「どうかしました?」
ふ、と零した笑みを目敏く見付けた彼が訊ねてくる。
「何でもないです。あー、早くレバニラとビールにありつきたいなっと!」
己の思考に感じた照れ臭ささを誤魔化すように告げれば、もう定食屋は目の前まで来ていた。
そんなオレに向かって「もう少しだから我慢してくださいよ」とちっともわかっていない風に彼が言うものだから、またも噴き出してしまった。






それでも、定食屋で二人して乾杯したビールやレバニラの味を。
「これからも宜しくお願いします」と改めて告げる彼の顔を。
オレはきっと、一生ずっと忘れないんだろうな、と思った。









PREV | NEXT |

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system