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続いてゆく日々のために




五月十日

目が見えなくなったら髪を切ろうかな。
何気なく零したら、物凄く怖い顔をした彼に詰め寄られた。
「なんで切っちゃうんですか、勿体ない!オレ、アンタの髪好きなのに!!」
・・・別段綺麗な髪でもないし、なんとなく惰性で伸ばしていたようなものだからいいかと思ったのだけれど。
それに実際問題、鏡も見えない状態で今のように髪を上手く纏めるなんて出来ない訳だから切ってしまえばいい、という理屈はどうやら通用しないらしかった。
「じゃあ、オレがアンタの髪を結いますよ!」
そう言って背後に回った彼に、いきなり髪紐を解かれる。
瞬間、一気に肩へ髪が落ちてきた。
すると彼はどこからか持ち出してきた櫛をそこに当て始めた。櫛と共に男のものにしては細い彼の指がしなやかにオレの頭皮や髪に触れる。
思いがけず心地良いそれに、オレが目を細めているところで。

「あのね、イルカさん。自分が出来ないことは言えばいいんですよ。アンタはあんまり人に頼るのが好きじゃないみたいだけど。髪を結うのだって、料理だって、洗濯だって、オレ一通り出来るんですから。もっと頼って甘えてよ。オレ、アンタの世話を焼けるの、嬉しいんだから」

気負いのない口調で告げる彼に、オレは面映ゆいような心持ちだった。口煩いことも多いけれど、こうして彼は自然な様子でオレを甘やかしてくれる。
そういうところが本当に上手くて、オレはいつも少し悔しいのだ。
勝手に緩みそうになる頬を叱咤している間に、オレの髪は結い直されていた。そして洗面所の鏡の前で出来栄えを確かめるオレに、後からやって来た彼が声を掛けてくる。
「どうですか?」
ぱっと見たところ、文句の付けようはなかった。
それでも左右に首を捻って、いろんな角度から結われた髪を見ているところでふと、髪紐の先に何か付いているのに気付いた。
それは楕円形の、プラスチックのプレートらしきもの。
でも先程までは付いていなかったものだ。
「これ、何ですか?」
プレートを指で掴んで訊ねると、彼はいともあっさりと言った。
「迷子札です」
「・・・まいごふだ?」
「ええ、住所とか連絡先が書いてあるんです。いざという時に必要ですよね?」
鏡越しに微笑む彼の顔を眺めながら、オレは無言で結われた髪を解いていた。ていうか、迷子札なんて冗談じゃない!犬や猫じゃあるまいし、何考えてるんだこの人は!!
すると一連の様子を見ていた彼が「ああっ!?」と悲痛な声を上げた。
「どうしてですか、要るようになるかもしれないじゃないですか!」
「そういう問題じゃない!オレ、見えなくなったら絶対髪切りますからねっ!!」
「えーっ、ダメだってば!どうしてそんなこと言うの!?」
「自分の胸に聞いてみろ!」
・・・その後暫く、彼と髪を切るだの切らないだので揉めたことは言うまでもない。
そして結論も、未だ出ていない。 





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