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続いてゆく日々のために




五月十二日

「ねえ、オレも病院に付いていきたいんだけど」
オレが出掛ける支度をしている最中、彼から唐突に言われた。
その顔付きは至極真面目なものでもあった。
・・・ただ、そう言われてオレが咄嗟に思ったことはといえば、父兄同伴みたいで嫌だな、だった。
目の定期検診はいつもオレひとりで行っている。
でももし彼と一緒に行ったなら先生に色々根掘り葉掘りしつこく鬱陶しくねちねちと厭らしく質問を投げ掛けるに違いない。
そんなことになれば先生だって迷惑だろうし、そんな先生の姿を目にするオレだって居たたまれなくなりそうだ。正直、それは勘弁願いたい。
しかしそんなことを言って納得するような相手でないことは先刻承知の上でもある。
「・・・取り立てて面白くもないですよ?」
さりげなく流してやろうと思ったのに、彼がそうさせてはくれなかった。
今にも溜息を吐くんじゃないかって様子で大きく首を振ってみせた後。
「いや、そういうことじゃないから。アンタの目のことをオレも詳しく知っておいた方がいいと思うんです。だってこれから何があるかもわからないし、何かあった時では遅いでしょ?それにアンタの主治医と顔見知りになっておいた方が後々都合良いと思うから。それと色々相談しておきたいこともあるんですよね。ほら、これからもっと目が見え難くなった時のこととか他にも・・・」
こちらが口を挟むのを許さない勢いで延々と続く彼の主張に、聞き手一方のオレは途中でうんざりしてきてしまう。
「あーもうわかりました、わかりましたから!付いてくるなりなんなり好きにして下さい!!」
気付けば、彼の言葉を遮っていた。だって本当にまだまだ続きそうだったのだ。彼が自己主張モードに入ると異様に長いんだよな、これが。
そんなオレの態度に眉を顰めていた彼だったが、「じゃあ好きにします」と付いて来ることが決定してしまった。



病院の外観をひと目見るなり、彼の半分以上隠された顔が盛大に歪んだのが、隣に並び立つオレにも十二分に伝わった。
・・・確かにボロいんだよな、この病院。
古びた木造の外観といい、それと同様に古びた内装といい。知らない人間から見ると、絶対ここにだけはかかりたくないと思うらしい。
同僚にこの病院の名を出したら「えっ、お前あそこに行ってんの?!」なんて驚かれたのはつい最近の話だったりする。
でも、オレは昔から父と一緒に通っていたし、先生が信頼のおける人物だと知っている。それに今更別の病院に行ったところで、原因不明で打つ手なし、と診断されるのがオチだろう。父の時がそうだったから。
結果が変わらないのなら、オレはここがいい。
入口にある受付で、子供の頃から顔を合わせ続けて最早旧知の仲ともいえる看護師のおばさんに、お願いしますと告げて診察券を出す。
しかしいつもなら笑顔で応対してくれるおばさんは、今日はどこか強張った表情をしていた。そしてその視線は、オレではなくオレの肩越しに向いている。
咄嗟にオレが背後を振り返ると、そこには値踏みするというよりは最早何かの敵を見る時のような目付きで以て院内を睨み据える彼が居た。なんというか、いつにもまして目力があり過ぎて怖い。今にも殺気すら漂ってきそうな物騒な様子に、オレは血の気が下がるのを感じた。
・・・ちょっと止めてくれよ、今度から来辛くなるじゃないか!?
慌ててオレが窘めようとする前に、おばさんが口を開いていた。
「そちらの方は?」
「付添です」
だから何か?というような、ツンケンした彼の言葉に、おばさんも明らかに警戒心を露わにした、棘のある口調で応える。
「お待ち下さい」
瞬間、場の空気が凍り付いたのがオレにもはっきりわかった。
おばさんは、いつもはもっと朗らかな人なのだ。冗談を言って場を和ませてくれることもあるというのに。
ああもう、この人何しに来たんだよ!だから連れてくるの嫌だったんだ!!
すっかり立腹したオレは、彼と口をきくのすら嫌で、靴からスリッパに履き替えてひとりでさっさと室内に上がる。そんなオレに倣って、彼もスリッパに履き替えている。
お互い無言のまま、待合室で長椅子に座り呼ばれるのを待つ。
今日はそこに誰も居合わせた人間がおらず、心から良かったと思う。
こんな殺伐とした空気を漂わせた付添がいれば、間違いなく皆が困ってしまっただろうから。
因みに、オレの隣を陣取る彼は先程から落ち着きなくもじもじと尻を動かしている。どうも、椅子の座り心地がお気に召さないらしい。
ここの椅子はアンタのお上品な尻には合いませんかね、と嫌味のように思っていたら、「うみのさん」と呼ばれた。
診察室に入る前、オレは未だ執拗に彼方此方首を巡らせている彼に対して一応釘を刺しておくことにした。
「いいですか、絶対に大人しくしてて下さいよ?」
流石に先生にまでこの調子を発揮されたら、オレは二度とこの病院に足を向けることが出来なくなってしまう。
彼は頷くような素振りを見せはしたが・・・心配だ。本当に大丈夫なんだろうか。彼の専売特許である心配症がオレにも伝染ったかのように、じりじりとした不安な心持ちで彼を引き連れて診察室に入る。
しかし先生は彼を見ても顔色ひとつ変えなかった。その様子は寧ろ堂々としたものである。流石先生、人生の大先輩は為人からして違う。
「うみのさん、目の具合は如何ですか?」
「あ、はい。えーと最近動いているものが見え辛いことがあって」
「それはいつ頃から?」
「ここ数日くらいから、かな。見ている間に対象がぼやけるというか、はっきりと形を捉えられなくなるというか」
「では、先に検査をしてみましょう」
先生はオレに隣の検査室への移動を促した。既に検査室の扉をおばさんが開けて待っている。オレが椅子から立ち上がると、カルガモの雛宜しく後から彼も付いてこようとする。
「アナタはここに居て下さい」
先生がそう言うのを聞いて、オレも少し強気に出ることにした。
「そうして下さい」
すると彼は渋々といった顔で診察室に残った。それに胸を撫で下ろしつつ検査室へと入れば、扉が閉まるのももどかしいといった様子でおばさんが詰め寄ってくる。
「ねえ、あの子は誰?」
直球の質問は、誤魔化すことを許さない迫力のようなものが感じ取れた。
なのでオレは鼻の頭を掻きながら、正直に答える。
「・・・今、一緒に暮らしてる相手です」
そう言えば、おばさんは明らかに眉を顰めてみせた。
「ふうん、そうなの。あのね、人のことにとやかく口を出すべきじゃないってわかってるけど、おばちゃん、ああいう子嫌いだわ。口の利き方もそうだけどすごく感じ悪いし、イルカちゃんみたいないい子とはちっとも釣り合わないんじゃないかしら」
ふたりきりになると、おばさんは自分のことをおばちゃん、そしてオレのことをイルカちゃんと呼ぶ。こうしてずけずけと物を言うのも、昔から知っている間柄だからかもしれない。
ただ、連れ合いをあまりにも否定的に言われると、どうにか弁解というか弁護をしてやりたくなるのが人情というものらしい。
「いやあの人、オレのことになるとちょっと心配が過ぎるんですけど、アレでいいところもあるんですよ。結構気が利くし、優しいところもあるし、それにオレのことを一番大事にしてくれるし。後はそうだな・・・」
必死にいいところを探しながら喋っていたオレに、おばさんはどこか驚いた風にぱちぱちと幾度か目を瞬かせてから。
「あらいやだ、イルカちゃんたら!」
「えっ?」
「こんなおばちゃん相手にしっかり惚気てくれちゃって!いいわねぇ、若い子はアツアツで」
羨ましいわぁ、なんてからからと軽やかに笑われる。それにオレは自然と顔に熱が集まるのを感じていた。そんなつもりは一切なかったから余計なんだと思う。
「まあでも、イルカちゃんがそこまで言うんなら悪い人でもないんでしょう。ただね、イルカちゃん、相手の手綱はちゃんと締めておかなきゃダメよ!」
「た、たずな?」
「そう。イルカちゃんはそういうことにあんまり頓着しなさそうだから言うけど、何でも最初が肝心なの。ああいう子は特に、こっちが尻に敷くくらいでなくちゃ苦労するんだから!」
おばさんはその後も熱心な様子で処世術というか、付き合う相手よりいかに優位な立場に立てるかを自らの実例を用いつつ説いて聞かせてくれた。もしかしてこれって、先程のことを根に持ってのことなのだろうか。
「・・・ちょっとイルカちゃん、聞いてるの?」
「は、はい!」
なんて弾かれたように返事をすれば、「宜しい」とおばさんは満足そうに頷く。そして一通りの心構えの伝授とオマケのように検査とを終えて部屋を出ると、今度は先生と彼の間に微妙な空気が漂っていた。
こっちはこっちで何かあったのだろうか。
もしかして、この人先生に失礼なことでも仕出かしたんじゃ・・・!?
内心で慌てるオレにも先生は相変わらずの調子で話し掛けてくる。
その話に耳を傾けながら、オレの隣に立つ彼の様子を覗えば、何事もないような顔で先生を見つめていた。
先程感じたのは、オレの気の所為だったのだろうか。
うーんと首を捻りたくなっているところで。
「・・・うみのさん、聞いてますか?」
先生にまで釘を刺されてしまい、オレは慌てて姿勢を正す。
そして改めて先生の話に耳を傾けるのに集中した。






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