モドル | ススム

● やっぱり犬がすき? ---  ●




―――と、そこまではイルカも覚えている。但し、それ以降の記憶がないのだ。
この後、自分達はどうしたのか。
必死に記憶を手繰り寄せようとする内に、二日酔いの頭は更に強く痛み始める。
ほぼ無意識的に、額を押さえようと布団の中から引っ張り出した手。
そこに続く腕が目に入って初めて、イルカはある違和感に気付いた。
慌てて布団の中を覗き込めば、その違和感が間違いではないことを教えてくれる。
一糸纏わぬ生まれたままの姿が、布団の中にあった。イルカは服を着ていなかったのだ。
イルカの血の気は一気に引いた。
一体何があったのか、と半ば恐慌状態に陥るその隣で、「・・・ん」という小さな声と共に、ごそごそと動く塊がある。
瞬時にイルカは凍りついた。
その間に、静かに動きを止めた塊の方へと、顔を向けぬままどうにか目だけを遣ってみる。
同じ布団に、誰かが潜り込んでいた。しかも布団の隙間から覚えのあり過ぎる銀色の髪が覗いている。
イルカの顔色は、最早蒼白に近いものになっていた。頭痛は酷くなる一方で、気を抜くとベッドの上で戻してしまいそうだった。
もうこれが誰かなど、考えなくともわかる。しかしイルカは敢えてそれを思考の外に追い遣った。
そして激しい動悸と息切れとを感じながら震える手を伸ばし、そっと布団を捲ってみて――― 一番起こって欲しくなかったことがまさしくその通りになっているのを、現実として認識した。
イルカの隣で、カカシがうつ伏せに眠っている。
それも、イルカと同じく一糸纏わぬ姿で。
眠っていても、その端正な顔立ちや引き締まった身体に思わず見惚れそうになるが、すぐにその肩や腕、背中と広範囲に渡って幾つも付いている紅い痕に目がいく。
よく見れば、それらは歯型のように見えなくもない。
その事実に、イルカの身体はガタガタと震え出していた。
二日酔いの頭痛と吐き気はここにきてピークに達し、イルカの全身に嫌な汗が滲み出す。
考えたくない。考えたくはないけれど、これはもしかすると。

「・・・わん?」

やらかした?と呟いた筈の自らの声の異変に、イルカは眉を顰めていた。

わん、って何だよ、犬でもあるまいし。

と続けざまに呟いたこれらの言葉も何故か「わんわん、わおん」と変換されている。ますます嫌な汗が滲むのを感じながら。
おかしい。これはおかしい。一体何なんだ。
咄嗟に片手を喉にやり、残ったもう片方を頭にやったイルカは、そこにも違和感があるのを知る。
ふわふわとやわらかな、和毛の感触。
イルカの髪は太く硬いストレートで、こんな感触が生まれることなどないのだ。
恐る恐る掴んだそれにはちゃんとした弾力があり、引っ張れば何故か皮膚が引っ張られるような痛みを訴える。
その反対側に手を伸ばしても、同じ感触があった。
イルカは咄嗟に、自分の姿が映せそうなものはないかと室内に目を走らせていた。
しかし、室内は殺風景と評していいほどにものが置かれていない。鏡も、その代わりになりそうなものも、どこにも見当たらなかった。
その中で、ふと目に付いたもの。外光を満遍なく孕んで煌々と輝くカーテン。その先には窓がある筈だ。
そう思い立ったイルカは行動を開始する。
音や振動を立てないよう細心の注意を払ってそろりとベッドから抜け出したところで、二日酔いの頭痛と吐き気、またそれに伴う平衡感覚の欠如により自分が立ち上がることさえ出来ないのを悟る。
それを忌々しく思いながら、イルカは裸のまま四つん這いで窓辺まで移動する。
かなり情けない格好だというのは、無理矢理頭の中から追い出した。
そして、目の前にある眩いばかりのカーテンに近寄ると、すぐさま頭を突っ込む。
四つん這いのイルカの顔より少し高い位置にある窓の桟に手を掛け、膝立ちの格好を取った。
覗き込んだ窓からは朝特有の白っぽい光が差し込み、容赦なく目を刺してくる。
イルカは幾度も瞬きを繰り返し、少しずつ光に目を慣らした。
そうして、どうにか窓に映る自分の顔が認識出来るまでになった時、イルカは自らに生じた変化に気付いて絶句した。
解かれた髪の間から、奇妙なものが垂れ下がっていた。
黒くもこもことした和毛に覆われた何かが、左右対称に付いている。
それは、イルカにも見覚えのあるものだった。
どうあっても見まごうことのない、犬の耳。それがイルカの頭から生えている。


「わお―――ん(なんじゃこりゃ―――)!?」


思わず絶叫してしまい、それが頭に響いて低く呻いたイルカに、どこか眠たげな声が掛かる。
「朝から元気ですねぇ」
それにカーテンから顔を出し、後ろを振り向こうとしたイルカは、目の端に奇妙なものを捉えてその中途半端な格好のままで固まった。
丁度、尾?の辺りから伸びる、もこもことした黒い毛の塊。
肌からまっすぐ生えるそれは、イルカが尻を動かす度に同じように振れる。
触っても引っ張ってみても取れる気配がない。
そして、これにも痛覚がある。
なんだこれ。もしかしてこれって―――尻尾?
イルカが瞬きもせずそれを凝視する前で。
「んー、やっぱり似合ってますね」
ベッドに上半身を起こし、どこか嬉しそうに言うカカシをイルカは涙目になりながら睨みつける。

「なんでどうしてオレに耳と尻尾が・・・というか、まずなんで犬の鳴き声になってるんですかっ!」

勿論、この訴えも犬のものに変換されている。
それにカカシは屈託なく笑いながら答える。

「だってねえ、イルカ先生から言い出したんですよ、犬にしてくれって。ほら、覚えてません?居酒屋からオレんちに移動して、また酒呑みながら確かにあなたそう言ったんですけど。服も犬なら要らないだろうって自分で脱いだじゃないですか」

そう言われて、ふとイルカの脳裏に断片的な記憶が浮かんでくる。

『カカシせんせぇが、犬がいいって言うなら、おらぁ犬になってやりますよぅ。いや、ろーせなら、犬にしてくらさい。いやいや、カカシせんせぇの犬になりたいんれす、おらぁね。うん。らって、可愛がってくれるんれしょ?・・・ん?耳も尻尾も好きならけ付ければいいじゃないれすか。何なら服も脱ぎましょうか?犬なんらし。れもひとり脱ぐのはアホっぽいから、カカシせんせぇも脱いれくらさいよ〜。・・・え?はずかしい?なぁーに言っちゃってんすかっ!オトコなんらからさっさといさぎよく脱ぎやがってくらさいよぅ。手伝っちゃいますよ〜』

そう言いながら自らの服を脱ぎ捨てた上、カカシの衣服に手を掛けている様子。

「それでオレが裸になったら、『噛み付きたい』とか言ってがぶがぶっといろんなところを噛まれたんです」

『カカシせんせぇの肌って白いれすねー。それになんかすべすべしてるし。コレは噛み付きたくなる肌れすね。ちょぴっと噛んれもいい?・・・いや、べつにおかしくないっすよぉ。らっておらぁ、犬なんらし。それに噛み付いて痕を残したくなることってあるっしょ、オトコなら。・・・あー、カカシせんせぇはそういうとこ淡白そうだからなぁ。ジョーネツってヤツが足りないんすかね。ジョーネツ。って、噛んれもいい?じゃ、遠慮なく・・・いたひれふか?れも、いたくらいと、あと、のこんらいひぃ』

などと、相当意味不明なことを宣いながら、噛み付いた肌の弾力。
そしてカカシの身体に点々と付いていく、紅い痕。

「で、一通り噛み付いたら疲れちゃったらしくて、オレの膝に頭載っけて寝ちゃったんですよ」

『噛んらとこ、あかくなってますねぇ。よっ、噛み痕の残るイイオトコっ!いっぱいあってやらすぃ〜!・・・って、細かいことはいいじゃないれすか。つまんないこと気にしてるオトコはモテませんよぅ。・・・はー、疲れたぁ。なんか頑張ったから、眠いかも。ええ、すっげえ頑張りましたもん。ねえカカシせんせぇ、膝貸してくらさいよ。いいれすよね?嫌なんて言わせませんよ。らっておらぁ、カカシせんせぇの犬らしぃ』

上機嫌でカカシの膝の上に頭を載せ、ついでにぐりぐりと額を擦り付けるような真似までしたこと。

それらがカカシの言葉によってありありと蘇ってくる。
昨夜のイルカは、酒が入って余程気が大きくなっていたのだろう。そうでなければ、こんな恐ろしく不敬なことを仕出かせる筈がなかった。
出来ることなら今すぐにでも過去に飛んでその時の自分を殴り飛ばしたい―――否、抹殺したいとさえ本気で思った。
勿論それは不可能な話なのでどうにか、すいません、と口にしたものの、それすら犬の鳴き声になっていることにイルカは激しく落ち込んだ。
へなへなと力なく床へと座り込み、窓の下の壁に凭れ掛かるようにしながら項垂れる。
あまりのことに、酷かった頭痛と吐き気は既にどこかへと飛んでいた。
告白したすぐ後に、好きな相手にこんな醜態を晒す羽目になるとは。
たとえ自分が相手に好意を持っていたとしても、こんな目に遭えば百年の恋も冷め、距離を置きたくなるだろう。
それほどのことをした自覚がイルカにはある。
昨夜のことを思いながら、本気で泣きたくなっているところに。
「心配しなくても、その姿になるのはこのマンションの中でだけです。そういう風に術をかけましたから。部屋から出たら元に戻るから安心して?」
イルカの様子をどう捉えたのか、カカシが気遣わしげに全く的外れなことを言う。
「・・・でも、この姿本当に可愛いですよね。イルカ先生、このままオレと付き合いません?可愛がりますよ」
ベッドから降りてきたカカシに、至近距離でにこっと微笑まれる。
それに様々な葛藤と矜持とがイルカの中で揺れた。
カカシと付き合えるなら、これはイルカにとってまたとないチャンスだった。しかし大きく引っ掛かるのは、このまま犬として付き合うということ。
やっぱり犬扱いなんてなぁ、と渋るイルカに。
「あー、なんか噛まれた痕が疼くなぁ」
溜息交じりに零しながら噛み痕に触れるカカシに、イルカは「わんっ(お願いしますっ)」と反射的に頭を下げていた。



そうして、何を曲がり間違ったか、イルカは犬として、カカシと付き合うことになったのだ。






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