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続いてゆく日々のために

14




五月二十六日

受付所で仕事をしていたら、終業時刻の少し前に彼がやって来た。
そしてオレを見て、にっこり笑って言う。
「さ、行きましょうか」
・・・今日は特に約束なんてしていなかった筈だし、その前に仕事自体まだ終わっていないけれど。
一体全体何のことだかさっぱりわからない、というアピールのつもりで首を傾げてみたが、それを彼はあっさり無視した。そのくせ、何故かオレの隣に鎮座する綱手様には愛想を振り撒いている。
「綱手様、この人貰っていきますね」
「ああ、構わないよ。勝手にしな」
一方の綱手様も人を猫の仔か何かと勘違いしているように言う。
その瞬間、ふたりの共謀を悟ったオレはすぐに問い質そうとした。でも口を開いたと同時に、カウンター越しに伸びてきた彼の腕に身体を拘束された。そしてそのまま荷物でも抱えるみたいに肩に担ぎ上げられ、オレは担がれた姿勢で硬直する。あまりにもあまりな事態を前に完全に呆気に取られていると。
「じゃ、皆さんお先です」
彼が受付所内に居る人間に声を掛け、周囲もそれに「お疲れ」とか「気を付けてな」と当たり前のように返していく。

―――・・え?え?えええっ?!

混乱するオレを尻目に、彼の足は受付所を出てどんどん外へ向かって歩いていく。既に頭の中は恐慌をきたしかけていたが、そんな中でもこの格好で屋外に出るのは拙かろうと判断するだけの冷静さはあって。
「ちょっと、降ろしてくださいよ!この格好で外に出るつもりですか!?」
恥も外聞もかなぐり捨てて喚けば、漸く彼は「あ」と今更気付いた、というような声を上げて地面に降ろしてくれた。そして恥ずかしそうに頭を掻きながら続いた言葉の中に、引っ掛かるフレーズがひとつ。
「ごめーんね。皆が待ってるから早く行かなきゃ、って焦っちゃって」
「みんな?」
「そう、皆。皆がイルカさんを待ってるの」
皆って誰とか、何でオレを待っているのかだとか。
そういったものが全部顔に出ていたのかもしれない。彼は幾度か目を瞬かせた後、少し考える素振りを見せた。
「・・・うん、まあ皆が待ってるんで。取り敢えず行きましょう」
結局オレの疑問には一切答えのないまま、腕を掴まれて引き摺られるように歩き出す。理不尽だと思いつつも、彼の顔が思いの外楽しそうなので、夕日の橙に鮮やかに染まった風景の中を黙って歩く。
彼の足が向かった先は、ふたりでよく行く居酒屋だった。
そこは年配のおっちゃんとおばちゃんふたりで切り盛りしている小さな店で、狭いながらもなかなか居心地が良く、尚且つ値段も良心的という、呑みに行くとなるとつい足が向いてしまう店だった。
ただ、今日は入り口に大きく『本日貸切』と張り紙がしてある。
しかし彼は紙が見えていない様子で扉を引き開けると、オレの背中を押した。まるっきり不意打ちのそれに、よろよろと店の中へ足を踏み入れた瞬間。


「「「「「「イルカ先生、誕生日と結婚、おめでと―――ッ!」」」」」」」」


沢山の声と、派手なクラッカーの音に出迎えられる。
突然の出来事に全く事態を把握出来ないオレの目の前には、沢山の元教え子達と、オレの同僚や友人。そして顔見知りの上忍の姿まである。また狭い店内にはアカデミーの行事で用いるような紙製の花や輪っかの飾りがなされ、『イルカ先生&カカシ先生結婚おめでとう』と書かれた大きな横断幕もある。
それらひとつひとつを驚きと共に見つめていれば、いつの間にか隣に並んでいた彼から声を掛けられた。
「あのね、皆がアンタの誕生日とオレ達の結婚を一緒に祝ってくれるんですって」
さも嬉しげに告げられた科白に、オレはますます驚かずにいられない。まさかこんな用意がされているなんて思いもよらなかった。誕生日もそうだけど、結婚したことは一部の人間にしか言っていなかったというのに。
どうしても照れ臭さが先に立ち、向ける表情を決めかねて誤魔化すように鼻の傷を擦っていると。
「でもさぁ、カカシ先生ってば最初、イルカ先生の誕生日は自分ひとりだけで祝いたいって聞かなかったらしいってばよ?」
「そうなんですよぉ。子供みたいにごねて説得するのが本当に大変だったんですから」
呆れたような、それでも楽しそうな声は、ナルトとサクラだ。
そして話題の彼はと言えば、口を噤んでどこかバツが悪そうに視線を逸らしている。子供相手に一体何をやっているんだか。
でもその様子が目に浮かんでくるようで、可笑しくもある。自然と、自分の表情が緩んでいくのを感じる。
「漸く主賓ふたりも揃ったことだし、始めるか。で、ココの支払いは全部カカシ持ちらしいからな。皆、好きなように飲み食いしろよ」
彼とは旧知でオレとも面識のあるアスマ先生が音頭を取る。
この言葉に居酒屋中が大いに沸くが、その中でたったひとりだけ渋い顔をする人間が居た。
「は?何それ、聞いてないけど!大体、オレも主賓なんじゃないの!?」
「男ならそのくらいの甲斐性見せなさいよ。皆が大好きなイルカ先生を独り占めしたんだから、安いものでしょう?」
憮然とした様子の彼に、アスマ先生の隣に居た紅先生は、その艶やかな唇を意地悪く持ち上げて言う。
それに、またやんやと居酒屋中から喝采が起こり、彼の顔がますます渋くなる。ぐうの音も出ない、といった風の顔を笑いながら見ていて、ふと心が温かなもので満たされているのを知る。
沢山の人間がオレの生まれた日を、そしてオレ達の結婚を祝おうと集まって、そして笑顔で受け入れてくれている。
そう思ったら目頭が熱くなり、不覚にも視界が潤み始めてしまった。
でも到着早々いきなり泣くのも憚られ、涙が零れないよう必死に瞬く。そんなオレの耳元に、彼の顔が寄せられる。
「ホントはふたりで祝いたかったんだけどね。でもまあ、こういうのもいいでしょ?」
そっと耳打ちしてきた彼は、オレの顔を見ながらいつになく柔らかで穏やかな笑みを浮かべる。不意のそれにオレの心臓は勝手に煩くなる。
「誕生日、おめでとう。これからもよろしく」
そう告げられて、頬に落ちてくる口吻け。お陰で居酒屋内は再び盛大に沸き上がった。すぐにオレの涙は引っ込み、代わりにどうしようもなく赤面する。不意打ちで全く構えていなかった所為か、困惑以上に羞恥が勝る。
いつもなら衆人環視の中では絶対にこんなことをしない人なのだ。もしかしたら彼も、場の雰囲気にすっかりのせられているのかもしれない。
「さて、オレ達も何か食いますか」
いつの間にか自然な様子で肩を抱き寄せられて、オレは遠慮なくそこに体重を掛けてやった。もうこの際だから何と言われてもいい。どうせこんなのは余興みたいなものなのだから、やった者勝ちだろう。
そう自分に言い聞かせ、口笛やひやかし混じりの声を受けつつ、オレ達は皆の輪の中へ入った。
その途端、オレの周りには元教え子達が集まってきた。
「先生おめでとう!」
「でも吃驚しましたよ!」
「カカシ先生のどこが良かったんですかぁ?やっぱり顔?それとも性格?」
などと口々に言われて、ぐるりと囲まれる。
そんな中で、ナルトから。
「カカシ先生に愛想尽かしたら、すぐにオレのところに来いってばよ!」
この言葉に、いつの間にか周りに集まっていた同僚や上忍達、それにオレも苦笑するしかなかった。この間、一緒にラーメンを食べに行った時にも思ったんだが・・・あの人、どれだけ信頼されてないんだか。
それでもこの場に居る誰もがオレや彼への祝福の言葉を惜しみなく口にするのに、じわりと熱いものが込み上げる。
・・・ああもう、折角収まりかけていたのに!
忙しなく瞬いているところで、オレの周りにある人垣を掻き分けるようにして彼が近付いてきた。
何事かと思えば、その傍らには先生の姿。どうやら先生の腕を掴んで、ここまで引っ張ってきたらしい。オレと視線が合うと、彼は目を弓形に細めてみせた。それはまるで悪戯を仕掛けようと企む子供みたいな顔だった。
「アンタに、言いたいことがあるんだってさ」
この言葉にすっかり困惑しきった顔付きの先生は更に眉を寄せた。常になく強引な彼に、オレは一言言ってやろうかと思ったのだけれど。

「・・・結婚、おめでとう」

先生はぼそりと呟くように言った。いつも以上に硬い表情は、どこか気恥ずかしさを誤魔化すもののようにも感じられた。殆ど初めて見るかもしれないその表情。常に冷静沈着な先生らしからぬ様に驚かされもしたが、それでも勝手に口元が緩んでくる。
「ありがとうございます」
オレの言葉に、硬かった先生の表情も漸く解れる。
そうして先生は改めてこちらに向かい合った。
「どうぞ、幸せになって下さい。それが君のお父上の願いでもあるのです」
「父の、ですか?」
訊ね返さずにはいられなかった。そんな話は初耳だったのだ。
完全に虚を衝かれた形のオレに、先生は尚も穏やかな口調で続ける。
「ええ。お父上は君のことをいつも気に掛けておられました。君が赤ん坊の頃から、やれ風邪をひいただの、転んで怪我をしただの、逐一私に報告して下さいましてね。初めて『とーと』と呼ばれた日には、居酒屋に呼び出されて祝杯を上げたほどでした。立派な忍であったのに、お父上は君のことになるといつも人が違ったようでしたよ。彼は大変子煩悩でしたから、君が可愛くて仕方なかったのでしょう」
先生の話を聞きながら、オレの脳裏には在りし日の父の姿が浮かんでいた。がっしりとした広い背中、オレを抱き上げる逞しい腕。頭を撫でる大きな手、お日様の匂い、そして笑った顔。やさしく好ましかった、その笑顔。
「お父上は、君が幸せになるのを誰より望んでおられました。だから君は、しっかり幸せにならなくてはいけません。ここに居る人達も皆、それを願っているでしょう」
「そうだそうだ!」
「幸せになってね、先生!」
「そうだってばよ!先生、ぜってぇ幸せになれって!!!」
先生の言葉尻に乗っかるように、周りの人間から温かい声が掛る。
なんでこんなに・・・こんなに皆温かいんだろうな。
もうそろそろ限界。
視界がぼんやり滲み出し、瞬けば勝手に涙が零れる。
けれど、胸の中は温かなもので一杯に満ちている。
「ありがとう、ございます」
言葉が喉に痞えたようになって、漸く絞り出した声は少し掠れていた。
そんな時、いきなり横合いからオレの首に何かが巻き付いてくる。吃驚した所為で涙は一瞬にして止まり、そのまま硬直するオレの耳元で一際大きな声が上がった。


「ちょっとイルカぁ、アンタ本当にカカシでいいのぉ?あーんな胡散臭い奴となんてさぁ!」


腕の主はアンコさんだった。いつの間にこんな傍まで来ていたのだろう。それにしても顔が近い。そして喋る度に吐き出される息が酒臭い。
アンコさん、悪い人じゃないけれど、酒癖は頗る悪いんだよな・・・。
などと相手がわかって案外冷静になったオレとは対照的に、目の前の先生以下、周囲の人間が皆一様に固まってしまっているのが可哀想でならない。
マズイよな、この状況。さて、どうしてくれようか。
首を押さえられたままで頭を捻るオレに、少し離れた位置に居るアスマ先生から声が掛った。
「オイオイ、そんなこと言ってやるなよ」なんて口にするから、てっきり助け舟を出してくれるものと思っていたのに。
「でも確かにお前ならもっと良いの、いくらでも捕まえられただろうになァ。今からでも考え直した方が良いんじゃねぇの?」
にやにやと笑いながらアンコさんを煽るようなことを言う。そんなアスマ先生の手には煙草と、酒が入っていると思しきグラスが握られていた。いつもより血色の良い顔色はその所為らしい。ああもう、この人も相当酔っているんだな。
またしても冷静に判断しつつ、こうなれば最早オレも笑うしか出来ないのだと悟る。酔っ払い相手に理屈や正論を捏ねたところでハナから通じる訳がないと身を以て知っている所為だ。
ただ、このまま言われっぱなしで終わるのも口惜しい気がする。変なところで負けず嫌いの血が騒ぎ出し、どうにか意趣返しをしてやりたい気分にもなる。
「・・・まあ、考え直したとしても、オレにはあの人だけだと思いますよ?」
自分では上手く言い返したつもりの言葉に、アンコさんやアスマ先生を含め、場の空気が水を打ったように静まり返った。
えーと、もしかして・・・完全にすべった?
なんて思っていた時、今度は大波が打ち寄せるかの如く一気に会場全体が賑やかに、また騒がしくなった。
「うわー、ヤダヤダ!」
「さらっと惚気やがって!なんかムカつくな、オイ!!」
悲鳴や怒号に似た声が狭い店内に谺す中、漸く首から腕を離したアンコさんにばしばしと肩を叩かれる。それがまた力加減をされていない分、かなり痛い。
しかしアレも惚気になるのかと他人事のように考えていたオレはふと、顔全体を満遍なく桜色に染め、呆けたようにこちらを眺める彼に気付いた。
うわ、ナニその顔!?もしかして相当照れてる・・・?
妙に間の抜けた顔を前に笑いが込み上げてきて、でも実際に笑ったらきっと気分を悪くするのはわかっていたので、どうにか唇の端を持ち上げるだけで堪える。そんなオレに向かって、今度は彼から声が上がる。
「オレにもアンタだけですよ!」
なんて言うものだから、思わず笑ってしまいそうになる。普段なら人前でそんなことを絶対に言わない人なのだ。口惜しいのか何なのかわからないけれど、この人もオレに劣らず負けず嫌いなところがある。
ただそんなこと、今更言葉にされずともオレだって十二分に。
「知ってます!」
そういうつもりで返したら、彼はますます顔の色を濃くし、ついでに店の中も収拾が付かないくらいに盛り上がってしまった。




そして粗方飲み食いを終え、オレ達は皆より先に帰途に着いた。
オレが随分酔っているのを危ないと取られた所為だ。
祝杯と称し、いろんな人から酒を呑まされてはいたけれど、自分ではまだ大丈夫なつもりだった。それでも、彼が「帰ろう」というので素直に従う。
帰り道の途中でふたりして尻餅をついたりもしたから、酔っていないつもりでも案外酔っているのかもしれない。普段、外で手を繋ぐなんてしないのに、しっかりと指同士を絡め合わせて帰ったのもそういうこと、としておきたい。ずっとふわふわしたような、妙に浮かれた心持ちになっていたのも、きっとそういうこと。
でも家に帰って畳を見たら、もう我慢が出来なかった。
花束を潰さないよう卓袱台の上に置くとそのままごろりと寝転がる。
「またそんなところで寝て・・・」
呆れたような声がしたけれど、気にしない。
その間、彼は風呂場からバケツを持ってきて花束を活けていた。大きな花束を皆活けるような花瓶がうちにはないのだ。
・・・明日辺り、花瓶を買いに行かなきゃな。
卓袱台の上に載ったバケツ入りの花々を眺めて考える内、自分の頬が少しずつ緩んでいくのに気付く。
皆が自分達のことを祝ってくれて、幸せになれと言われて嬉しかった。その言葉や様子を思い出し、自然と笑みが零れる。
こんなに嬉しいと感じる誕生日もそうないだろう。
流石に帰り道のように叫び出したりはしないけれど、今日は本当に良い日だった。嬉しい日だった。酔いも回って、身体や頭がふわふわと中空に浮かび上がっているかのように心地良い。
でもこのまま寝てしまうのが惜しい。もっとこの感覚を味わっていたい。
「ほら、寝るならベッド行きなさいよ」
そう言って、彼が顔を覗き込んでくる。彼の顔で視界が一杯になる。
綺麗に整った顔。誰もが好ましいと思う顔。その顔をじっと眺めていたら、仕方ないな、って風にその目許が、口元が緩む。
彼が時折見せるこういう顔は好きだ。彼に甘やかされているとわかるから。この人に甘やかされるのは何より心地良い。
「カカシさん」
呼んだら、呂律が上手く回らなくて舌足らずになった。どこか甘えた風になったのが、少々気恥ずかしい。
「なに?」
それでも柔らかな声で応えられて、嬉しくなる。もしオレが犬なら千切れんばかりに尻尾振りたくなっているだろう。
やっぱりオレはこの人が好きなんだ。考え直す、なんて思い付かないレベルで。
そんな恥ずかしいことをしみじみと考えてしまうくらいにはしっかり酔っ払っているらしい。でも、今はそれでもいいと思える。なにせ今日は特別な日なんだ。
なんだか無性に彼に触れたくなって、オレは頭を持ち上げるとその唇にキスをする。馴染んだ薄い唇の感触を確かめるようにそこを軽く舐め上げれば、追い掛けてきた彼の舌が絡む。そして、首筋に腕を回してそのまま深いキス。
「・・・どうしたの、急に?」
キスの合間、そっと唇を離して彼が訊く。濡れた唇が動く様は艶めいて見えて、妙にいやらしい。
「ん、アンタが好きだなって思ったらキスしたくなりました」
普段なら絶対口にしないだろうことを至って素直に答えれば、彼の顔が見る間に桜色になった。それを見て可笑しいと思う。また堪らなくいとおしいとも。
まったくもうほんとうにあんたは。
耳まで桜色に染めた彼はそうぶちぶちと零しながらも。
「・・・ねぇ、ちゃんと仕切り直しません?」
親指でくいっと背後を指す。
その先にあるのは寝室。暗にここでするのは嫌、ということらしい。雰囲気やシチュエーションには拘る人なのだ。
「じゃあ、連れてってください」
甘えるように言って腕を伸ばせば、大きく目を剥かれた。
けれどその後、仕方ないなという風に表情が緩められる。やっぱりこの顔は好ましい。揺るがない、確かな腕で以て身体を抱え上げられれば、不思議と安堵するような心地を覚える。
そのままベッドまで運ばれ、そこに下ろされて。
耳元で「愛してる」なんてあまり耳慣れない言葉を囁かれて。
その肌を、熱を間近で感じて。深いところで繋がって、満たされて。


―――・・生まれてきて良かった。


なんてことを、オレは生まれて初めて実感として知った。








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