モドル | ススム

● やっぱり犬がすき? ---  ●




そうして、イルカがカカシの犬となって二週間が過ぎた。
カカシのイルカに対する犬扱いは相変わらずだったが、徐々にイルカが戸惑うことは少なくなっていった。
それは慣れと、カカシの犬に甘んじると腹を決めたことが大きい。イルカが犬として従順であればあるほど、カカシはイルカをたっぷりと甘やかしてくれるのだ。
やさしい顔で、やさしい言葉で、またやさしい腕に抱きながら。
それは堪らなくイルカを心地良くさせた。カカシの傍でその顔を見、声を聞き、体温を感じるだけで何より幸せな心持ちになれた。
但し、それだけでは追いつかない部分があるのも確かだった。犬扱いに心地良さを感じる反面、ふとした瞬間にこれでいいのか、と頭を過る思いがある。
いつまでカカシがイルカを犬として扱ってくれるかわからないという現状。
実際、カカシがくノ一に言い寄られている姿を二週間の間にイルカは何度も目にしている。今のところ、カカシは相手にしていないようだが、いつ心変わりするともわからない。何の才もなく、特別器量が良い訳でもない同性の中忍より、若く美しいくノ一に目がいくのは至極当然のようにイルカには思えたのだ。
それにカカシにとってイルカは恋人ではなく、ただの犬。たとえカカシが別の相手を選んだとしても、イルカには泣いて縋る権利すらない。惨めに棄てられて、きっとそれで終わるだろう。
ならばいっそ、カカシの犬を止めようか、と思う時もある。けれど、カカシ本人を目の前にすると必ず言えなくなった。
カカシがやさしくするから。イルカを勘違いさせるくらいにやさしいから。
言わなくてはと思う半面、このまま曖昧に、うやむやにしたままでいたいとも思ってしまう。

―――・・一体、いつまでこんなことを続けるのだろう?

先のことを思い、眠れない夜に限ってカカシはいつもやさしく訊ねてくるのだ。
「眠れないの?」
イルカが頷けば、カカシは慣れた様子でその胸に抱くように腕の中へと囲い込む。
確かな腕のぬくもりに安堵しながらも、頭の片隅ではもう終わりにすべきかもしれない、と考えている。
そんな胸の内を知らないカカシは、そっとイルカの髪を梳く。カカシの細く長い指に髪を梳かれるのは、いつもの如く心地良い。
しかし今はその心地良さに少しばかり泣きたいような心持ちになって、イルカはそっとカカシの胸に顔を埋めた。




そんな鬱々と日々を過ごしていたイルカはある日、モズに呑みに誘われていた。
「最近一緒に呑んでねぇし、久しぶりにどうだ?今、ハヤも里に戻って来てるしさ」
ハヤはモズが言うところの『腐れ縁の友人』で、外回りを専門としている中忍だった。モズから紹介され、イルカも何度か一緒に呑みに行ったことがある。モズと同様気の良いハヤに、イルカは好感を持っていた。
このところ、イルカは仕事が終ればまっすぐカカシのマンションに帰っていたので、モズに誘われても用事があると断ってばかりだった。そのカカシは昨日から下忍指導とは別件の任務に就いており、帰還するのは早くて今夜半だと聞いている。ならばたまにはいいだろう。
そう結論付けて、イルカは行くことに同意した。ずっと塞いでいた気分を紛らわせたい、という心も少しあった。
一日の仕事が終り、イルカとモズはハヤが待つという居酒屋へと赴く。
「・・・ここ、か?」
居酒屋の入口で思わず訊ねたイルカに、「おう」とモズが気安い調子で答える。
そこは以前カカシとよく利用し、またイルカが犬扱いされる原因を作った居酒屋だったのだ。入口の前で過去の様々なことが脳裏を過り、ついイルカは渋面を浮かべる。そんなイルカの顔を目にしたモズは、訝った声を出した。
「・・・おい、怖い顔してどうしたよ」
「いや、ちょっとな」
まさかモズに言う訳にはいかないだろう。苦笑いで誤魔化しながら、イルカはモズと二人、店の中へと入る。
案内された個室では、既にハヤがテーブルの上に幾つか並んだ品で一杯やっている最中だった。
「おー、お前らお疲れ!先やってるぞぉ」
殆ど中身のないビールジョッキを頭上高く掲げ、既に出来上がりかけているのか妙に上機嫌な声を掛けられる。それにモズとイルカは顔を見合わせ、僅かに肩を竦め合う。
それでも荷物を置き、空いている場所にそれぞれ腰を下ろしていれば、ハヤからテーブルの隅に置かれていたメニュー表を手渡される。
「イルカ、オレ達も何か頼もうぜ」
「おう。オレ、取り敢えずビールかな」
「あ、オレも」
「モズ〜、オレのビールがもうなくなる!」
「はいはい」
入り口側に座っていたモズが店員を呼び、お品書きの中から三人分のビールと適当な料理とを頼む。
すぐに来たビールで仕切りなおしの乾杯をしてから、各々冷えたビールをぐっと喉に流し込んだ。
「あー、沁みる・・・」
イルカがジョッキをテーブルに置きながらしみじみ呟けば、モズが「イルカ、おっさんくさい」と茶々を入れてくる。
「うっせぇ。最近なかなか呑めなかったんだよ」
カカシに犬扱いされるようになってから、イルカは一度も酒を口にする機会がなかった。呑みたいという心はあったが、それをカカシが許さなかったのだ。おそらく、カカシに見せた醜態の所為であろうことはイルカにも想像に易いのだが。
「そういやイルカさ、最近付き合い悪かったよな。もしかして付き合ってるヤツでもいんの?」
このモズの言葉に食いつくように、ハヤが大声を出す。
「えー、イルカも彼女出来ちゃったワケ?じゃあ居ないのオレだけじゃん!うわ、さっみしぃ〜!!」
テーブルの空いたスペースに突っ伏して嘆く姿にイルカは苦笑するしかない。カカシの存在は、イルカにとって恋人と呼べるものではないのだから。
「違ぇよ。彼女なんていないって」
「嘘吐け。お前が上忍ばっかり住んでるマンションに出入りしてるの、見たヤツが居るんだぜ」
「マジで?!イルカの彼女上忍かよ!誰なんだよ!!」
随分と酔いが回った様子のハヤは、イルカに掴みかからんばかりに身体ごと迫ってくる。一方のイルカはそれを腕で押し退けるようにしながら、半ば叫ぶように声を上げる。
「だから、彼女じゃないって!それにあの人はオレを完全に犬扱いだし・・・」


「「いぬぅ?」」


モズとハヤの訝るような声が見事に重なって漸く、イルカは自らの失言に気付いた。
「おいイルカ、どういうことなんだよ、犬扱いって」
「そうだ、何でそんなことになったんだよ。お前まさか、相手に何か弱味を握られてるのか?」
こんな時ばかりぴたりと息を合わせて言い募ってくるモズとハヤに、このまま誤魔化すことは難しそうだと判断したイルカは仕方なく事情を説明することにした。カカシの名前と、酔って晒した醜態の部分は濁して今迄のいきさつを話す。するとモズは顰め面にも似た、複雑そうな表情を浮かべて腕を組み、ハヤはハヤでどこか憐れみの籠もった視線をイルカに向けた。
「・・・イルカ、それ多分相手から都合の良い男だって思われてるぞ。大体犬扱いなんて、遊びかキープとしか考えられてないだろ」
モズの言葉に耐え兼ねたのか、ハヤは「うう、不憫過ぎる!」と顔に腕を押し付けて咽び泣く様子を見せる。
なるべく考えないようにしていたことをずばりと言われ、イルカは胸が鈍く軋むのを感じていた。
「・・・やっぱり、そうかな」
「絶対そうだって。なあイルカ、悪いことは言わねぇからそいつとは別れろよ。未来が無ぇぞ。女なら、オレがもっといいの紹介してやるから」
「そうだ!女はそいつ一人じゃないぞ・・・ってモズ、オレにも紹介してくれよぅ。オレもカノジョほしい〜」
情けない声を出しながら擦り寄るハヤに、「あー、わかったわかった。わかったから離れろ」と鬱陶しそうに押し退けようとするモズをどこかぼんやりと眺めながら。

都合の良い男。遊びかキープ。

モズから言われた言葉が、容赦なく突き刺さる。
イルカも薄々は感じていたことが、第三者の口から齎されることによって否応なくその強さと痛みとを増す。酷く打ちのめされた気分だった。
「なあイルカ、元気出せよ。ほら、呑もうぜ」
「そうだそうだ、呑もう!オレもモズも最後まで付き合っちゃうからな!!」
イルカを励まそうと懸命な二人に、イルカはふ、と表情を緩める。あくまで気の良い奴らなのだ。
「悪ぃな」
「気にすんなよ」
「そうそう。困った時はお互い様!明日は明日の風が吹く!暴風台風やってこいって感じじゃん」
「・・・ハヤ、それ全然意味わかんねぇって」
「え、そう?」
モズとハヤの遣り取りに表面上は笑いながらも、イルカの心は静かに、また急速に凝り固まっていくのだった。





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