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続いてゆく日々のために

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五月二十三日

卓袱台を挟んで、目前に神妙な顔がひとつ。
姿勢を正し、きちんと正座をしながらオレの手元を覗き込んでいるのは彼。奇妙な静けさと緊張感とが同居する室内で、オレは手元の紙にしずしずと署名をし、印鑑を押す。

「出来ました」

そう言って差し出した紙を、彼は両手で以て恭しく受け取る。
それを穴が開くのではないかというほど真剣な面持ちで見つめる彼の雰囲気があまりに堅苦しくて、つい。
「これを出したら一緒になれるって、なんだか冗談みたいですよねぇ」
場の空気を和ませるつもりで言えば、目の前の彼は笑うどころか大きく目を剥いた。オレの心遣いは明らかな失策だったようだ。
先程からオレが署名捺印をしていたのは、婚姻届と呼ばれるものだった。朝に弱い筈の彼が朝一からいそいそと出掛けたのは、これを役所に取りに行く為だったらしい。
しかも急なことであるのに証人の欄にオレもよく知る相手の名と血判と思しきものがあるのを目にし、彼の本気を見たようで軽く眩暈がしたのはここだけの秘密である。
「こういうのはね、早い方がいいんです。昔から思い立ったが吉日って言うでしょう?それに今日は丁度大安なんですよ!」
『丁度大安』ということがどれだけ貴重且つ重大な意味を持つのか、知らしめる様に強調して言われた。案外、こういうことを気に掛ける人なのだ。オレは日の良し悪しなんて別にどうだっていいのだけれど。
なんて他人事のように考えていたところで、彼が咳払いをしてみせる。
そしていやに改まった様子で以てこちらに向かい合った。
今度は一体何だろう。
「・・・昨日の今日なんで、取り敢えずこれ、指輪の代わりなんですけど」
彼の手には一枚、小さな金属のプレートが載っていた。
それが何なのか、オレは知っている。個人名と登録番号とが暗号の形式で印字された、ドッグタグ。多分、彼のものだ。
ドッグタグが持つ意味合いやその重みは、忍をやっている人間ならば誰もが知っている。オレだって例外ではない。
・・・だからこそ、それを受け取りたくないと思った。こんなもの、自分がいつどうなるかわからないと言っているのと同じじゃないか。
ぎゅっと唇を噛みしめるオレに、彼は口元に薄く笑みを浮かべ、少し困った風に眉を下げてオレを見た。
「オレ、今迄こんなの誰にも渡したことがないんです。こういうのって、渡す相手を選ぶじゃないですか。それに渡したいと思える相手もずっと居なかったし。でもね、アンタには持っていて欲しい。どこに居たって、オレが帰りたいと思うのはアンタのところだけだから」
真摯な口調で告げる彼にも、オレは黙したままだった。
言い分はわかる。
彼が様々な覚悟を持ってこれを渡してくれているだろうことも。
でも、わかり過ぎるほどわかるから、逆に躊躇う。
これを受け取ったら、オレも彼と同じ覚悟を決めなくてはならないのだ。何があっても、彼の帰りを待ち続けるという覚悟を。
睨むように彼の手のひらに載ったドッグタグを眺めていると、彼はふと気安い調子で言った。
「あ、それともしオレに何かあった時には、オレの遺産とかそういうの、全部アンタが受け取れるようにしておきますから。大丈夫ですよ」
見当違いも甚だしいこの言葉に、オレはますます己の顔が顰まるのを感じた。
そういうことじゃないんだ。
どれだけ遺産を貰ったところで、そんなのは全然嬉しかないってどうしてこの人はわからないのだろう。
黙ったままのオレに対して、彼はますます困ったような表情を向ける。
一方のオレは彼の方を見ないまま「嫌です」と言った。
本当は叫び出したいくらいだったけれど、口に出した途端にみっともなく声が震えてしまいそうで、小さい声になった。
「カカシさん、オレはねアンタのその嫌味なくらい整った顔も、ムカつくほど器用に動く指も、無駄に長い脚も、小憎らしいくらい引き締まった身体も、悔しくなるほど良い声も、全部好きなんです。だから、そんなの受け取るのは嫌だ」
嫌なのだ。この人が居ないなら、そんな薄っぺらな金属の板、持っていても何の意味もない。
「でも、アンタが帰るのがオレのところじゃないのも嫌だ」
これも本当。どこか遠くの任務地で果てることになったとしても、たとえ帰ってくるのがこの薄っぺらな金属の板一枚だったとしても。オレのところに帰ってこないのは嫌だと思う。
オレの思いはとても矛盾しているのかもしれない。
それでも両方共、正直な思いだった。
「だから、勝手に死ぬな。いつでもオレのことを考えろ。アンタにはオレが居るんだから、ひとりにすんな・・・!」
アンタがオレに覚悟を求めるのなら、アンタだってオレの為にそれくらいの覚悟を持ってくれたっていい筈だ。だってこれからは、二人で生きていくのだから。
言葉にする内に感情が昂り、最後は思うままに捲し立てて彼を睨み据える。すると彼はどこか呆気に取られたような顔をして暫くオレの顔を見つめていた。
但し不意にやわらかく表情を崩して、一言。
「うん、頑張る」
・・・なんだそれ。頑張る、なんて子供の目標じゃあるまいし!
気の抜けた言葉に己の顔が更に険しくなるのを感じていると、まっすぐにオレを見つめる彼が、穏やかな口調で続ける。
「絶対とは言えないけど、死にそうになっても精一杯生き延びようと努力するし、アンタが好きなオレの身体ひとつも欠けないようになるべく五体満足で帰るようにする。だから貰ってよ。オレがいつでもアンタのところに帰れるように」
そう言って何のてらいもなさそうにふわりと笑う。
この人は本当に狡いと思う。
こんな顔をされて、こんなことを言われたら、オレは絶対に断るなんて出来ないのだから。
「・・・でも、本当に頑張って下さいよ?」
一応、念を押すように告げてから、ドッグタグを受け取る。
すると彼はすぐに、いつも自分が使っているという細身の銀のチェーンを差し出してきた。
「ねえ、それ着けて下さいよ。アンタが首に着けてるの見たいです」
どこか強請るような、甘えた口調で言われる。
その両目が期待に満ち満ちているのも伝わってくる。
―――・・こんな風にカタチから入るの好きだよなぁ、この人。
半分呆れるような、もう半分は笑い出したいような心持ちで「仕方ないですねえ」なんて勿体ぶって言いつつ、チェーンを受け取る。
チェーンにドッグタグを通したものを首に着けて、ふと思う。
首に着けたドッグタグは彼のもので、それを自ら身に着けているオレ。そして目の前にはそんなオレの姿を満足そうに眺める彼。
これって、なんだか。
「アンタに捕まえられた気分かも」
正直な感想を口に出せば、彼は少し驚いた顔をして、それでも大層嬉しそうに笑ってみせた。








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